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命日だった…☆

2020-06-22 23:32:11 | ☆徒然blog…♪
三年前の今日は、早朝からジリジリと蒸し暑い真夏日だった。環七若林の路肩に車を停めるとほどなく、携帯電話が鳴って、父の急死をしることになる。
あれからもう3年なのか、まだ3年なのか…よくわからないけれど、色々な意味で大きな出来事だった気がする。

父はその1週間ほど前に健康診断を受け、血圧以外は太鼓判を押されたと自慢げだったというから…みなにわかには信じられない出来事だったに違いない。
大動脈瘤断裂、瘤があることを知っていたのは医者である叔父さんだけだったみたいで…しかしその叔父さんも、遡ること5年ほど前、発見時の瘤の大きさは、医学的には問題なしの範囲だったそうだけれども…急激にそれが大きくなったのか、あるいは何か無理な負荷でもかかったのか…いずれにしても、その理由をいまとなっては知る術もない。

実家の目の前の矢作川に大きな橋がかけられるため、住居の移築をしなければならず、それらのことがひと段落した矢先の出来事だった。





ひととひとの気、というか、力の向きとでもいおうか…家庭内でのパワーバランスというのは、本当に微妙な弥次郎兵衛のような均衡を保っているモノなんだと、いまでは痛感している。
父が突如いなくなったことによる、人と人の力関係は目に見えて変化していったような気がして。決して悪いように変化したということでは、ないのだけれど。。

このコロナの騒動など誰も予想していなかった三年前。
実家を離れてしまって久しいぼくにとっては、本当に父がいなくなってしまったという実感など、今でも、あまりない。

皆がどんなふうにこのコロナ自粛の数ヶ月を過ごしたのか、ぼくにはわからないけれど…ぼくはこの期間、少しずつ少しずつ時間を遡って、忘れかけていた心の中の風景をいくつも思い出したりした。
そこには、確かに…温もりを感じる父の姿があった。
幼い弟と騒ぎまくって、やかましくしていたので、車の中の父はいつも不機嫌だったと、母はよくいっていた。

蒲郡だったか、内海だったか…三河湾に行った帰り、買ってもらったスーパーカーのちょっと大きいミニカー。
ぼくはランボルギーニイオタ、弟はややぼってりとしたランボルギーニミウラ…買ってもらって箱から出して程なく、ぼくのイオタのカウルの付け根が折れて、外れてしまった。。
海へ行ってもちっとも海には入らないわ、おもちゃおもちゃと騒いで、買い与えたとおもったらすぐに壊してしまって(爆)そらぁ、さぞ、父も不機嫌だったことだろうな、と、おもう。。

このコロナの深く潜り込んだ時間がなかったら…思い出せなかったかもしれないような、せぴあいろの景色たち。

ぼくにとっては…決して悪いことばかりではなかったよ、この数ヶ月間。

気がつけば夏至も過ぎて…もう夏はすぐそこだ。

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