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中国遼寧省大連で生きるおっさん

一人の名も無きおっさんが、浅学菲才ながらも、自分の言葉と写真で、毎回一生懸命に書いている大連ブログでございます。

「大連外国語学院」の解体と寂れる周辺

2013年05月26日 | 大連生活あれこれ
今日は午後から雨が降り、夕方からは霧が深くなりました。今は「労働公園」の電子塔はおろか、「緑山」全体が全く見えません。ここまで霧が深いと空港と港は混乱するでしょうね。

さて、昨日は一転、天気も良く、近所を散歩しました。東北三省で唯一の外国語大学である「大連外国語学院」が旅順区に完全移転し、「延安路」の「南山キャンパス」はすっかり更地となりつつあります。今日はこの様子と周辺の様子をお伝え致します。


そして「大連外国語学院」は今年の3月、国家の教育部(=日本で言うと文部科学省)より、ようやく「大連外国語大学」に「昇格」が認められました。中国は日本とは違い、「学院」というのは「大学」の下に位置付けられます。この「昇格」は悲願だったでしょうね。3月22日付け大連地元紙『半島晨報』(A28ページ)の記事で、見出しは「大連外国語学院が大連外国語大学に改名となった」とあります。

中国の外国語大学といえば「北京外国語大学」と「上海外国語大学」が双璧で、共に「重点大学」でもあります。一方で「大連外国語学院」は「一般大学」、それも中堅ランクに過ぎず、前述の両校が「質」であるなら、こちらは「量」で勝負といった学校です。

今年度の卒業生数(日本語人材)も学部生が1584人、大学院生が67人を数え、在校生数(日本語人材)は5400人です。私自身の印象も、日本語学科の教員と学生は「質」という点で今一つの大学で、大連の一般市民の「評価」も低いですが、「量」という点では圧倒しており、通信教育生(中国語:自考)や社会人、各国留学生などにも広く門戸を開いています。この点の貢献度は非常に大きく、「中国で最も日本語熱が高く、日本理解がある町・大連」を作り上げ、現在進行させている最大の「功労者」だと思います。


「延安路」の「南山キャンパス」は、大連外国語「学院」時代として、その役目を終えようとしています。昨日の「正門」の様子です。


「廖承志(りょう・しょうし)」の揮毫(きごう)による「大連外国語学院」の「看板」は既に除去されています。廖承志ですが、大学入試で日本史を選択した方なら学んだ名前だと思います。1962年に高碕達之助との間で取り交わした覚書に基づく「LT貿易」を開始した、中国共産党史上最高の知日家と称される政治家です。


校門にあった様々な「プレート」も、既に取り外された跡が見て取れます。


唯一、まともに残されていた校舎です。中に入ってみると・・・


「国際培訓学院」の紹介パネルがありました。成人高等教育学院だそうです。人も居ました。


向かい側の校舎も解体が進んでいます。


レンガが散乱しています。


鉄筋も分別され、まとめられています。ちょうどこの先には池がありましたね。


道沿いに歩いてみます。


階段があった跡ですね。もう上には上がれません。


ここにも分別された鉄筋がまとめられています。所々にはまだ緑が残されています。この上には図書館がありましたね。


遠くを見れば、まだ解体中のビルが残っています。あそこは学内のホテルだったと思います。手前には机や椅子が散乱しているのが御確認いただけます。


これ以上は進めないので、一旦、正門を出て外から廻って行こうと思います。ということで再び正門です。旧・東本願寺前にあったバス停(27路・「南山」)が、正門のすぐ右隣であるここまで移動してきたのが御確認いただけます。この移動、普段このバス停を使っている身としては本当に迷惑です(笑)。


正門すぐ左隣のビルも解体中です。


道路沿いを歩きますが、キャンパス内の建物は皆、解体終了していますね。


右折して、留学生の「総本山」だった「大連外国語学院漢学院」に向かいます。坂を上がっていきます。カラオケ屋(青い看板)の右の白い建物は入居者募集の「空き物件」になっていますね。


