SEASONS

幾度巡り 巡り行く 限りある 時の中に 僕らは今 生きていて そして何を 見つけるだろう

自由人

2009年01月23日 17時12分33秒 | Weblog
最近よく思うのは、自分ってかなりラディカルな自由主義者だな・・・ってこと。

色んな組織へ所属して、その都度そこで頑張りはするんだけど、興味が他へ移るとそれと共にあっさり移動してしまいます。

だから、どんなゼミやサークルでも、あるいはバイトでもせいぜい1年しか続かないんですよね。

人と関ったり、他の人の役に立つことをしたり・・・っていうことは基本的に好きなんだけど、「組織」が出てきた瞬間に身構えます。

そこで、「自分ってどうしてこんなに一つの組織に定着出来ないんだろう・・・?」という疑問が沸き、考えてみました。



基本的に、常に「異端の道へ行こうとする力」が自分の中で強烈に働いてるんです。

それがどうしてなのかはよく分かりませんが、「私は異端なんですけど」ってハッキリ言う人とは大抵話が合います。

異端と言うのは主流派の反対のことです。


「主流派」というのは、

小学校の頃は「親や先生の言うことをよく聞くこと」であり

中高では「学校行事を一生懸命頑張ること」であり(学校行事を楽しまないと奇怪な目で見られる少しファシズム的な高校でした)

大学では「教授の教えに忠実に(法律や経済などを)一生懸命勉強すること」です。


そういう主流派の人達が大量にいる環境に身を置くと、「何かもうちょっと違うのがあってもイイんじゃないの?」と思います。

例えば高校の時には「学校行事は勉強をサボってでも頑張るものだ」という環境だったから、あえて学校行事の時期に猛勉強をしようとしてみたり、

逆に東大へ入ってからは勉強一本の人が多かったから、敢えて勉強から離れてフリーターっぽいことをしてみたりしてます。


要するに、異端的なものを求めて別の組織へ移ると、今まで異端だと思ってた価値観が主流派になっちゃうから、今までの憧れが冷めて退屈になり、さらに他のことに興味を持つんですね。


一応就職活動をしてはいるのですが、どう考えても日本型企業組織は自分には向いていません。

「終身雇用制」なんて考えただけで頭痛がしてきます。共同体的な人間関係は嫌なんです。

「辞めようと思えばいつでも辞められるんだ」と思えて初めて、「自分がこの組織にいるのは自分の自由意思によるものだ」と思えるはずだし。

「辞めようと思えばいつでも辞められる」と思えると、人は堂々とします。

だからと言ってコテコテの外資系はまた別の理由で苦手なんだけど。

要するにまだ「ピタッ」と来るものに出会ってません。「これならまだやっていける」という程度の企業はいくつかあるけど。


ところで、さらに突き詰めて考えて考えていくと、「そもそも日本という国は自分に合うのか?」という疑問が沸いてきます。

仮に国家が想像の共同体だとすれば、自分みたいな性格の人がそこから抜け出したくなる衝動に駆られるのは当然なのです。

だから、やっぱり自分の意識はコスモポリタンなんだろうなぁと思います。

色んな国を回って納得した上で「日本がイイ」と思うのならともかく、日本しか知らないのに日本で暮らさなきゃいけないという状況は、自分みたいな性格の人にはウンザリすることです。

実際、どうも「自分の意思で日本に居るんだ」という実感が無いです。

だから「とにかく海外で働いてみたい」という意識が強い。


ところで、こういう考えはしばしば「甘い」とか「贅沢」と言われます。

「石の上にも3年」という言葉に代表されるように、日本では我慢に我慢を重ねて一つのことを継続することが偉いことだとされていますから。

それに、「終身雇用制が崩れたら企業が人に投資をしなくなる」という意見もあります(それはちょっと違うんじゃないかって気もするけど)。


でも、「色んな世界を見て経験を積むこと」も、それはそれで「一つのことを継続すること」には無い良さがあると思うんです。

自分が何を望んでるのか考えるのを辞めた瞬間に、組織の奴隷状態になっちゃうんだろうと思ってます。


自由人を目指そう

→株式投資をして自由になるのはちょっと自分の希望とは違うんだけど、「そうそう」と共感する所はあった。

あと、自由に興味のある人は網野善彦の『無縁・公界・楽』がおススメです。

近代以前の日本社会を研究してる本なんだけど、共同体的な関係が切れた所(無縁)に近代自由主義とは少し違った自由の精神を見い出しています。

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