雑木囃子

踏み台でいるのは爽快

こんにゃくパークがシーズン最後なのは、佐久の大学の授業が最終回だったから。

晴れ晴れとした最終回。
学生も輝いている。


良い人たちだ。
この授業は教材費がかかるし、必修科目ではないのに、受講している。
ゆとりと期待を併せ持つからできること。
せっせとバイトしてたほうが得じゃん。という学生は居ない。層だとしたらここに居ない。

学生を見送る夕暮れ。

いつまでも焚き火に残り、花火とかもやっててかわいらしい。
私も居たいところだが、立場上切り上げなければならない。

いつの間にか月。

佐久の広い空、からりとした暑さ、夕暮れの涼しさ、人間というあやふやだけどかたちあるものを理解して手をつなごうとする学生たち。
形があるのにあやふやな最たるものが人間だろうな。

この授業は、野外活動論という科目だ。
野外にて活動ってことをする。迷いや照れ、やれそうだけど一歩が出せない、言いたいけど飲み込む。活動とはお互いのそうしたちょっとした何かを補いながら動き、いつしか誰かのちょっとした何かを補う側になるものだ。

野外活動論とはいえ、論ずるよりいつか論ずる人になるために、きちんと活動してもらう手法で講義をしている。

意外にちゃんとやっているような雰囲気出してるけども、見た目は遊んでいるようにしか見えないところがなんとなく悔しいんだけど、ちゃんとやってることは受講した学生はわかっていると信じてる。
やまてよ
もし違ったら…やべえな。

みんなこちらのキャンプ場に来たら良いのに。
佐久からなら、私なら2時間かからず最短の峠を経由して下道で来れる。
ま、それはそれで、やべえな。

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