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今頃ですが(^-^;星キワヤさん100周年…本当におめでとうございますっ☆

2019-04-21 08:01:26 | ☆徒然blog…♪
この日本でウクレレといえば…真っ先に頭に浮かぶのはやっぱり「フェイマス」。キワヤ商会さんが、長い年月、守り続けてきたブランド。群馬前橋にある三ツ葉楽器さんとのタッグで、ウクレレといったら、これしか店頭に置いていない…そんな冬の時代を乗り越えて守り続けてこられた、メイドインジャパンの歴史。

そのキワヤ商会さんが、今年、創業100周年を迎えられました。本当におめでとうございます!

蓄音機の商売から立ち上げて、ギターやウクレレなど音楽機器に携わってこられたながい、ながい歴史。

史実に「れば」「たら」は禁物なのだが…もしもキワヤさんがウクレレの売れない時代に赤字覚悟の生産ラインを止めてしまっていたら…いまの日本でのウクレレブームは、全く違っていたかもしれない。
 
 


松本のセイレンウクレレに嫁がれた、現原社長のご姉妹であるまゆみさんが、とても興味深いエピソードを語ってくれてました。まゆみさんの中学時代のことだそうです。
「うちの中に積み上がって行く楽器の在庫をみては、父(現岡本会長)と母の喧嘩が絶えず、こんなに毎日毎日喧嘩してまで守らなくちゃならない会社ってなんだろう、また家族が肩を寄せて楽しく暮らしていけるならこんな仕事辞めてしまってほしい、って思って、真剣に悩んでたんだよ。お姉ちゃんたちは大学生でもうあまり家にいなかったから、一番その現場にたちあわなくちゃならかったのは、たぶん私だったとおもう」と。
 
 
 

…アタシが初めてきちんとしたウクレレのサウンドを聴いのは、92年だね。当時初めて組んだ本気⁉︎バンド「グランパパス」。ぼくはブルースぞっこんのギター弾きで。
千葉の仲間たちと組んだバンドだったから、拠点は本八幡のライブハウス〜ルート14、だったのです。ぼくがブルース男だったから(笑)対バンによく、ブルース系⁉︎の渋めのバンドをあてがってくれてました。
その中でもなんども対バンしてもらった、めちゃくちゃギターのうまい兄貴がトリオでやっていた、その名も「ウクレレ」ってバンドがあって。基本はフルアコのギターでブルースぽい日本語の曲をやるトリオだったのだけど、かならずライブの冒頭は、ウクレレでブルースをやっていて。
「♫ハンターーーーっ!」って掛け声で、小気味よいシャッフルをキメるのね、マイクで拾ったウクレレで。
親しみを込めて「ウクレレさん」って呼んでいたけれど…ウクレレ、って言葉がそのままバンド名(笑)として通用してしまう時代だったわけだ!
それでも、ウクレレって、おもちゃだと思っていたけれど…カッコよかったなぁ…いま何してるのかなぁ…検索しても、もう出てこないんだよ、微妙に昔すぎて。。。

そのウクレレさんが弾いていたのは正しく、フェイマス、だったんだ。よぉく覚えてる。
フルアコのギグバッグのポッケにウクレレ突っ込んで、いつも現れてたよ。


ライクーダーが大好きで、ギャビーと一緒にやってるアルバムはもう聴いていた頃だったけれども、頭の中でウクレレとは繋がっていなかったな、あくまでギター、だった、ギャビーは。


あの頃、たしかに楽器屋さんではフェイマスしか見なかったよ。


まさかあの時、数十年後の自分がこんなウクレレさん⁉︎(笑)の道を進んでいるなんて全く想像してなかったけれども。。。


そしてこのアタシもですね💦キワヤさんのウクレレがあって、いまこうしていられるんだよ。「フェイマス・ウクレレコンテスト」として始まった、現在の「ジ・ウクレレコンテスト」。ぼくはフェイマス〜の第三回、そしてジ・ウクレレ〜に名前が変わった第四回の二回、本戦に出てるんです。
そしてその第四回…ジ・ウクレレコンテストとしては最初の回に、大賞をいただいて…そこが発火点となり、今に至るわけ。

 
…こういったタイミングで、こうしてその歴史の片隅に関わらせていただけていることを本当に光栄におもっています。


キワヤさん100周年を記念して制作されたコンピレーションCDが、2月に発売になり、そのレコ発記念企画として、先月3/17日曜日に、日比谷のミッドタウン・ビルボードでライブパーティが催されました!CDに参加したメンバーと。
 
 
 
 
 
 
 
…キヨシ小林さん、勝さんらをはじめ、いまのウクレレシーン活況を担う面々とのひとときは、至福の時間となりました!
 
