さて、原作では、サングラスを外したときのホリーについて、以下のよう説明しています。
●カポーティ
I'd never seen her before not wearing dark glasses,and it was obvious now that they were prescription lenses, for without them her eyes had an assessing squint, like a jeweller's.
龍口訳:
これまで彼女が黒い眼鏡をかけていないところを見かけたことがないが、それが処方箋でつくらせたレンズを使っている眼鏡であることが今や明らかになった。
それをかけていないと、彼女の眼は宝石屋さんの眼のように、それとわかる程度に斜視だったからだ。
村上訳:
サングラスをかけていない彼女を見るのは、それが初めてだった。サングラスが度入りであることはあきらかだった。
というのは、サングラスをかけていない彼女の目は、宝石鑑定士みたいにぎゅっとすぼめた目で、探るようにこっちを見ていたからだ。
●比較
<dark glasses>
→黒い眼鏡
→サングラス
「黒い眼鏡」または「黒眼鏡」は、時代を感じます。
<it was obvious now that ・・・>
→ ・・・が今や明らかになった。
→ ・・・はあきらかだった。
村上版は「now」を飛ばして、そのとき初めて判ったということ感じを薄めていますが、前後の文脈で、「今」が明白だと言いたいのでしょう(たぶん)。
<prescription lenses>
→処方箋でつくらせたレンズ
→度入りレンズ
「prescription」には「処方箋」の意味があり、さらに、オンライン辞書で調べると「prescription lenses」で「度入りレンズ」とありました(原典が行方不明)。
ただし、昭和39年10月1日改訂61版の「ニューコンサイス英和辞典」によると「処方箋」とはありますが、「度入りレンズ」の記載まではありません。
<assessing squint>
→それとわかる程度に斜視
→ぎゅっとしぼめた目で、探るようにこっちを見て
決定的に違う部分です。
龍口版では、「assessing」を「それとわかる程度に」としたのでしょうか?
村上版は、「assessing」を「探るようにこっちを見て」と考えて、表現しています。
<考察>
龍口版を読んだとき、宝石鑑定士が宝石を鑑定するときに目を寄せる様子(=斜視)をイメージしていました。
村上版を読んだときは、村上春樹がホリーの「斜視」のことを誤魔化して、「ぎゅっとすぼめた目」としたのかと、疑いました。
この部分で、龍口版は、「斜視」だから「矯正するために処方箋でつくらせたレンズ」であることが、今、明白になった、としているようです。
村上版は、近眼者がよくする「ぎゅっとすぼめた目」でこちらを見ていたから、「サングラスが度入りである」ことが判ったと言っています。
「squint」には、斜視のほかに「目を細めてみる」の意味があります。そして、「assessing」には「査定する」という意味があるので、ここでカポーティが言いたいのは、
「宝石鑑定士が(宝石)を査定するときのように、目を細めて見る」
と思われます。
すなわち、ホリーは「近眼」であって、「斜視」ではないのです。
龍口版の「処方箋でつくったレンズ」というのが、斜視を隠すための「黒い眼鏡」であるというのは、何となく無理があるからです。おそらく、処方箋がなくても、サングラスくらいは選べるでしょう。
従って、村上版の翻訳が正しいのでしょうが、「ぎゅっとすぼめた目」で頭に浮かんだイメージは「霊能者・宜保愛子の目」でした。
もっといい訳はないのでしょうか? 誰か、考えてください。
●カポーティ
I'd never seen her before not wearing dark glasses,and it was obvious now that they were prescription lenses, for without them her eyes had an assessing squint, like a jeweller's.
龍口訳:
これまで彼女が黒い眼鏡をかけていないところを見かけたことがないが、それが処方箋でつくらせたレンズを使っている眼鏡であることが今や明らかになった。
それをかけていないと、彼女の眼は宝石屋さんの眼のように、それとわかる程度に斜視だったからだ。
村上訳:
サングラスをかけていない彼女を見るのは、それが初めてだった。サングラスが度入りであることはあきらかだった。
というのは、サングラスをかけていない彼女の目は、宝石鑑定士みたいにぎゅっとすぼめた目で、探るようにこっちを見ていたからだ。
●比較
<dark glasses>
→黒い眼鏡
→サングラス
「黒い眼鏡」または「黒眼鏡」は、時代を感じます。
<it was obvious now that ・・・>
→ ・・・が今や明らかになった。
→ ・・・はあきらかだった。
村上版は「now」を飛ばして、そのとき初めて判ったということ感じを薄めていますが、前後の文脈で、「今」が明白だと言いたいのでしょう(たぶん)。
<prescription lenses>
→処方箋でつくらせたレンズ
→度入りレンズ
「prescription」には「処方箋」の意味があり、さらに、オンライン辞書で調べると「prescription lenses」で「度入りレンズ」とありました(原典が行方不明)。
ただし、昭和39年10月1日改訂61版の「ニューコンサイス英和辞典」によると「処方箋」とはありますが、「度入りレンズ」の記載まではありません。
<assessing squint>
→それとわかる程度に斜視
→ぎゅっとしぼめた目で、探るようにこっちを見て
決定的に違う部分です。
龍口版では、「assessing」を「それとわかる程度に」としたのでしょうか?
村上版は、「assessing」を「探るようにこっちを見て」と考えて、表現しています。
<考察>
龍口版を読んだとき、宝石鑑定士が宝石を鑑定するときに目を寄せる様子(=斜視)をイメージしていました。
村上版を読んだときは、村上春樹がホリーの「斜視」のことを誤魔化して、「ぎゅっとすぼめた目」としたのかと、疑いました。
この部分で、龍口版は、「斜視」だから「矯正するために処方箋でつくらせたレンズ」であることが、今、明白になった、としているようです。
村上版は、近眼者がよくする「ぎゅっとすぼめた目」でこちらを見ていたから、「サングラスが度入りである」ことが判ったと言っています。
「squint」には、斜視のほかに「目を細めてみる」の意味があります。そして、「assessing」には「査定する」という意味があるので、ここでカポーティが言いたいのは、
「宝石鑑定士が(宝石)を査定するときのように、目を細めて見る」
と思われます。
すなわち、ホリーは「近眼」であって、「斜視」ではないのです。
龍口版の「処方箋でつくったレンズ」というのが、斜視を隠すための「黒い眼鏡」であるというのは、何となく無理があるからです。おそらく、処方箋がなくても、サングラスくらいは選べるでしょう。
従って、村上版の翻訳が正しいのでしょうが、「ぎゅっとすぼめた目」で頭に浮かんだイメージは「霊能者・宜保愛子の目」でした。
もっといい訳はないのでしょうか? 誰か、考えてください。