鞦韆院落

北京で過ごすインディペンデント映画な日常

山形日記4

2009-10-24 02:22:34 | 映画祭報告


10月15日から19日まで、山形県上山市の古屋敷地区で「日中ドキュメンタリー映画道場」が開催されました。
山形映画祭に来た日本と中国の監督たちや関係者が総勢30名ほど集って、4泊5日の合宿をしようという企画です。
ここは小川紳介監督の『ニッポン国・古屋敷村』が撮られたところであり、日本のドキュメンタリー映画にとっては言わば聖地のひとつであるわけですが、今は過疎が進んで2世帯程度しか残っていないそうです。
たいそうな山奥を想像していたのだけど、JRの駅からマイクロバスで20分ほどで着きました。

中国からのゲストの中には、昨年北京で『ニッポン国・古屋敷村』を見た人も多かったし、ここに来ることをとても楽しみにしていたようです。
私もそのとき中国語字幕を作る仕事をしたので、こことは縁を感じていて、現地の風景を見たときは感激しました。

到着するとすでに地元メディアが取材に来ていて、インタビューやら何やらで大変でした。
NHKをはじめ数局のローカルニュースで放送されていたようだし、新聞記事にもなっていました。



宿泊に利用したのは古い民家で、今は観光客用に開放されている建物です。
裏には川が流れ、滝があったりしてなかなか良いところ。
太陽光線が肌に刺さるほど空気が澄んでいて、夜は天の川がきれいに見えます。
紅葉が少し始まったくらいの過ごしやすい気候で、連日晴天で、とても快適でした。

地元の方たちの全面協力で、昼と夜は毎回豪勢な食事を出していただきました。



芋煮をはじめ、岩魚の塩焼きや岩魚の刺身、手打ちそば、山で採れたキノコなど様々で、どれも美味いので、大して動いてもないくせにたくさん食べてしまいます。
そして夜は例によって3時ごろまで酒を飲みながら談笑するという毎日。
私はあまり仕事はできないけど通訳として参加させてもらい、この贅沢なイベントを楽しませていただきました。





もちろん、映画道場ですから食べてばかりではありません。
近所のせせらぎ館というところで映画を上映し、東京から来ている講師の方々から連日お話を聞かせてもらいます。
更に、グループに分かれて8ミリ映画を撮影し、それを自家現像して、地元の人たちを招いて上映会をしました。





また、「古屋敷村の保存を考える会」の人たちと共に茅葺屋根に使う茅を刈るなど、地元の人たちと交流しながら山村生活を体験するという貴重な経験も得られました。



映画祭のときはあまり皆と話さなかった人も、ここではすっかり打ち解けて毎晩熱い会話が繰り広げられていました。
最終日にはふもとの上山温泉の旅館に泊まり、温泉まで体験して、中国のゲストたちも大変な喜びよう。
みんな大感激で山を後にしたのでした。

山形日記3

2009-10-23 00:45:28 | 映画祭報告
13日の目玉は何と言っても呉文光の『操他[女馬]電影(ファック・シネマ)』です。
160分もあるし、これだけ寝不足だから少しは眠れるだろうと思ったけど、まったく眠らせてもらえずに見入ってしまいました。

北京を舞台に、映画にかかわる人々を撮った作品で、映画のエキストラをしながら脚本を書いている男をメインに、海賊版DVDを売っている男、オーディションを受けに来た若い女優たちなどにカメラを向けています。
当初は『我愛電影』というタイトルで、90分ほどのバージョンにまとめていたそうです。
そこには監督自身の声は入っておらず、テレビ局などに売りやすい、いわゆるきれいなドキュメンタリーに仕上がっていたのだけど、そこに自分の撮りたいものが映っていないと考え、今のバージョンが作られました。
今度は監督自身の声が入り、姿こそ映っていないものの、主要登場人物のひとりになっています。
そして、ドキュメンタリーが人の生活をどう変えられるのか、という問いに正面から向き合い、自分も含めて映画そのものを痛烈に批判した作品になっています。
中国ドキュメンタリー映画の父と言われる彼が、こういう境地に行きついていたのかと思うと、感慨深いものがあります。



