ココロ散歩道

心理士の何気ない日記です 
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クライエントとして(2)

2015-10-07 15:36:07 | 日記
カウンセラーと会ってすぐの記事を書いてから、流れて行った時間、ひと月半。
この間も、なんとかかんとかやってきた感じ。
夏よりは少し、落ち着いて、元気のある時間も増えてきたような気がしていたけれど、
それも浮いたり沈んだりを繰り返しているような気がする。
イライラしやすくて気が短くなっている。
とか、先のことを不安がって決められなくなっている。
とか、そりゃもういろいろと鬱だなぁ
と実感することも多いのだけど、
なんとかかんとか、周りに迷惑かけながら、毎日少しずつ前向いて前向いて、
と思って生活している。

秋が訪れて朝夕涼しくなって、
本当はしのぎやすくなったね、過ごしやすくなったね、
いい季節だね
と喜んでもいいのに。

近頃は季節の変わり目に寂しさも増すのか、
鬱の波が来ているような気がする。

何を見ても父母の死に遠くつながっていき、
むなしい、悲しい気持ちになってしまう。
落ち込んだ時は、そこから逃げられない苦しさがあって、
周りの人に対しての優しさも削がれて、
みじめな自分のように感じて、
ほんとにつらくなってしまう。

優しい母でいたいけど、
イライラしたり、すぐに泣きたくなったり、
不安が大きくていろいろ言って惑わせてしまったり。


すべてのことがうまくまわらない感じが予期不安として訪れてくると
本当に参ってしまう。
布団でひとりで泣いていたいけど、
そんなこと本当にしたってつらいだけだと思って、
何にもできなくなってしまう。



この間ね、夢を見た。
家族に置き去りにされて怒って自分だけ帰ってしまう夢なんだけど、
途中で引き返してきて家族を探す。
そしたら、家族は私がいなくなったことに気が付きもしないで、
楽しそうに遊んでいて、私はまた悲しくなってしまう。
私って、なんなんだろう。心配もされなくて、
家族の世話をするのが当たり前と思われていて、
掃除しても洗濯しても、食事を作っても当たり前と思われていて
どれだけ労力を費やしても感謝もされないで、
遊ぶときも別に必要なくて。

家族を遠目にみて必要とされてないんだな、って孤独感に悲しくなっていたところ
ふいに人ごみから父が現れて、
まっすぐ私のところへ進み、真正面から抱きしめてくれた。
父のあたたかさ、小さいころの力強く抱かれた時の記憶がありありとよみがえってきた。
間違いなく父の腕、胸にしっかりと真正面から抱きしめられてる、と思った。

愛されてた。本当に、私、大事にしてもらっていた。
父が最期に残した言葉は、もう目も開くことままならない状態なのに、
一生懸命見開いて、
私を見て
「かわいい」といったその一言だった。


親の愛ってすごいね。
男親の愛、父の愛って、たくましくて。いつまでもいつまでも
守ってやろうって思ってるのね。
どんなに年をとっても、病に侵されても、
娘のことはいつまでも守ってやりたいって思ってくれる。

真正面から私を抱きしめてくれた父の腕の、胸の暖かさ。
間違いない感じがして涙が出た。やっと会いに来てくれた。
死から4か月。私、お父さんを待ってた。
涙はあとからあとから流れて枕をぬらした。

お父さんありがとう。
やっぱり、なんか、ありがとうっていう言葉ばっかり出てくる。

しっかりしないとな、と思うよ。
お父さんは前向きでへこたれない私が好きだった。
前向きでへこたれないところはお父さん譲りだとも自負してきた。
今こんなだけど、いつかきっとまた楽しい時間を過ごせるように、なりますよね。
今こんなだけど、許してね。

今まで本当にありがとう。
精一杯、生きるよ。お母さんと見ててね。
ありがとう。











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