 
 
 

企画に仕切りに奔走してくださったトゥモローハウス纐纈さん、ジャズームカフェ殿、そして…第四回ウクレレコンテストの同期生でもある、ニンジャビーツのウクレリスト〜シンくん(当時は中学生でした💦)、本当にありがとうございました。

それぞれ収録曲を一曲ずつ、の、まるでコンテストのような(笑)オムニバスライブ!
キンチョーしたよぉ、ひさびさに手が震えるほどでした😅
 
 

皆それぞれに、その人らしく!素晴らしいパフォーマンスで、最高だったよ☆
どこで途切れてもおかしくなかったこの日本ウクレレの歴史。
キワヤさん、ありがとう!
そして…おめでとうございます!
 
 
 
 
 



それから…キワヤさんで長年イベント担当として尽力された、安田さんが、この三月で退職されたのです。。
これもまた興味深い出来事でね。。。

安田さん、本当にまっすぐな真面目な方で(笑)意見をぶつけ合ったり…(苦笑)ぼくも真っ向勝負で何度も活動を共にさせていただいた、本当にお世話になったかたなのです。。
あくまで個人的な見解として、ですが…安田さんは、所謂商業ベースの世界と、ウクレレ愛好家⁉︎所謂、セミプロ的な活動家を結ぶ、とても重要な役割を果たしてこられた方なのだとおもっています。
そもそも、いまのウクレレ文化⁉︎ってのはゆるいアンダーグラウンドなサブカルチャー的側面をもった現象からスタートしていて、活動を盛り上げてきたのは、それこそ関口さんやイワオさんといった方々と共に、ウクレレアフタヌーンだったり、関レレだったりウ中連だったり…個性豊かなウクレレ大好き人間たちだったわけで、、地道に活動をしてその魅力を知らしめて行く過程としてはオープンマイクのイベントだったり、決してメジャー的な活動ばかりではなかったのですね。それは今でもそうだとは思うけれど、いまのように(ぼくはこの現象を、少々乱暴ですが💦ジェイク時代以前、ジェイク時代以降、と位置づけています)若くてうまい、そしてスマートな凄腕プレーヤーがこぞってしのぎを削るような現象はまだ見られない時代だったのです。
オータサン、そして、ヒーローとしては、と何といってもトロイ・フェルナンデス!でした。
活動家も本当に個性豊か…というか、圧倒的なサンプルが少ないが故に、みな独自の方法論でウクレレと対峙し、音楽を紡ぎ出すことに重きを置いていたのですね。。
それはとりもなおさず、ジェイクのような、圧倒的なスタンダードが不在だったってことです。
YouTubeもなく、書籍も、音源もない、そんな時代。
ぼくもまったく参考がなかったから(笑)。その後、コニシキさんの「ナナクリ」「パイナ」って二枚のアルバムを毎日聴きまくってきました。そこでウクレレを弾いていたのは、キヨシ小林さん!バンドメンバーには、山内雄喜さん!
ぼくにとってのバイブルは、いまでもこのお二方なんですよ。。それから、三線の古謝美佐子さん、そして…ライ・クーダー(笑)。ぼくはいつも、ウクレレをライや古謝さんのように奏でたいとおもってるんです。イメージとして、ね。それを、ウクレレらしいサウンドで。。。


脱線しましたが…ウクレレ愛好家シーンから出てきた面白いアーティストたちを表舞台に立つ道筋を作ってきてくれたのは、誰よりも、安田さんに他ならなかったのです。。
タイミング的に、ぼくはおそらく…もっとも安田さんにお世話になった一人だと思う。いや、誰よりも、かもしれない。。。
彼がいなかったら…こうしていられなかったかもしれない。
いつも、ウクレレコンテスト出場者を誇りに思ってくだり、メジャーの人たちと同じステージにあげてくれる、そんな情熱家なんだよね。
恒例だったウクレレピクニックの、サブステージイベントは、何よりそのことを証明していると思う。
忘れられない、2008年、聖書キリスト協会第礼拝堂での、アジアの子どもたちにクリスマスプレゼントを贈ろうというチャリティ企画、ウクレレグレース。
来日中だったボスコ&ハニー、高橋重人さん、森先生も出てくださったっけ!いろいろあったけれど、たのしかったよ!

安田さんがキワヤさんを退職されて、またあらたなウクレレ活動をはじめられる…そんなことは、なにか一つの時代のひとくぎりと、新たな時代の幕開けを象徴する出来事のように感じられるのです。。。
奇しくも、ウクレレアフタヌーンを率いた織田島さんのお店〜彦六も閉店、あたらしく、いちよん、として次の世代のウラナワナイ〜暴れ馬くんに引き継がれて…


安田さん、とりあえず(笑)お疲れ様でした、そして、、、ありがとう!
これからもますます!よろしくお願い申し上げますね!


いや、ながくなった(^_^;)。
読んでくださった方ありがとう(爆)。


ウクレレ、何と深く…そして面白い現象だこと!
そしてきっとこれからも…ウクレレは人に時代に寄り添って、たくさんの方のココロを癒していってくれると思うのです。
さぁ、ぼくもがんばろ(^-^;








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