2005年にこの作品を完成させた呉文光は、この映画を映画祭に出すこともせず、これ以降作品を世に出すこともありませんでした。
今では農民たちをトレーニングさせて、農村記録映画を撮らせています。
私は正直そんな彼を見て生ぬるいことをしてるなあと思ったりもしていたのだけど、これを見たらすべてが納得できました。
まさに『ファック・シネマ』です。

構成がとてもよくできているし、目の覚めるような場面があったり、張元や張献民が出てきて笑えたり、まったく長さを感じさせないところも流石です。
監督はあまり上映させたくないようだけど、私としては多くの人に見てほしい気がします。
今回の山形で一番の収穫でした。


中国から来た人たちも大勢『ファック・シネマ』を見ていたので、終わってからみなでラーメンを食べ、一緒に『馬先生の診療所』のQ&Aへ。
215分もあるこの映画はやはり観客が少なめではありましたが、それだけに熱心な観客が残っていて、時間が過ぎても質問し足りない様子でした。



私は北京、南京の映画祭のほか、都内で身内でやっていた鑑賞会でも見ているのだけど、いつも寝てしまうのです。
方言で何も聞き取れないし、人々がひたすらしゃべるので、ずっと中国語字幕を追いかけているのが大変なのもあって、集中力がどうしても途切れるのです。
長いし。
監督にはいつも長いと文句を言うのだけど、彼は長くないと言い張るし、観客の中にも長さを感じなかったと褒める人がいるものだから、それでいいと思われているようです。
でも、今回は私だけでなく何人かで長い長いと言ったものだから、監督も弱気になって「次の作品は短くする」と話してました。
本当はここで日本語字幕でこの映画を見直せることを楽しみにしてたのだけど、プログラムの都合で見られず残念でした。
来年もし東京でやったら、ぜひ見てみようと思います。
あと、この映画は近々現象工作室からDVDが発売される予定なので、中国語/英語字幕で良い人は購入をお勧めします。


さて、これで中国の作品はすべて上映終了となりました。
ゲストの中には温泉に行った人もいれば、美術館や博物館めぐりをした人、ひたすら映画を見た人など様々だったようです。
私は結局あまり映画は見てなくて、昼間はボーっとして夜は酒を飲んでの繰り返しで、呉文光からは最終日に「なんで俺が元気なのに、お前が疲れてるんだ」と言われてしまいました。
でも、まだここでバテるわけにはいきません。
何しろ、私が山形に来た理由は映画祭よりもその後に開かれる日中映画道場にあるのですから。


閉幕式では各賞の発表があり、中国作品は『ハルビン螺旋階段』と『細毛家の宇宙』が特別賞、『馬先生の診療所』が日本映画監督協会賞を受賞しました。
十分な結果だったかどうかは分かりませんが、数ある作品の中で中国の作品が多く選ばれたことは良かったのではないでしょうか。






山形日記2

2009-10-22 02:21:22 | 映画祭報告
ホテルが会場から少し遠いし、料金も安くないので2日目は某ホテルチェーンへ移動です。
ここがなんとシングル1泊3,980円という激安ぶり。
山形って物価安いんですね。
部屋は普通だし、ちゃんと禁煙ルームだし、そのうえキャンペーンにつき有料チャンネルが見放題(連日寝不足だったのは別にそのせいじゃありません)。
中国から来た監督のひとりにそれを言うと、「俺のホテルは2分しか見られなかった」と残念がっていました。


日本の作品を見た後、午後に『麗江で鷹を放つ』を鑑賞。
これは香港の監督によるもので、雲南の麗江で伝統として続く鷹狩りを楽しんでいるナシ族の人々を撮った映画です。



すっかりテーマパークのようになっている麗江古城の中で、今でも鷹の売買が行われていることに驚かされます。
ナシ語の台詞に一切字幕が付いてないことからもわかるように、監督はこの地域にあまり入りこんでおらず、やや浅い印象は否めません。
鷹が獲物を捕える決定的な瞬間を捉えているわけでもないので、映像的な物足りなさもあります。
テーマそのものが面白いのと、登場人物たちに救われている感じがしました。


