SEASONS

幾度巡り 巡り行く 限りある 時の中に 僕らは今 生きていて そして何を 見つけるだろう

retrospection

2006年05月15日 23時47分57秒 | Weblog
人々がビルの屋上のフェンスに張り付いています。中には何時間も張り付いている人もいたようです。彼らは助けを求めているわけでもなければ、下でイベントをやっているわけでもありません。ひたすら感傷に浸っているのです。

慣れ親しんできた場所がまた一つ消えてしまいました。
ここは僕が幼稚園から通い詰めた、自分の原点の一つ。
昨日で80年という長い長い歴史に幕を閉じました。
その思い出を共有できるであろう人々が大勢押し寄せていました。

どんなに遠くへ行っても、故郷の山・川・海は懐かしいもの。
帰ってくるとホッとするらしいです。
でも、もしその景色が全部なくなってしまったらどうしますか?

僕の場合は山・川・海が「ビルの山」・「車の川」・「人の海」になります。

近所の川は30年近く前に全て埋め立てられたらしいです。
だから、川がないのに橋があるという奇妙な場所が無数にあります。

どちらも「故郷にある懐かしいモノ」であることに変わりはない。
けど、ビルと山は何が違うの?

ビルは人工物なのです。
だから、いつ壊されてしまうか分からない。
馴染みのある場所へ行って好きな景色を眺めていても、いつも
「この眺めはいつまであるかな?」
と思ってしまう。
誰にでもそういうことってあると思うのだけど、都会の場合は360度全てそうなのです。
約15年間で、同じ町とは見分けがつかないくらい変わってしまった場所もあるし。
うちの近所も、道が変わって、眺めが変わって、人の流れが変わって、人が入れ替わって、10年前と変わらないものを探す方が大変かも。引っ越したことないのに幼馴染が誰もいないし(mixiがなければ小学校以前の友達の消息は一人も分からなかったと思う)。

だから、僕も遠くから帰ってきて新宿辺りに来ると「着いた~」ってホッとしますが、いつも「でもここも10年後に全て変わっているかも」と思ってしまいます。

「国敗れて山河あり」とか言うけど、国が敗れた時に東京には何も残らなかったよね。

そういうのが・・・チョット・・・寂しいかなぁ・・・って思ったり。

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