山形でエネルギーを使い果たしたため、しばらく充電中です。
TIFFの真っ最中ではありながら、戻った時にはすでに始まっていたし、チケットも買えてなかったり、他の予定もあったりして、今年はほとんど見られそうにありません。
でも、山形が楽しかったからいいのです。
少し時間が経ってしまいましたが、思い出せることを書き連ねていこうと思います。
夜行バスで朝6時半に山形駅前に着くと、とりあえず近くのビジネスホテルに飛び込みで宿探しです。
安宿は予約でいっぱいだという情報を得ていたので不安だったのですが、案外あっさり見つかり、荷物をフロントに預けました。
上映は10時からなので、3時間以上も時間をつぶさなければなりません。
繁華街にマクドナルドを見つけるも、営業は朝9時から夜10時まで。
にもかかわらず、入口には「もう開いてる まだ開いてる」の標語が。
開いてないよ。
仕方がないので公園などで暇をつぶし、10時前に会場のひとつである山形市民会館へ小ホールへ。
ここでは上映ではなく、阿部マーク・ノーネスさんによる翻訳をテーマにしたセミナーが行われました。
この方は主に日本のドキュメンタリー映画を研究しているアメリカの大学教授で、日本語も達者で、字幕翻訳もされています。
彼は翻訳者や通訳者が見えない存在にさせられていることに不満を持っていて、もっと既存のルールを打ち破るような個性的な字幕があっていいじゃないかと提案しています。
例えば、フォントや色が一番印象に残らないつまらないものだったり、ゴダールの映画とハリウッドの娯楽映画では原語でかなり違うはずなのに、字幕にしてしまうとどれも大差ない分かりやすい言葉使いになっていたり、母国語の人でも大多数が聞き取れない方言で話されている言葉が、字幕ではすべてきれいに訳されていたりすることに違和感を覚えると言います。
参考に流れた実際に彼が訳した日本のドキュメンタリーでは、多くの日本人が聞き取れない方言のところは話しているのに字幕が出ず、聞き取れる単語だけがポツポツと出てきました。
もちろん、それに対する批判もあったそうですが、彼は監督から直接翻訳の依頼を受けており、監督の同意のもとでやっているのでこういう冒険も許されるのでしょう。
確かに、母国語の人が見ているのと近いイメージを持ってもらうには有効な手段かもしれません。
最近中国のインディペンデント映画の中には、話者によって字幕の色を変えたり、電話のシーンで相手の声が音声としては流れずに字幕で表記しているものがあります。
字幕があることが当然でありながらルールのない中国ならではだなと思いながら見ていましたが、今回の話を聞いているうちに、日本でももう少し多様な字幕があっていいような気がしてきました。
そうは言っても、主に配給会社から仕事をもらっている日本の翻訳者には難しいことかもしれませんが。
ところで、彼は最近中国のドキュメンタリー映画に大変関心を持っていて、北京紀録片交流週や雲之南にも足を運んでいます。
やはり中国の作品は世界から注目を浴びているということでしょうか。
午後は、『細毛家の宇宙』の会場へ。
映画はすでに上映中で、扉を開けるなりいきなり爆睡してる人たちが見えたのには苦笑しましたが、Q&Aでは作品を評価する声がいくつも聞けました。
監督の毛晨雨は農村出身で、故郷を記録した「稲電影」という作品集を作り続けています。
今回の『細毛家の宇宙』はその長編7本目で、昨年大病をして生きることの意味を考え直したという監督が、自分を記念するために撮った作品。
以前にも紹介したようにちょっと変わった意欲的なドキュメンタリーなので、評価は分かれると思いますが、後で日本の監督たちに話を聞くと好きだという人が多数いました。
私がこの作品を最初に観たのは今年の雲之南でした。
実を言うと、その時はわけがわからなくて、1時間くらい見てから別会場の作品を見に移動してしまったのです。
ところが、もう1回見なければならないことになりました。
と言うのも、外国人に見せることを想定していなかった彼は、審査員に日本人がいたにもかかわらず英語字幕を入れてなかったため、その審査員が私に同時通訳をしてくれと頼んできたのです。
でも、方言が聞き取れないうえ、字幕も方言のまま文字にしたものが多いのでほとんど理解できず、かなり大雑把な訳になってしまいました。
でもその審査員はいたく気に入って、ぜひ山形に応募するよう監督に勧めたようでした。
監督は当初応募する気がなかったそうですが、再三の勧めでDVDを山形映画祭に送ってきました。
ところが、またしても英語字幕がないのです。
それでは選考ができないので、大まかでいいからスクリプトを訳してもらえないかと再び私のところに依頼が来ました。
雲南で見たから分かるだろうと言うのです。
映像なしでスクリプトだけ渡されたこともあり、かなり適当に訳して渡したのですが、意外にもこれが選ばれてしまい、映画祭で上映されることになってしまいました。
そこで「せっかくここまで訳したのだから」と字幕翻訳も依頼されてしまい、プロじゃないからと一度は断ったものの、結局やることに。
監督が注釈つきのスクリプトを送り直してもらったり、日本語のできる中国人に相談したりしながら、なんとか形にすることができました。
もしマークさんの言うような冒険した字幕にするなら、もっと分かりにくい日本語を使っても良かったかなという気もします。
もし来年東京で上映があったら、どんな映画か見てください。
夕方からはコンペの作品を2本見て、この日は終了。
プレスセンターに行くと、北京から着いたばかりの友人がいたので、一緒に焼き鳥屋へ。
さらに香味庵という映画祭と提携している飲み屋へ行って、2時ごろまで馴染みの人たちと語りました。
2年前に来た時は知ってる人なんて誰もいなかったのに、今では所々で知り合いに会います。
この2年間でずいぶんこの世界に踏み込んだことを実感します。