鞦韆院落

北京で過ごすインディペンデント映画な日常

第五回BiFF その3

2010-10-30 16:33:40 | 映画祭報告
今年のBiFFの目玉はアニメーション特集でした。
以前にも毎回2,3本の短編アニメを上映していたのですが、今回は中国初の長編アニメ『刺痛我』を上映することになり、それに合わせて短編も集めた上映をしようということになったのです。
中国は自分でフラッシュアニメを作っている若い人はわりと多くて、ネットで簡単に見ることができます。
ただ、映画としてインディペンデント・アニメを上映している場はほとんど無いそうです。
今回はそういったネットで評判になっているものを中心に、中国のフラッシュアニメの先駆者の一人である皮三(賈樟柯の『世界』などにも参加している人)がプログラム・ディレクターになって24本を集めました。
技術的に非常にレベルの高いアニメが多かったです。



私としてはアニメ特集をするならやはり日本の作品を入れるべきだと思ったので、日本の作品も探しました。
といっても、私は日本のインディペンデント・アニメなど見たこともないので、他人頼みではあったのですが。
当初は中国のアニメがそんなに増えるとは思っておらず、日本のアニメももっと上映できると考えていたのだけど、結局はかなり減らさざるを得なくなりました。
最終的に、上映された日本のアニメは2プログラムで、ひとつは『動夢』という21本の短編アニメを集めた作品、もうひとつは今回うちで集めた中田秀人さんの『電信柱エレミの恋』、原田浩さんの『妖精浮遊』『音』、山崎猛さんの『火消し屋』、にいやなおゆきさんの『人喰山』の短編5本です。

中国でアニメが好きな人は誰もが日本のアニメを観て育ち、少なからぬ影響を受けているため、中国の作家たちも日本の作家との交流を楽しみにしていたようです。
今回はにいやさんと、『動夢』の作家代表として齋藤ナスカさんが映画祭に来てくれたため、午前のディスカッションを含めいろんな交流ができました。
学生作品の作家の人たちも、全員が北京は初めてで、それも中国が初めてという人ばかり。
私は見慣れてしまった光景も、彼らには驚きの連続だったようです。



中国アニメはほとんどがギリギリになって届いたため、私は半分ほどしか見ておらず、実は長編アニメ『刺痛我』も映画祭が終わった後で南京で初めて見たという有り様。
でもこの『刺痛我』はなかなか良いのです。
仕事を失って田舎に帰ろうとしていた青年が、警察にあらぬ疑いをかけられたことをきっかけに友人と犯罪を企むという話で、中国の若い労働者たちの意識も反映しつつ、ユーモアーを交えながらテンポのいいスリリングな展開になっていきます。
吹き替えのトーンもとても抑えた感じで、音楽の使い方もとても効果的。
監督の劉健は美大で中国画を学んだ人で、その後アニメに取り組み数々の賞を受賞しています。
『ハッピー・ヒューネラル』や『チキン・ポエッツ』のアニメ部分を担当したりもしていて、商業アニメでも十分力を発揮しているのですが、インディペンデント長編アニメを制作すべく事務所を立ち上げ、3年間かけてこの作品を完成させました。
セル画はすべて自分ひとりで手書きしたそうです。
この作品はアニメ・ファンならずとも必見です。

第五回BiFF その2

2010-10-29 09:37:48 | 映画祭報告
国際学生短片節でいう“学生”とは、必ずしも大学などの正規の教育機関に限らず、ワークショップをしているトレーニング・スクールも含みます。
なにしろ、うちの学校の作品を上映することが目的のひとつですから。
当初コンペ部門を設ける予定だったのですが、応募作品が思ったほど多くなかったのと、さほど良い作品がなかったので、上映のみにとどめることとなりました。
ちなみに選考したのは王我と応亮。応募総数は40本ほどでした。
こうして公募作品から選んだ8本(香港と台湾を含む)に加え、日本の学生作品4本、香港演芸学院から4本、台北芸術大学から4本、そして栗憲庭電影学校の卒業制作10本、また短編ではないものの出来が良いので特別上映することになった『不要撮像機』の合計31本が上映されました。



