2025年の記録
足尾と自宅のある栃木県南往復の記録
旧上都賀郡粟野町下粕尾、思川に沿った狭小な平野部に広がる集落。何の変哲もない北関東の山里風景は、心を和ませてくれる。
あらためて足尾が、関東山地の向こう側の山間にあることがわかる。国道122号線~293号線~121号線~119号線~120号線で、周縁を囲まれている。
東武日光線下小代駅東側の駐車場の桜は満開だった。
日光市の南端、鹿沼市との境界近くにある東武日光線下小代旧駅舎は、1929年(昭和4年)建築、2007年(平成19年)まで利用されていた。明治末期から標準化が進められた駅舎の典型的なタイプの木造平屋建、瓦葺(一部鉄板葺)。国指定登録有形文化財となっている。
内部には待合室、事務室、炊事室、宿直室が設けられ、内外部ともに創建当時の状態を残している貴重なものであるが、個人所有となっており、見学料500円を払わなくてはならない。周囲にはロープが張られている。が、綺麗な状態を維持していることが、ちょっと皮肉だ。
旧粟野町の思川に沿って、下粕尾から上粕尾、粕尾峠へと走る。緩やかに登る道路と川に連なる田圃、点在する家屋、北関東の山里の原風景である。
粕尾峠から足尾方面を眺める。東屋はもちろんベンチさえないものの、いつも一服することに決めているポイントだ。
大雪警報の解除された日の午後、県南の小山まで出張した帰り道。小山市郊外の麦畑から見た美しい夕陽。
【メモ】
最近、どうも気分がすぐれない。些細な人間関係のトラブルが、頭から抜けない。
自分自身も、そして日本社会も黄昏を向かえているためか?
加齢とともに、今までできたことが、できなくなる経験が増えてくる。
それは、社会も同じで、下水道管の破損事故は、典型的な例かもしれない。
経済成長期ならば、新しいものにとっとと交換していたかもしれないし、そのための財源も人材も何とかなった。
僕自身は、今まで、何とかなったので、今度も何とかなるだろうと脳天気に構えているが、何とかならないことが、連発したら一気に自信を失い、メンタルが破壊されるかもしれない。
将来に対する漠然とした不安というものは、払拭できないのだろうな、僕のような脳天気男でも。
何かと物騒な事件が続いているが、明らかに日本社会が、貧困化している兆しだろう。社会の貧困化は、みんなが一律に貧しくなるのではなく、裕福な人たちは、いつまでも裕福で、豊かさの頂点から離れるほど、ずるずると落ちていき、格差が拡大していく。
今の若い人たちが、どのように考えているかわからないけど、少なくとも僕の世代までは、“成長の呪縛”がある。今日より明日、親より子は、豊かにならなくてはならないみたいなもので、高度成長期は、ふつうに生きていれば、エスカレータに乗っているように上昇した。豊かになれないのは、よほどの怠け者という烙印である。ところが、今は、下りエスカレータを逆走しているようなもので、必死に駆けあがっても下がっていく。
幸い僕の息子は、僕より優秀で、今のペースで行けば、僕より豊かになるだろうな。万が一何かがあっても、妻子を養っていけるしぶとさは、身につけているみたいだしね。
旅は続く
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