「塀」から見える解体されたキャンパス内のビルです。地下があった建物のようですね。


先程の「国際培訓学院」の向かい側にある解体中の校舎が見えました。


「漢学院」へ向かう坂です。上がってきた道を振り返って撮りました。


坂の途中にあったパン屋さんです。ここでよく各国の留学生が食事やコーヒーブレイク、パソコンなどをしていました。既に閉店しており、店内は解体進行中でした。


「塀」から見えた解体中のキャンパス内のビルです。キャンパス内のホテルである「大連外国語学院賓館」の裏に当たりますね。


「大連外国語学院賓館」の入り口ですね。建物は解体中も、「看板」はまだそのままの状態ですね。


解体中のホテル「大連外国語学院賓館」です。


世界各国からの留学生が集まっていた「漢学院」入り口です。「国際漢語培訓中心」の字が確認できます。


この入り口からちょっと離れて、真向かいの小高い場所に移動して撮った現在の「漢学院」です。既に何も無く、更地になっていました。家から近かったし、一般人も利用できるので、ここにはよく御飯を食べに来ていました。


この小高い場所からホテル「大連外国語学院賓館」を臨みます。


やや角度を変えて撮ります。


坂の頂上です。大連気象台がある「気象街」との「交差点」です。ここの「屋台群」は健在でした。大学は無くなれど、周辺住民は健在ですからね。


この先をちょっと行くと「武昌街」にぶつかる長~い階段路があります。ここの2件も入居者募集の『空き物件』ですね。


長~い階段路の途中の風景です。昭和初期を思わせるかなり古い建物ばかりです。蛇足ながら、この「気象街」から「武昌街」の入り口(「解放路」とぶつかる場所)までの周囲一帯は、日本統治時代(満州国時代)、「逢坂町」という地名でした。この場所は当時の大連の「遊郭」(今風に言えばソープランド街)だった地域で、当時、日本人経営の遊郭が計55件、朝鮮人経営の遊郭が計15件あり、「嬢」の総数も800人超だったそうです。「嬢」を客に見せるために、「通り沿いには大きい窓のみ、玄関は裏手」という特異な建物がずらっと並ぶ通りも現存しており、異彩を放っています。


さて、話を戻します。場所も正門に戻ります。正門から「中山広場」方向に進みます。最初の交差点(「七七街」)ですね。交差点左側は以前、日本のコーヒーチェーン店「珈琲館」(中国語:「真鍋珈琲」)でした。今はインテリアの店になっています。右側の建物はレストランでしたが・・・。


内装を解体中でした。今度は何が出来るんでしょうか。


右折して、郵便局(緑色の看板)の右隣は「手足情」という有名なマッサージ店でした。私が大連に来る前からあった店で、15年ぐらいの老舗です。大連に長期駐在している人間なら知らない人はいない店だったと思います。


しかし閉店したようで、入居者募集の『空き物件』の紙が貼ってありました。


中を覗くと、当たり前ですが、何もありませんでした。階段上がってすぐ左で「足洗い」。階段右で地下に下りて施術です。全身マッサージ2時間で100元でした。男女問わず、日本人客が多く、良い店だっただけに残念です。大連外国語大学の移転だけでなく、昨年秋の反日暴動、PM2.5に代表される環境汚染問題、食と水の不安、インフレ、さらに円安・・・。大連に長期駐在する日本人が減っていることを如実に表す、老舗「手足情」の閉店ですね。
追記(5月30日):「手足情」は人民路のシャングリラマンション向かいに移転したそうです。


同じ通り沿いで以前、漫画喫茶「散歩道」が入っていたところです。ここも日本人だらけだった店で、カツ丼、カレー、味噌汁、が絶品でした。新しい店はワインバーになるようで準備中でした。


旧「散歩道」は、ここから歩いて1分ほど離れた「独立街」に、コーヒー&軽食の店「歩行道」として生まれ変わったようです。


この「独立街」をのんびり歩きます。やっぱり「アカシア」!


信号機の上も満開の「アカシア」!