日本の学生作品は『中村三郎上等兵』を上映することを以前から決めていて、その作家の中村のり子さんに吉川諒さんの『タナトス』、磯部真也さんの『dance』、高野徹さんの『濡れるのは恋人たちだけではない』を紹介してもらい、選びました。
やや安易な選考方法ではあります。
でもドキュメンタリーあり、実験映画あり、過激な劇映画ありとバラエティにとんでいるうえ、中国の作家たちにとっても新鮮で興味を惹かれるプログラムだったようです。
幸運にも4本のうち3本の作家が映画祭に来てくれたおかげで、日中の交流もできて、非常に盛り上がりました。



香港演芸学院はうちの学校の第五期で協力した関係から、昨年の卒業制作のなかから4本を紹介してもらい、上映することとなったものです。
台湾芸術大学は応亮が先生を知っていたために、交渉して上映につながりました。
いずれも非常にレベルの高い学校で、学生作品と言われなければそうは見えないプロ顔負けの作品ばかりです。
それに比べると、わずか1ヶ月あまりの授業と数日の撮影日数で作ったうちの学校の作品はだいぶ見劣りします。
正直、並べて上映するのはやや酷な気がします。

この国際学生短片節はBiFFと日程や会場を分けることなく、混合した形で開催しましたが、次回からは単独で開催するのか、それとも今回限りなのか、まだわかりません。
面白い作品が多数応募してくれば、発展する可能性はあると思うのだけど。

第五回BiFF その1

2010-10-28 19:57:33 | 映画祭報告


少し時間が経ってしまいましたが、10月1日から7日間にわたって開催された第五回北京独立電影展についてご報告します。

今回がこれまでと大きく違うところは、まず学生部門が独立して国際学生短片節という単独の映画祭を名乗っていること。
実は、本当は8月に単独で行う予定があったのですが、色々難しいのでやはり10月にまとめてやろうという事になったのです。
そういう消極的な話は隠して、今後もしかすると単独でやるかもしれないよと期待させつつ、国際映画祭などと大風呂敷を広げたのであります。
運良く、宣伝もしていないのに台湾や香港、マレーシアからも応募があったのですが、それでも中華圏ばかり。
マレーシアに至っては、選考ですべて落ちる始末。
やはり日本や韓国からも作品が欲しいということで、知り合いに頼んで日本の作品を集めてもらったり、韓国もツテを頼ってみたり。
結局韓国はダメだったものの、日本からは良い作品が4本が集まり、上映することになったのでした。
これがなかったら、台湾と中国だけで“国際”と名乗り“独立”電影を上映することになり、当局から中止させられていたことでしょう。

本祭の北京独立電影展はというと、長編フィクションが8本、長編ドキュメンタリーが8本、短編が8本、実験映画が6本、アイ・ウェイウェイ特集が3本、外国映画としてはベルギーの監督が昔の中国を撮ったドキュメンタリーが2本ありました。
また、今回は目玉としてアニメショーン特集があり、中国初のインディペンデント長編アニメが1本、短編アニメが24本、そして日本のアニメが6本上映されました。

会場は、おなじみの現象工作室の地下ホールに加え、今回は隣にある王我の家の地下室も臨時の上映ホールとして改装し、隣り合う2ヶ所での上映です。
以前使っていた美術館は少し歩かなければならないし、宋荘鎮政府の管理下にあることもあって、いろいろと面倒なのです。
一ヶ所にまとまっていれば、何かと便利なうえ、人員も少なくて済みます。

とはいえ、王我の地下室を使うことになったのは映画祭のわずか数日前。
直前になってもどんどん作品を追加するものだから、1ヶ所では上映しきれなくなり、やむなく別会場を設けざるを得なくなりました。
あわててプロジェクターや音響設備を設置したり、荷物を搬出したり搬入したり、それを3人くらいでやるんですからたまりません。
もう少し前に決めようよ。



ここはメイン会場じゃないので、観客もあまり来ません。
たぶん、メイン会場のほうが重要な作品をやるものと大方の人が考えるからでしょう。
酷いときには3人しか観客がいないときもあったそうで、「ちゃんと客を分散させよう」と老朱は言うけど、それは無理というものです。