その後は黄偉凱監督の『現実、それは過去の未来』へ。
祭日だったこともあってか、これが通路にまで人があふれるほどの超満員。
私は関係者パスをもらっていたので、普通のお客さんに遠慮して入るのをやめ、Q&Aから入場しました。
この映画は昨年の南京で関係者からDVDをもらっていて見ていたのだけど、当時はまだ英語タイトルも違ったし、今より長いバージョンでした。
いろんな人がニュース映像としてテレビ局に売りつけるために撮ったテープを集めてつないだものです。
全編白黒で、画像も荒く、編集の順序もバラバラな映像の中に、事故などの何とも妙な光景が繰り広げられていきます。



Q&Aでは白黒にした理由や音の使い方など技術的な質問が多く出ていました。
100時間にも及ぶニュース映像を編集し、様々な事故や事件の映像を見ているうちに、かなり精神的に疲労してしまい、レストランで通り沿いのガラス付近に座っているとトラックが突っ込んできそうな強迫観念に襲われたと話していたのが印象的でした。


それが済むと部屋に戻って洗濯。
寝不足なのでベッドに横になっていたら、雲南出身で今は香港の大学で中国インディペンデント映画の研究をしている大学院生から電話があり、一緒に夕食を食べようとのこと。
でも、山形ってレストランそのものが少ないうえ、閉まるのが早いんです。
まるで中国の東北みたい。
仕方なしにその辺のラーメン屋に入って、激辛ラーメンをごちそうすることに。
彼女は壁にかかった「おしん」の主演女優のサインに感激し、写真に収めていました。

その夜はかつて山形映画祭で使っていたミューズという映画館が閉館したため、そのお別れパーティーがありました。
審査員で来ている呉文光をはじめ、多くの人たちが参加してました。
それが終わると、日本人の若手監督たちと10人くらいでバーに移動し、4時まで飲酒。
連日4,5時間しか寝ないのは、さすがに疲れます。

山形日記1

2009-10-21 23:30:23 | 映画祭報告
山形でエネルギーを使い果たしたため、しばらく充電中です。
TIFFの真っ最中ではありながら、戻った時にはすでに始まっていたし、チケットも買えてなかったり、他の予定もあったりして、今年はほとんど見られそうにありません。
でも、山形が楽しかったからいいのです。
少し時間が経ってしまいましたが、思い出せることを書き連ねていこうと思います。


夜行バスで朝6時半に山形駅前に着くと、とりあえず近くのビジネスホテルに飛び込みで宿探しです。
安宿は予約でいっぱいだという情報を得ていたので不安だったのですが、案外あっさり見つかり、荷物をフロントに預けました。
上映は10時からなので、3時間以上も時間をつぶさなければなりません。
繁華街にマクドナルドを見つけるも、営業は朝9時から夜10時まで。
にもかかわらず、入口には「もう開いてる まだ開いてる」の標語が。
開いてないよ。

仕方がないので公園などで暇をつぶし、10時前に会場のひとつである山形市民会館へ小ホールへ。
ここでは上映ではなく、阿部マーク・ノーネスさんによる翻訳をテーマにしたセミナーが行われました。



この方は主に日本のドキュメンタリー映画を研究しているアメリカの大学教授で、日本語も達者で、字幕翻訳もされています。
彼は翻訳者や通訳者が見えない存在にさせられていることに不満を持っていて、もっと既存のルールを打ち破るような個性的な字幕があっていいじゃないかと提案しています。
例えば、フォントや色が一番印象に残らないつまらないものだったり、ゴダールの映画とハリウッドの娯楽映画では原語でかなり違うはずなのに、字幕にしてしまうとどれも大差ない分かりやすい言葉使いになっていたり、母国語の人でも大多数が聞き取れない方言で話されている言葉が、字幕ではすべてきれいに訳されていたりすることに違和感を覚えると言います。
参考に流れた実際に彼が訳した日本のドキュメンタリーでは、多くの日本人が聞き取れない方言のところは話しているのに字幕が出ず、聞き取れる単語だけがポツポツと出てきました。
もちろん、それに対する批判もあったそうですが、彼は監督から直接翻訳の依頼を受けており、監督の同意のもとでやっているのでこういう冒険も許されるのでしょう。
確かに、母国語の人が見ているのと近いイメージを持ってもらうには有効な手段かもしれません。

