貧乏草

2020-06-25 05:52:01 | 日記
子供の頃 貧乏草を摘んだり、誰かに投げたり、投げられたりしたことはありますか。

私はすべて経験しました。残酷な糞餓鬼の一員でしたもんで、友達同士で冷やかし合い、貧乏草を摘まんで一緒に投げ合うのが帰り道の娯楽の一つでした。




貧乏草を摘んだら貧乏になる、貧乏草を投げられた人は貧乏になる。というよくある言い伝えを皆は純粋に信じ、純粋に傷つけ合って下校していたのです。




大人になった今であれば恐ろしくてそんなこと出来たもんではありません。


貧乏人を冷やかすこと、下品な振る舞いをしながら歩くこと、世の中を知らずに無造作に野草を千切り生きていくことが
恐ろしくて堪りません。


子どもは残酷ではありませんか。
何も知らないから出来ることがたくさんありますから
ヒーローにもサイコパスにも振る舞えます



何故誰かを冷やかすことをしてはいけないのか、何故人を傷つけてはいけないのか

恐いもの知らずな子どもたちはお互いを傷付け合ってズタボロになります。



子供の頃された嫌なことやトラウマって沢山ありますよね。

腸が煮え繰り返るほどされた嫌なことは沢山覚えているけれど、自分が誰かを加害したことに関してはすっからかんになる人間の頭ってとても良く出来上がっていませんか。


糞餓鬼の頃は嫌なこともしたし、嫌なこともされました。


子供の頃を思い返していると
自分がされた嫌なことのほうがよく覚えているのに
してしまった嫌なことは無意識に忘れようとしてることに気づきます。



罪悪感は後に自分が傷つかないためにあるものなのかもしれません。


誰かを傷つけることによって、やってしまったという後悔を背負って後に自分が傷つくことが怖いから 今後防衛するために罪悪感を覚えるのか、性善説として、様々な物事を見られる大人になったら覚えていくのか。


どちらでしょうか。

私は確実に前者です。
面倒なこと全て嫌いですし、責任とか背負うとか、そういう言葉聞きたくないですね。傷つくのとか無理すぎです。



楽そのものが一番大好きですよ
楽したいから早めに面倒なことを背負って今後のために責任を負うことができるんです。


どちらにせよ、今まで生きてきた軌跡に善悪の基準を抜きにして、自分が行ったことはすべて自分が背負って生きていかないといけないことがなにより残酷かもしれません。





誰も今後の記憶に残ることなど背負うつもりもなく、私は貧乏草を投げましたし投げられました。


後生はしっかり投げてしまったこと投げられたことを背負って



これからも意地汚く生きていくしかないんですねゑ。

貧乏草そのものは ハルジオンの可愛い名前で綺麗なのに



やはり人間なので花のように綺麗に咲けませんでした。










という漫画をですね、ちょっと描きたいんですよ。  恋愛漫画です
最近目眩に悩まされてます 絵はもちろん、今後やろうとしてたpc作業もしづらくまいってます。






犬の愛らしい後ろ姿で浄化されたまヱ全人類よ………目覚めの時が来た…

浄めたまえもふりたまえ鎮まりたまえ
難事に打ち勝つお犬様のもふみにあらんことを……



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