このホールの上は、うちの学校が教室として利用している空間で、今回はここで午前中にパネルディスカッションを4回ほど行いました。
テーマはインディペンデント上映について、ドキュメンタリーとフィクションについて、創作と学術について、アニメについてです。
初回には私もパネラーとして参加しました。
午前中から誰もこんなものを聞きに来ないだろうと思っていたら、これが案外多くの人がきて賑わうのです。
みんな、けっこう暇なんですね。
張献民をはじめ、いろんな人がディスカッションのために来てくれました。



また、今回新たにビデオ・ライブラリーが設けられました。
この映画祭で上映中の作品のみならず、過去の映画祭(紀録片交流週を含む)で上映したものや、うちの資料館で収蔵している作品などが見られるようになっています。
最初のうちは誰も存在を知らなかったのでガラガラでしたが、3日目くらいから満員で入れないくらいになりました。



上映は連日午後1時から始まり、夜は遅くとも11時過ぎには終わります。
深夜3時ごろまでやっていた前回とは違い、ちょっと良心的になりました。
食事はたいてい現象珈琲館で済ませます。
現象珈琲館は普段暇なくせに、従業員を大量雇用して、今6人くらいスタッフがいるのです。
なので、映画祭のときは普通にレストランとして営業していました。
これも前回まではなかったことです。
いろんなところが、少しずつ変化しているのです。

河北の秋3

2010-10-20 10:55:10 | 旅行記
朝起きると、農家院の前の川には氷が張っていた。
秋を求めて来たはずの旅なのに、このままで北京に戻るわけには行かない。
豊寧にもどり、そこからバスで皇帝の狩場にだったという囲場へ行き、ぐるりと承徳まで一周してみたが、やはりどこも紅葉は終わっていた。
こうなったら南下しつつ標高を下げていくしかない。
というわけで、承徳と北京の狭間にある燕山山脈のふもと、興隆県に行くことにした。
このあたりの標高は700mほどらしい。
さすがにここまで行けば、まだ紅葉もしていないだろう。
地図には霧霊山という自然保護区があり、そこに登ればいい景色が観られそうな気がする。

ネットでバスの時刻を調べると、東客運站から6:10発とあり、それを逃すと11:00までない。
翌朝5時におき、タクシーで遠くの東客運站まで行った。
ところが、6時前に東客運站に着いてみると、興隆行きのバスは9時半だと言う。
しばらく呆然と座っていたのだが、ただ待っていても仕方がないので、駅まで行ってみることにした。
案の定、駅には興隆行きの客を募る乗り合い白タクがいて、1人50元で行くと言う。
怪しげな男の車に乗せられしばらく行くと、別なところで女運転手が待っていた。
女運転手の乗用車にはすでに客が3人乗っていて、すぐに出発した。

女運転手の猛スピードのおかげで、2時間ほどで興隆に到着する。
車を降りると、まずはホテル探しだ。
ところが、どのホテルを訪ねても、外国人を泊めることはできないと言う。
じゃあ、どこに行けば泊まれるかと聞くと、次の信号に仟禧龍大酒店というホテルがあるからそこへ行けとのこと。
それならばと歩いて向かったが、行けども行けども信号が出てこない。
なるほど、田舎町に信号は少ないのであった。



仟禧龍大酒店は果たして1キロ先にある次の信号にあった。
フロントに安い部屋はあるかと尋ねると、100元の部屋があるという。
ただし、バスルームは付いていないらしい。
代わりに併設の洗浴中心の無料券をくれるというので、そこに泊まることにした。
ホテルの1階には旅行会社が入っていたので、霧霊山のことを聞いてみたら、なんと明日から冬季閉山になるという。
でもちょうど紅葉が見ごろだから、行ってくると良いと言われ、タクシーを紹介された。
料金は入山料90元と、駐車料60元、運転手の入山料とチャーター代で、合計440元。
安くはないが旅行会社はマージンを取らないというし、半日のチャーターで実質200元なら妥当なので、行くことにした。

運転手はチュッパチャップスが好きな小さい中年男性。
ポケットやダッシュボードから、いくらでもチュッパチャップスが出てくる。
以前はタバコをすっていたが、体のためにこれに替えたんだそうだ。
お前も舐めろと何本もくれた。







