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Can not is Disable

プログラムとか哲学とか科学とか。

簡素なCSS

2005-02-25 19:03:18 | 日記
この間h1, h2, h3あたりはCSSをもっとぱっとしたものにしたいといっていたが
結局私はデザイナーではないので凝ったデザインをすることは止めておいた。
まあこうやって下線でもあればそこがタイトルであることは見た目にわかるだろう。
そのラインサイズで見出しレベルもわかりやすくしてみたり。

・・・まあ自己満足ですが。

関係ないんだけど

2005-02-22 00:26:30 | その他
テンプレートのデザインを使いまわしてるんで、もっとマシなデザインにしたい。
特にマークアップでh1,h2,h3くらいまではよく使うんでCSSを書きたいところなのだが・・・。

ネットワーク散逸構造

2005-02-22 00:09:46 | 哲学
都々目さとし氏のBlog「野良犬の塒」より「ネットのエントロピーは常に増大する」に対して、ちょっと反応してみたい。

イリア=プリジコンと散逸構造論をご存知?


先に言ってしまおう。
エントロピー増大に逆らう反応はネットのような環境では起こってしまう。
開放系において「散逸構造論」という物が存在するからだ。ご存知だろうか?
そして、その散逸構造論を纏め上げたのがイリア=プリジコン氏なのだ。

散逸構造論ってどんな感じ?


エントロピーがなぜ増大するかといえば、ただ増大する確立が高い。
つまり、無秩序になりやすいからでしかないのです。
次のような思考実験を考えてみてほしい。
金魚がのこぎりの歯のような形の連続した坂の上でランダムに左右に跳ねている。
このときに、どのようなことが起きるだろうか。
まず段差を上るように跳ねた場合だ。

こんなことが起きる。
ここまでは、当然なのだけれども
逆に、歯を上る方向に(画像で言うと右に)上る場合は・・・。

こんな風に上っても重力で下に落ちてしまうのだ。
したがって、この金魚は常に画像でいうと左に向かって進んでいく。

つまり、ランダム(混沌・無秩序)だとしても、「ある構造」が、ランダムに対して秩序を生むのであれば、秩序が出来上がっていくのである。

ネットの散逸構造?


さて、ネットのどこにこの構造があるのだろうか。
いくらか考えるに、リンクやらトラックバックやらと、あと都々目さとし氏も上げられている検索エンジンなどが有力だと思う。

ということは、結局結論は同じですか。そうですか。

Disable考察


結局、ネットの全ユーザに、これからネットがどうなるかは掛かっています。

フォレストガンプ

2005-02-19 23:51:38 | 日記
フォレストガンプを見たので。少々。

人生に付いて。ですか。
なかなか、難しい命題だと思う。
ただ、彼は幸せだと思うね。彼から
>人生で一番幸せなときだった
というセリフが出ている。
幸せなことその物がわかる人こそまさに幸せなんだろうね。
そうは思えないだろうか。
そう思わないだろうか。
そう思いたくはないだろうか。

Korg OASYS

2005-02-19 04:01:49 | 音楽
Korg OASYS
これはすごいものだすなあ。
どうやら風のウワサではLinuxを使っているらしい
専用チップからシンセはついに離れるときがきたのだろうか?
EXi、EXfはどうもVSTi、VSTeに値するものみたい。
SDKは公開されるのだろうか?もし公開されるなら2.8Ghzの音楽専用環境に好きなシンセをプログラミングできることになる。
すごい。

堀江社長!

2005-02-18 22:48:12 | 日記
すでにIT業界の顔ですねえ。
フジテレビとLiveDoorの抗争はなかなか。
でも私が見るにIT産業と混ざればテレビ産業としても強みになる気がするんですが。
映像配信をコンピュータネットワークでするというのは、新しい市場を開拓するコトそのモノでしょう。

クオリア問題

2005-02-18 22:45:28 | 哲学

クオリア問題


今日はいきなりだけれどもクオリア問題を取り扱ってみたい。

クオリアとは?


クオリアとは、感覚に伴う質感のコトである。
たとえばこの赤い文字
この文字のこの赤い色。はなぜこのような[質感]なのだろうか?
・・・
人によっては「光の波長が」とか言い始めるのかもしれないが、それで解決出来るほど甘い話ではない。
赤い色と定義付けされた波長の光が目に入って情報として脳に送られてからの話である。
この赤い色の情報はなぜこの[質感]なのだろか。
この質感でも別に問題はなかったはずだ。
この[質感そのモノ]を[クオリア]という。
しかも、この[クオリア]。貴方の感じている赤の質感と私の感じている赤の質感は別物である可能性があるのだ。
何故なら別の質感でも問題はナイからだ、経験によって「この質感はこんな意味」というのは後付されるからだ。

クオリアを感じない物


普段、何らかの情報を手にするとクオリアを感じる。
三角形のクオリア、赤いクオリア、青いクオリア、音のクオリア...etc
とにかくいくらでもクオリアがあふれている。
ところでクオリアがわかる方へ。自分自身の思考にクオリアを感じますか?
どうも気づいたのだが思考そのものはどうやらクオリアになっていないらしいのである。
(それとも私だけだろか?私はどうも思考その物を思考しえないのだ。)
これはどういうことを示しているのだろうか?
深く考えてみたい。

新しいBlogを建てること。

2005-02-17 18:54:50 | その他
Blogを立てたのはいいのだけれども、BlogというSystemの最大の利点を生かすにはどのようにするべきだろうか?
そこで、BlogというSystemにとって重要な要素をいくつか挙げてみたい。

・記事
・RSS
・Trackback

記事は「よりよい物を作る」という結論以上(どうやればそうなるか)は完全に文学の範疇であるし、
RSSについては「便利だから」以上に語ることは少ない。
そこでTrackBackについて語ってみることにしよう。

ここでいうTrackbackとはつまり、他人のBlogからの逆リンクのことである。
そして、そのリンクを即時に検知(まあ正しくは検知というより通知された情報を配信しているに過ぎないが。)するものだ。

Trackbackがなぜ重要なのだろう?
それはBlogの情報がどんどん広がり、ハイパーリンクという機能を最大限に生かすことにつながるからだ。
そもそも、インターネットの元の目的はこの情報の相互的・相補的な関係を作り上げることだった。
何か話題となるものがあればすぐに誰かがBlogでそれを取り上げる。
その人の考察を読み「さらに発展させる力」をTrackbackは持っている。
・・・
しかし、Trackbackにはすでにいくつかの問題がある。
TrackbackSpamもそうだけれども、ほかにもある。
もしたくさんのBlogからのTrackbackがあったとすると「情報過多」により「よい考察があまりよくない考察に埋もれる」事態が発生しうる。
現にそのような状況は実に多い。
しかし、これを解決する方法はなかなかない。人の手にしうる情報の限界なのかもしれない。
そうなってくるとTrackbackの目的は変わってしまうのだ。
つまり、「記事の作者がどのような考察に発展したのかを確かめる」ための物となる。
・・・しかし、これは大きい。多くのTrackbackをもらう作者はより発展させる力が多いはずだからだ。
このBlogと私はどれほどのTrackbackをもらえるだろうか?