DKK広場へようこそ

電電、NTTの建築に関係した会員の交流、情報交換の場。
右のカテゴリー欄の見たい項目をクリックすると記事が出ます。

信越の国宝建造物3 旧開智学校 と 大法寺三重塔

2023年01月19日 | 会員Bの自慢(自分/地元/その他)

信越支部 小池 久季さんの地元自慢

旧開智学校校舎、大法寺三重塔

○旧開智学校校舎(松本市)

 明治9年(1876年)竣工。校舎の建築計画者、当時の筑摩県権令(ちくまけんごんれい)永山盛輝で、請負者(設計・施工)は地元の大工棟梁、立石清重です。校舎の構造は、木造二階建、寄棟造、桟瓦葺(さんかわらぶき)で、中央部八角塔屋(とうおく)附きの擬洋風(ぎようふう)建築です。新築当初は現存の校舎に教室棟が逆L字型に配置されていました。擬洋風建築は、明治初期の文明開化の時代に花開いた建築様式であり、仕上材からみて、漆喰(しっくい)系と下見板系の二つの系統がありましたが、開智学校の建築は幕末から明治初年にかけての極めて早い時期に始まった漆喰系に属し、その充実した表現からみてわが国の漆喰系の擬洋風を代表する建物といえます。特に正面中央部の全面に張り出す唐破風(からはふう)附の車寄と八角の塔屋の組み合わせは、ほかの擬洋風建物に類例がないほどです。

 設計者立石は、2度にわたって東京や横浜に出向き、ガラスや建築金物の舶来品を手配したほか、開成学校など東京の先駆的な擬洋風建築を見聞しています。なお、彼の設計・施工による建物は、学校校舎や官公庁等長野県内に多数あります。

○大法寺三重塔(小県郡青木村)

 正慶2年(1333年)建立。和様の建築様式が正確に守られ、奈良や京都の建築物に遜色しない美しさを持つとともに、周囲の風光との調和が美しさをより際立たせています。三層の屋根が空を舞う鳥の羽根のようにのびのびと広がる一方、塔全体はどっしりしており、細部はすっきりとした造りとなっています。これらの絶妙なバランスが荘重で崇高な印象を与え、傑作ともいえる三重塔を作り上げています。

この三重塔はその美しさから、近くを通る東山道の旅人がふり返りふり返り塔を眺めたことから「見返りの塔」の名でも親しまれ、日本一美しい塔と言われています。

塔の初重(一階)が二重や三重に比べて大きいことで、塔全体の落ち着いた感じや、優雅な印象を生んでいます。特に大法寺三重塔では、手先の数を初重と二・三重で変えることで、独特の変化をつけています。このような技法は、三重塔では極めて珍しいものであり、大法寺三重塔とともに、奈良興福寺の三重塔だけにみられる工法です。

 建立は、大阪府天王寺の大巧(だいく)四郎をはるばる迎え入れ、三重塔は建てられました。中央より直接、極めて優秀な大巧を招いたことで、京の都の建築物の劣らぬ建築物が、信濃の山奥に建立されました。しかしなぜそのような優秀な大巧が、信濃の山奥に招かれたのか、その真相はいまだはっきりとはしていません。

信越地方の国宝建造物を紹介

国宝建造物は6棟ありますが、すべて長野県にあります。

★善光寺本堂(長野市)宝永4年(1707年)建造 国宝指定 1953年3月

★仁科神明宮社殿(大町市)寛永13年(1636年)造営 国宝指定 1953年3月

★松本城天守(松本市)永正元年(1504年)築城 国宝指定 1952年3月

★安楽寺八角三重塔(上田市)13世紀末(1290年代)建立 国宝指定 1952年3月

★大法寺三重塔(小県郡青木村)正慶2年(1333年)建立 国宝指定 1953年3月

★旧開智学校校舎(松本市)明治9年(1876年)竣工 国宝指定 2019年9月

国宝建造物に興味のある方は、ぜひ信越に起こしください。


最新の画像もっと見る

コメントを投稿