霧霊山は燕山山脈の主峰にあたり、標高は約2100m。
清朝のころ、風水上ここは封鎖地区で、人の立ち入りは許されていなかったという。
今は北京の水源として重要な位置にあたり、河北省にあるが北京市が山の管理しているという。
道路は頂上まで通っていて、歩かずとも風景が楽しめるようになっていて、最近はほとんどの人が自家用車で遊びに来るようだ。
駐車場には豪華な外車がたくさん停まっている。
そのほとんどが天津ナンバーである。
滝などのポイントは歩いて入らないとならないが、あちこち点在しているので車がなければ周ることは困難だ。
これなら車をチャーターして正解だった。
運転手もなかなか感じのいい男だし。







山は明日から閉山になるのが惜しいほど、紅葉(黄葉)の見ごろを迎えていた。
頂上からの眺めも格別だ。
北京からほど近いこんな場所に、これほど風光明媚な山があったとは驚きである。
今回の旅は残念なことも多かったが、これで大満足となった。











さて、最終日に北京へ戻るときのこと。
河北省から北京市へ入る境界で検問があった。
北京で共産党の総会が開かれていたため、取締りが厳しくなっていたのだ。
バスに乗っている人全員が身分証を出させられ、身分証のない私は窓口まで行ってパスポートを渡した。
すると、警官の顔つきが変わり、詰問が始まった。
どこから入国したのか、目的は何か、前日はどこに泊まったのか、などである。
まったく違法性はないので、普通に受け答えをしているのだが、警官はなんとか理由をつけて私を通したくないらしい。
やがて上司を呼んできて「この日本人、独りで旅行をしてるって言ってるんですけど」と相談している。
「ビザでも切れてるのか」と上司。
「いえ、そうじゃないんですけど」と部下。
今度は私に向かって「旅行するなら何で旅游局を通さないんだ」という。
「登記でもしないとだめなんですか?」
「……」
次にパスポートをめくって「何でこんなに中国に来てるんだ」と聞く。
そんなやり取りが30分も続いた後、さすがにあきらめたとみえて「もう行け」と言われた。
バスの乗客たちは、何があったんだろうという目で私を見ていた。

河北の秋2

2010-10-19 11:48:30 | 旅行記
承徳には他に何もないので、1日だけの滞在で移動することにした。
次の目的地は、本命の垻上草原である。
ここへ行くには、まず豊寧満州族自治県の県城に行き、そこから大灘行きのバスに乗り換える。
承徳から豊寧まで3時間、さらに大灘まで1時間である。
地方の長距離バスは、喫煙者が多くてかなわない。



このあたりの車窓はなかなか壮観である。
高くはないが、鋭く切り立った山が並び、そこに赤や黄色に変色した木々が細かくへばりついている。
承徳あたりはまだ緑色の木が多く、時期が早すぎたのかと心配したが、北上するにつれ鮮やかな木々に目を奪われ、テンションも高まってくる。



大灘へ向かって、車は山道をどんどん登っていく。
峠道かと思いきや、実は大灘あたりは内モンゴルにつながる高原で、河北の平原とは急激な斜面でつながっているのである。
つまり、登った山道の先は平らな草原地帯なのだ。
豊寧との標高差は1000mはあろうかと思われる。
急に冷気が窓から流れ込み、思わず上着を着込む。
気になってあたりを見渡すと、案の定草はすっかり枯れている。
もうここは冬になっていたのだった。

せっかく紅葉を楽しみに来たのに、何の意味も無いじゃないか。
顧桃に恨み言をいっても仕方が無いので、とりあえず大灘で食事を終えて、タクシーの溜まり場に向かう。
ネットで調べていた映画のロケ地“東溝村”へ行きたいと言うと、運転手は50元だと言う。
15キロも先だからというのだが、それでも高い。
交渉の末、何とか35元まで落として車に乗ったが、案の定10キロも走らないで村に着いた。
村の入り口には、“章子怡、ここから世界へ”と書かれた標識がある。



村そのものは、観光地化されてもおらず、映画に出てくる田舎の村そのもの。
どこか泊まるところがあるはずだから、そこへやってくれと運転手に言うと、村の一番奥にある家へ連れて行かれた。
玉昆農家院と書かれている。
中にいた人に尋ねると、1泊20元だという。
トイレは共同(いわゆる田舎の便所)でシャワーもないけど、客はどうせ他にいないし、晩御飯も用意できるというので、世話になることにした。



