ココロ散歩道

心理士の何気ない日記です 
sakurajuku-takanohara.jimdosite.com

ねこあつめー和箪笥

2015-10-15 08:52:25 | 日記
フルに入るとこんな感じ
チラ見がかわいいです。
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たまたま木津川市ー円成寺ー

2015-10-13 13:48:02 | 日記・エッセイ・コラム
柳生への道。
穴場っぽいいかにもなところです。

木津川市から20~30分のところでした。
夫が以前から気になっていたとのこと。
素晴らしいお寺でした。
私は特にお庭が気に入りました。
若き日の運慶が造ったという仏様にも会えました。
二歳の像とされる聖徳太子にも。

お寺全体の佇まいが、
ひとつの異空間。
しんとした雰囲気、
平安時代からの悠久の歴史を感じられる場所でした。

庭の美しさは格別でした。
まだ紅葉は早いと思っていたのに、
標高350メートルほどあるお山のお寺なので、
少し寒くて、もう紅葉が色付きかけていました。
あとひと月もしないうちに
すっかり紅く染まってしまうだろう
という感じでした。

時折コーンという鹿おどしの音、
どこから聞こえているのか、
子どもと一緒に探してみました。
どこにあったかは、内緒です。
探してみてくださいね。

それと、拝観受付をなさっている
品のよい女性の方。
今でこそお年を召しておられるけれど、
大変美しい方であられただろうと
推察されました。
尋ねるといろいろと丁寧に教えて下さいました。
このお寺大事にされている気持ちが伝わってくるように思いました。






末娘の足跡。
ズザーっとわざわざ砂利を押しのけながら
歩いた跡です。
住職さまゴメンなさい。
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たまたま木津川市ー観光地、宇治へ

2015-10-13 13:17:33 | 日記・エッセイ・コラム
穴場が好きな私ですが、
たまには有名どころでお土産など
それらしいのも楽しいかなと思います。

特に小さな子どもを連れていると、
教科書に出ているお寺や、
可愛いお土産物など見せたくなってしまう。

てなわけで、
今日は末娘の
「十円玉のとこいく」
のひと言で、
宇治の平等院へ行くことに。




藤袴、素敵ですね。

いくつもの橋が架かっている川の風情もまたよろし。って感じです。
流れの絶えない川の水をぼーっと眺めてしまいました。山の間に流れているのが、
美しかったです。

10円玉…確かに。
そのままのお姿でした



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クライエントとして(2)

2015-10-07 15:36:07 | 日記
カウンセラーと会ってすぐの記事を書いてから、流れて行った時間、ひと月半。
この間も、なんとかかんとかやってきた感じ。
夏よりは少し、落ち着いて、元気のある時間も増えてきたような気がしていたけれど、
それも浮いたり沈んだりを繰り返しているような気がする。
イライラしやすくて気が短くなっている。
とか、先のことを不安がって決められなくなっている。
とか、そりゃもういろいろと鬱だなぁ
と実感することも多いのだけど、
なんとかかんとか、周りに迷惑かけながら、毎日少しずつ前向いて前向いて、
と思って生活している。

秋が訪れて朝夕涼しくなって、
本当はしのぎやすくなったね、過ごしやすくなったね、
いい季節だね
と喜んでもいいのに。

近頃は季節の変わり目に寂しさも増すのか、
鬱の波が来ているような気がする。

何を見ても父母の死に遠くつながっていき、
むなしい、悲しい気持ちになってしまう。
落ち込んだ時は、そこから逃げられない苦しさがあって、
周りの人に対しての優しさも削がれて、
みじめな自分のように感じて、
ほんとにつらくなってしまう。

優しい母でいたいけど、
イライラしたり、すぐに泣きたくなったり、
不安が大きくていろいろ言って惑わせてしまったり。


すべてのことがうまくまわらない感じが予期不安として訪れてくると
本当に参ってしまう。
布団でひとりで泣いていたいけど、
そんなこと本当にしたってつらいだけだと思って、
何にもできなくなってしまう。



この間ね、夢を見た。
家族に置き去りにされて怒って自分だけ帰ってしまう夢なんだけど、
途中で引き返してきて家族を探す。
そしたら、家族は私がいなくなったことに気が付きもしないで、
楽しそうに遊んでいて、私はまた悲しくなってしまう。
私って、なんなんだろう。心配もされなくて、
家族の世話をするのが当たり前と思われていて、
掃除しても洗濯しても、食事を作っても当たり前と思われていて
どれだけ労力を費やしても感謝もされないで、
遊ぶときも別に必要なくて。

家族を遠目にみて必要とされてないんだな、って孤独感に悲しくなっていたところ
ふいに人ごみから父が現れて、
まっすぐ私のところへ進み、真正面から抱きしめてくれた。
父のあたたかさ、小さいころの力強く抱かれた時の記憶がありありとよみがえってきた。
間違いなく父の腕、胸にしっかりと真正面から抱きしめられてる、と思った。

愛されてた。本当に、私、大事にしてもらっていた。
父が最期に残した言葉は、もう目も開くことままならない状態なのに、
一生懸命見開いて、
私を見て
「かわいい」といったその一言だった。


親の愛ってすごいね。
男親の愛、父の愛って、たくましくて。いつまでもいつまでも
守ってやろうって思ってるのね。
どんなに年をとっても、病に侵されても、
娘のことはいつまでも守ってやりたいって思ってくれる。

真正面から私を抱きしめてくれた父の腕の、胸の暖かさ。
間違いない感じがして涙が出た。やっと会いに来てくれた。
死から4か月。私、お父さんを待ってた。
涙はあとからあとから流れて枕をぬらした。

お父さんありがとう。
やっぱり、なんか、ありがとうっていう言葉ばっかり出てくる。

しっかりしないとな、と思うよ。
お父さんは前向きでへこたれない私が好きだった。
前向きでへこたれないところはお父さん譲りだとも自負してきた。
今こんなだけど、いつかきっとまた楽しい時間を過ごせるように、なりますよね。
今こんなだけど、許してね。

今まで本当にありがとう。
精一杯、生きるよ。お母さんと見ててね。
ありがとう。











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たまたま木津川市ー浄瑠璃寺

2015-10-05 09:01:30 | 日記
池のカメ。
何年も前に、知らないおっちゃんが
まだ幼かった長女に伝授した技。
浄瑠璃寺参道の手前の売店で売っている
長い麩を、カメにかじらせる。
手にかじられる実感が伝わって
とっても面白い!
で、夢中。

歴史は引き継がれ、
妹たちが今、夢中。

ただ、これ勝手にやっていいものか…
昨日久しぶりに行ったら、
浄瑠璃寺もなんか手入れされて
観光地らしくなっていたので
昔のように勝手にエサやったりしたら
ダメかも…な感じもあり(^_^;)


それにしても境内の花も美しく、
もうひと月経ったらさぞ紅葉がきれいだろうなって、
思いました。

塔はさすがな趣です。
本堂も塔同様、池越しがやはり素晴らしく
心惹かれる景観でした。




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