ロバの耳

常識とは全く異なる視点と価値観で異端の哲人が社会、政治、人間、世界そして未来を描きます。決して理解も賛同も求めません。

イジメゼロを目指さない

2022-01-31 10:00:48 | 日記

学校における痛ましいイジメ事件は後をたたない

悲劇が起こるたび対策が強化され、

学校関係者の間でイジメゼロという目標が掲げられる

 

しかし逆説であるが

イジメゼロの目標設定と対策強化が

事態を悪化させることがある

 

なぜなら、

イジメは生物界における本能的行動であり

根絶は難しいことであるから。

それにもかかわらず、

イジメゼロを目指すと

組織としては、

イジメという事態を意図的に認定しなくなる。

そうなると救えるものが救えなくなる。

 

人間は猿と同様に根源的に縦社会かつ集団社会である。

序列や階級が必ず存在する。

自分自身を上位に持っていく手短は方法は

下位者をつくることである。そしてグループにまとまることである。

だから集団で一部の人間を陥れ攻撃する。

これは本能レベルの人間の資質であり、

これを克服するためには、

強い意志と正義感が必要であり容易なことではない。

 

にもかかわらず、

イジメゼロを強く要請され、

細かい報告義務と対策義務が生じると、

組織人としての教員は、

イジメを無かったことにしてしまう。

具体的にはイジメではなく”ケンカ”あるいは”いたずら”を判定する。

もしくは、イジメのアラームや訴えに目をそむけ、耳と塞ぐ。

(だから事件発覚後も、教育機関はイジメを認定しようとしない)

こうなると被害者が誰にも救ってもらえない、という深い絶望に追いやられる。

 

イジメを無くす努力は大切であるが、

それを現場に強く求めることは事態の悪化を招く。

イジメが存在することを前提に

逃げ道、シェルターを設けて被害者を護ることを第一に実践してほしい。


民主主義の次とは?

2022-01-30 18:28:47 | 日記

”民主主義の危機”とか”民主主義を護れ”とか掛け声がかかるが、

そもそも民主主義は正しいのか?価値あるものか?

第二次世界大戦は大衆民主主義のもとで勃発したのだから正しいとは限らない。

無批判、無条件に民主主義を信じてはいけない。

どんな政治思想も、政治システムも時代とともに移り変わってきた。

現在の民主主義の問題とそれに代わる仕組みを提起したい。

 

フランス革命を民主主義の始まりとするなら、

当時は少数の貴族や宗教家が多数の民衆を支配し搾取していたから、

民衆に主権をもたらした民主主義には価値があった。

しかし、現在、民主主義は単に多数派が支配する法的根拠となっている。

”多数派の多数派による多数派のための政治”・・・それが現代の民主主義だ。

高齢者が多数を占め、未来ある若ものの声は反映しない。

子育てシングルマザーなど貧困層と中間層の教育環境格差は改善しない。

あるいは沖縄は本州の利益を享受できない。

 

では民主主義に代わるシステムはあるのか?

案1:選挙における世代間の重み調整 → 1票✕余命

   平均寿命を80歳とするなら、

     1歳児→80票 (親権者が投票する)

     70歳老人→10票

案2:議決の公平性確保

   議案の議決はサイコロで決める。

   多数決では少数派の議案が通る可能性は理論上は0であるが、

   サイコロの導入により、選択の機会の公平性が確保される。 

 

馬鹿げた考えであると常識人は取り合わないであろうが、

現実は力を持ったものが牛耳る不公平な世界であり、

民主主義という偽りの衣をまとった絶対主義なのだ。

 

 


コロナは脅威ではない

2022-01-30 17:43:23 | 日記

連日、コロナ報道が収まらない

その論調は、

コロナは問題、それが拡大している、抑え込みが必要・・・というもの

しかし、コロナの何が問題か?

死亡者がいる?

→すべての生命には終りがある。年間200万人亡くなり、代わって新たな生命が誕生することが自然の姿。

 もともと高齢者が肺炎で死亡することは死亡原因の上位であり、

 インフルでも2000〜3000人は亡くなっていた。

 ガンで死ぬか心臓疾患で死ぬか肺炎で死ぬか・・・の違いに過ぎない。

 そもそも”救える命”という幻想に縛られ、自然な寿命を人工的に引き伸ばした結果、

 超高齢化社会を招き、財政的にも経済的にも回らないことが問題である。

 交通事故で年間5000名以上が死亡するが、自動車自粛という発想はない。

 社会生活にはあらゆるリスクがつきものだからだ。

 コロナだけリスクに過剰反応する理由はない。

 

医療が崩壊する?

→コロナを感染分類2類に位置付けるから過剰な対策が要求されるだけ。

 コロナに対する情報が無かった未知の時点はともかく、危険性が限定的であることが把握できた今、

 2類に留める必要はない。

 

コロナ抑え込みという不可能な命題に縛られ、

経済を止め、社会を閉ざし、教育の機会を奪った結果、

国の借金は増加し、社会的弱者の自死が増加している。

社会を閉ざし続けるなら出生率は下がり続けるであろう。

 

コロナは脅威ではない。受け入れるべき自然なこと。

コロナ対策で社会や経済を閉ざすことが脅威である。

目先の不幸に囚われず、リスクを恐れず、社会や経済を力強く動かす勇気と覚悟が必要だ。