ふらふらと外を歩く。
風が冷たいが、日差しがあるので、散歩には申し分ない。
これが“章子怡のきた道”かと思いながら、村の道や辺りの草原を踏みしめた。







イヌとブタとウマとヒツジとウシが多い。
ヒトは少ない。





道行く人に、撮影に使われた建物はあるかと聞いてみた。
「あれがそうだよ」と言われるほうに行ってみると、柵に針金が巻かれた一軒の家があった。
もともと空き家だったところを撮影に利用したのだそうだ。
撮影後も、誰も住んではいないらしい。
「あのころの章子怡はまだ幼くて、背丈もこれくらいだったよ」と、ある爺さんは自分の胸の辺りに手をやった。
いや、そんなはずはないよ。



「学校は撮影のために川向こうに建てたんだけど、撮影が終わってすぐに取り壊してしまった。残しておけば観光に役立ったのに」とその爺さんは言った。
でも、元の村の姿に戻しておくほうが、村の形としては正しいと私は思う。



農家院のご主人が、オンドルを焚いてくれた。
晩御飯は青椒土豆絲と葱入りの卵焼き、そして地元料理だという小麦粉にジャガイモの澱粉を混ぜて作った粒状のものを部屋に持ってきてくれた。
食べ終わっても、誰も片付けにくるでもなく、ただ夜は更けてゆく。
外は静寂につつまれ、空には満天の星が輝いていた。

河北の秋1

2010-10-18 22:59:18 | 旅行記
休みに入ったら、内モンゴルのヘシグテン地質公園へ行こうと決めていた。
ところが、直前になって彼の地で大雪が降っているというニュースを見た。
さすがに寒そうだし、なにより雪で車が動いてなかったら意味が無い。
紅葉のきれいな所にでも変更しようと思い、内モンゴルに詳しい顧桃に電話した。
すると彼は「垻上草原にしておけ。今ちょうどきれいだから。馬に乗ったり、羊を食べたりできるぞ。承徳に寄ってから行くといい」と言う。
承徳といえば、世界遺産にもなっている清の避暑山荘で知られる都市で、北京からさほど遠くない。
せっかくの長期休暇には少しもったいない距離だし、今さら草原で馬に乗りたいわけでもないので、顧桃には悪いけど他を考えようと思いつつネットで検索してみた。
すると、垻上草原は『初恋のきた道』の撮影が行われた場所だと書いてあるのを見つけた。
そういえば、以前に調べたことがあったっけ。

四恵の長距離バスターミナルから、承徳行きのバスが頻繁に出ている。
その中型バスには、4人しか乗客がいなかった。
料金は75元。
運転手に所要時間を聞くと「高速なら3時間だけど、下道だから6時間」という。
なんで下道なのかというと、客が少ないから下道で客を探しつつ進むからだそうだ。
地方のバスは大体そういうものなので、まあいいかと思っていたのだが、なんとターミナルを出てから路上に停車したまま1時間も動かないのには閉口した。
やがて客が増えたので動き出すと、今度は「高速に乗ることにしたから10元ずつ追加で支払え」と言う。
こんなあこぎなバスが北京でも横行しているとは…。

夕方に承徳の東客運站に到着し、路線バスに乗りかえ、中心街らしきところで降りる。
このごろはガイドブックなど見ずとも、これくらいの要領は得られるようになった。
バス停の目の前にあった雲海賓館というホテルに飛び込んでみると、部屋は120元だという。
まあまあだったので泊まることにしたが、パスポートを見せると外国人は無理とのこと。
ここは観光地なのに、まだ渉外賓館とそうでないホテルの区別があるらしい。
いいから泊めてくれと粘っていたら、経理が現れて、密かに泊めてくれる事になった。

腹が減ったので、近所で驢肉火焼を食べた。



翌朝、とりあえず避暑山荘へ。
ここはさすがに観光客が多い。
その名の通り、清王朝が避暑地としていたところで、広大な敷地に建造物が点在している。
100元の入場料を支払い、博物館になっている宮殿や、寺院などを見学する。









