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復興は終わらない…☆

2021-01-17 20:21:27 | ☆徒然blog…♪
阪神淡路大震災から26年。。。
当時僕はすでに東京暮らしだったけれど、弟が大学生で枚方に住んでいた。
愛知に住む実家の母が地震発生直後、飛び起きて弟に連絡したら、奇跡的に繋がり、無事を確認。
その場は電話を切ったが、そのあとふたたび連絡を取ろうとした時にはもう繋がらなかったそうだ。

そして、東日本大震災から、この三月で丸10年。。

このニ度目の緊急事態宣言が関西に発令される直前、なんとかミニツアーを決行することができた。

日程2日目の、夙川にあるウクレレカフェ・オコナさんで、
強制アンコール(笑)のとき、悪友〜たらすなさんとうたった。
このとき、ぼくの知る限り、あんな風に気持ちを露わにして激しく歌うたらすなさんは見たことがない、それくらい、彼は激しくこの歌をうたった。。。
あのワンシーンは…かけがえのない宝物として、心に深く刻み込まれたひとときだった。

ソウルフラワーユニオン・中川さんと
ヒートウェイヴ・山口さんの共作曲として知られる「満月の夕」。
ぼくにとっては震災の時の歌というだけでなく…その後の音楽のありように大きく影響をあたえてくれた、大切な唄なのだ。
個人的にジョンレノンのイマジン、や、ハッピークリスマスと型を並べる名曲だとおもっている。
たらすなさんに、1/17も近いし、満月をいっしょにやってくれないかと提案した時、彼は
「サビの部分は思い出せるけど、そういやガッツリとは聴いてこなかったなぁ」
といっていた。

そして、うちで何度も涙ながらに練習してきてくれたのだという。
「ええ歌や」

ライブがハネたあと、たらすなさん、いつもどおり夜行バス乗り場まで車で送ってくれた。

その時、ポツポツ語ってくれたのだ。
あの震災の後、彼は街の電気や電話の復旧のための過酷な仕事に携わっていたのだという。
「あの頃は、芸能人が来たり、音楽やる奴らがきたり、そんなんいくらやったって町が元通りになるわけでも、亡くなった人たちが生き返るわけでもないやんか…と、心のどこかでおもって反発してたわ」
瓦礫の中を、日夜、過酷な復旧作業に携わっていたのだ、そう感じてもなんら不思議はない。
「もちろん、いまは、そんなことは全く思わへんで。音楽ですこしでも誰かの心にホッとする時間作れたりするやんか。
音楽は素晴らしいと思う。ただ、だから、どっかであの歌を…避けてきたのかもしれんなぁ」

あの唄、とは…満月の夕、のことだ。

あれから…26年も経っているのだ。
彼とはもう、何度も何度も、たくさんの話をして…そして話すより多く、声と音を重ねてきた。
それでも、、、初めて気づくたらすなさん、そう、心は今もまだ復興の真っ最中だったのだ。。。

関西からも
東北からも
そこそこ距離があって離れていたぼくにとっての震災と、その場で戦わざるを得なかった彼らとの気持ちのありようの違いも、しみじみと感じた出来事だった。

今日、その時お邪魔した、西ノ宮のさくらFMさんで、オモエサンライズをかけてくれたという。
ココロに東も西もない。
ただその報せが、すこしうれしかった。
ぼくにできることなど、それくらいしかないからさ。。


まだまだ、復興は続いている。
わすれない、いつまでも君を。


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