最近中国のインディペンデント映画の中には、話者によって字幕の色を変えたり、電話のシーンで相手の声が音声としては流れずに字幕で表記しているものがあります。
字幕があることが当然でありながらルールのない中国ならではだなと思いながら見ていましたが、今回の話を聞いているうちに、日本でももう少し多様な字幕があっていいような気がしてきました。
そうは言っても、主に配給会社から仕事をもらっている日本の翻訳者には難しいことかもしれませんが。

ところで、彼は最近中国のドキュメンタリー映画に大変関心を持っていて、北京紀録片交流週や雲之南にも足を運んでいます。
やはり中国の作品は世界から注目を浴びているということでしょうか。


午後は、『細毛家の宇宙』の会場へ。
映画はすでに上映中で、扉を開けるなりいきなり爆睡してる人たちが見えたのには苦笑しましたが、Q&Aでは作品を評価する声がいくつも聞けました。



監督の毛晨雨は農村出身で、故郷を記録した「稲電影」という作品集を作り続けています。
今回の『細毛家の宇宙』はその長編7本目で、昨年大病をして生きることの意味を考え直したという監督が、自分を記念するために撮った作品。
以前にも紹介したようにちょっと変わった意欲的なドキュメンタリーなので、評価は分かれると思いますが、後で日本の監督たちに話を聞くと好きだという人が多数いました。

私がこの作品を最初に観たのは今年の雲之南でした。
実を言うと、その時はわけがわからなくて、1時間くらい見てから別会場の作品を見に移動してしまったのです。
ところが、もう1回見なければならないことになりました。
と言うのも、外国人に見せることを想定していなかった彼は、審査員に日本人がいたにもかかわらず英語字幕を入れてなかったため、その審査員が私に同時通訳をしてくれと頼んできたのです。
でも、方言が聞き取れないうえ、字幕も方言のまま文字にしたものが多いのでほとんど理解できず、かなり大雑把な訳になってしまいました。
でもその審査員はいたく気に入って、ぜひ山形に応募するよう監督に勧めたようでした。

監督は当初応募する気がなかったそうですが、再三の勧めでDVDを山形映画祭に送ってきました。
ところが、またしても英語字幕がないのです。
それでは選考ができないので、大まかでいいからスクリプトを訳してもらえないかと再び私のところに依頼が来ました。
雲南で見たから分かるだろうと言うのです。
映像なしでスクリプトだけ渡されたこともあり、かなり適当に訳して渡したのですが、意外にもこれが選ばれてしまい、映画祭で上映されることになってしまいました。
そこで「せっかくここまで訳したのだから」と字幕翻訳も依頼されてしまい、プロじゃないからと一度は断ったものの、結局やることに。
監督が注釈つきのスクリプトを送り直してもらったり、日本語のできる中国人に相談したりしながら、なんとか形にすることができました。
もしマークさんの言うような冒険した字幕にするなら、もっと分かりにくい日本語を使っても良かったかなという気もします。
もし来年東京で上映があったら、どんな映画か見てください。


夕方からはコンペの作品を2本見て、この日は終了。
プレスセンターに行くと、北京から着いたばかりの友人がいたので、一緒に焼き鳥屋へ。
さらに香味庵という映画祭と提携している飲み屋へ行って、2時ごろまで馴染みの人たちと語りました。
2年前に来た時は知ってる人なんて誰もいなかったのに、今では所々で知り合いに会います。
この2年間でずいぶんこの世界に踏み込んだことを実感します。