この手の施設にはよく行くのだが、実はさほど興味があるわけではない。
建物はどれも似たり寄ったりだし、目当ての展示物があるでもなし、ただ話のネタにと思う程度である。
ここも、とても広いし、池の周りなどもとてもきれいなのだが、何だかしっくり来ない。
確かに歴史あるところなのだろうし、世界遺産だけあって手入れも行き届いてはいるのだけど、何かが違う気がしてならない。

その後、外八廟という避暑山荘の外に並ぶ寺院を見に行った。
これも世界遺産に含まれていて、特に有名なのは小ポタラ宮と呼ばれる普陀宗乗之廟。
なるほどポタラ宮を模しただけあって、雰囲気は出ている。







外から見ていると、壁がはがれてレンガがむき出しになったりしているのがいただけなかったりするし、取ってつけたようなチベット式の窓が違和感を与えるが、中に入るとそれなりにポタラ宮らしさを放っていて、写真も無い当時にしてはちゃんと研究して作られた感じが伺える。
でも、ここでも何かが違うという印象が拭えなかった。
それがはっきりしたのは、従業員を見たときだった。

例えば、実際のチベットの寺に行けば、そこにたくさんの僧侶の姿を見ることができる。
でも、この寺院群には僧侶など一人もいないのだ。
代わりにいるのは、おそらく旅游局の職員であろう若者たち。
彼らは仕事があるのか無いのか分からないが、片隅ではしゃいでいたり、寝ていたりと、観光客に興味は一切示さない。
仏像は展示されているし、賽銭箱も置かれているけど、職員は仏教など興味が無いらしい。
これを寺と呼べるだろうか。





展示されている資料に、修復される前の寺院を映した写真がいくつかあった。
恐らく新中国成立から文革ごろにかけてであろうその写真には、屋根も無くぼろい壁だけが無残にさらされた寺院の姿があった。



そこから推測できるのは、今の展示物などはどれも以前からの物ではなく、よそから持ってきた物かレプリカであることと、建物自体も、ほぼすべてが近年になって地元政府が建造したものであることだ。
そこに受け継がれている文化はない。
客寄せのために建物を再現し、至るところで土産を売り、やる気の無い従業員をたくさん雇って、高い入場料を取っている。
避暑山荘の庭園では"蒙古包"という名のコンクリートの建造物がたくさん建造中だったが、これも客に消費させるための新たなサービスを提供する予定なのだろう。
彼らからすれば、空いてる土地を利用しないのはもったいないし、客もきっと面白いサービスを期待しているはずだから、何かやって儲けようということだろう。
中国の土地で中国人が何をしようと、勝手と言えば勝手である。
でも、これを世界遺産と呼んでありがたがっているのは滑稽な話ではないだろうか。


閉幕

2010-10-08 00:50:17 | 其他
映画祭がようやく閉幕しました。
トラブルも多くて苦労もしましたが、何とか無事に終了できたと言えそうです。
この1ヶ月くらい1日も休んでないし、ここ10日ほどはろくに寝てもいないのでもうくたくたです。
とりあえずは、ゆっくり寝ることにします。

レポートは少し経ってから掲載します。

日本から来ていた作家の人たちが涮羊肉を食べたいというので、村で唯一の涮羊肉屋に連れて行きました。
思えば私が初めて参加した3年前は何も食べるところがなかったけど、今はいろいろできたので、ゲストの人たちにもひもじい思いをさせなくて済みます。
大した店ではないものの、喜んでもらえたようでした。




さて、10日から17日までは休暇にしているので、またどこかに出かけることができそうです。
今回はどこに行こうかな。

開幕初日

2010-10-02 02:44:40 | 其他
映画祭が始まったのに、写真を一枚も撮ってません。
忙しくてそれどころじゃないからなのですが、こんなことは初めてです。
心にゆとりがない証拠だと思います。

朝から深夜までトラブル続きで、身体的には平気なのだけど、精神的疲労がきついです。
なぜこんなにスムーズにいかないのでしょう。
「それが中国だよ」と王逸人は言うけれど。

応亮は5月よりマシじゃないかと言ってたけど、いえいえ、とんでもないです。

日本から作家の人たちが続々と到着していて、彼らと話しているときが安らぎではあるのだけど、いつもトラブルが私を探しに来るのです。
早く解放されたいです。