「国破れて山河あり」という言葉がありますが、大連の代名詞的存在の大学が消え、周辺の「老舗」も消え、この一帯は全く新しい時代を迎えようとしています。一方で、通りの「アカシア」だけは、以前と変わらぬ美しさを見せていますね。今日はローカルネタにもかかわらず、かなり長いエントリーになりましたのでこの辺で。

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「アカシアの大連」の季節到来と花泥棒

2013年05月24日 | 大連生活あれこれ
最近は毎日の気温が15~25度と、暑くも寒くも無い、過ごしやすい大連です。これで「PM2.5」の数値も毎日、せめて「100」を切ってくれれば本当に嬉しいんですけど、中国なんでそうはいきません。昨日なんかは、やはり「165」まで上がりました。まだ港町なんで救われている方です。

さて「大連」と言うと、最も日本人に知られている「枕詞」はやはり「アカシア」です。その理由となったのは、第62回(昭和44年度下半期)芥川賞受賞作品である、大連出身の清岡卓行さんが書いた『アカシヤの大連』の影響ですね。

昨年のエントリーでも触れましたが、大連の町中に咲く、この「アカシア」。正体は「ニセアカシア」という名の落葉高木で、和名はハリエンジュ(針槐)です。正真正銘、本物の「アカシア」ではないんですね。「本物(=アカシア)」にソックリの「偽物(=ニセアカシア=ハリエンジュ)」があまりに多く、「偽物」が「本物」の名称を乗っ取ってしまったわけです。大連の町中に本物の「アカシア」は無いと思います。

アカシア満開の大連と「支那人」
http://sky.ap.teacup.com/dalian4649/305.html

この「ニセアカシア」、日本では「要注意外来生物」です。痩せた土地や砂地でも問題なく生き、成長は早く、繁殖率は凄まじく、抜根や薬剤を使わない限り、駆除も極めて困難だからです。とはいえ、鑑賞用としての価値があり、良い匂いをさせ、良質な蜂蜜が取れ、花も食べられる、という利点があります。

大連の町にこの「ニセアカシア」が多く、しかも「保護」されているのも、これら全ての「利点」が考慮されたからだと思います。浅根性なので強風に弱い(=すぐ倒木)という致命的な欠点があります。大連は風こそ「名物」の町ですが、台風は来ないので、この点は問題無し。乾燥と排気ガスに強いというのも街路樹としては心強い点ですね。

数日前からこの大連の代名詞「(ニセ)アカシア」が町中で咲き始めましたので、御紹介したいと思います。

成長が早いので、街路樹は皆、巨木です。


こっちも綺麗な花を咲かせています。


アップで撮ります。


写真中央のやや上、花の所には蜂がいますね。


良質な「蜂蜜」が取れるというのが最大のメリットですね。


こちらは昨年、散歩していて偶然見つけた紫紅色の「ニセアカシア」の木です。「カスケードルージュ」という品種です。こっちも咲いているかなと思って、足を伸ばしてみたら案の定、満開でした。


これだけまとまって咲くと見ごたえがあります。


良い花付きです。


ブドウみたいですね。


通勤途中にある旧・東本願寺も緑に囲まれるようになりました。


角度を変えてもう一枚。


話は変わります。本日付け大連地元紙『半島晨報』(A26ページ)の記事ですが、見出しは「中南路沿いの公共花壇の花を盗み、持ち帰ったのは誰だ?」とあります。一部がゴッソリと盗まれていますね。

「中南路」とは市中心部から観光地「老虎灘」へと続く大通りです。季節的に様々な花が咲き乱れている大連ですが、日本とは違いやはり中国。良いなあ、欲しいなあと思ったものは絶対に盗みます。昨年の春は「労働公園」のチューリップが約10万株も盗まれました(下記「参考記事」参照)。この手の犯罪は日常茶飯事で、「大規模」となると新聞ネタになるんですね。

綺麗な町と綺麗なトイレ「公共の物は大切な、みんなの物」
中国に長期滞在していると、日本人はやはり凄い存在だと思いますね。




参考記事:
花壇で「狼藉」の限り、チューリップ10万株を「それっ」=大連

 遼寧省大連市にある労動公園(労働公園)で最近になり、花壇のチューリップ約10万株が根こそぎ盗まれた。開花シーズンが一段落したことで、一般市民が「もう用済みだろう」とばかりに、次々に盗んだとみられている。中国新聞社などが報じた。
 労働公園の花壇は、チューリップが掘り起こされた穴だらけになり、花びらや葉が散らばるなど「狼藉(ろうぜき)の限りを尽くした悲惨な状況」に変わり果てた。
 同公園がチューリップを植えたのは2011年11月で、1平方メートル当たり20-30株の割合で、計10万本を植えた。満開になったのは5月1日ごろで、その後、次々に盗まれるとは「まさか、思わなかった」という。同公園のチューリップは「ほとんど残っていない」状態になった。
 いわゆる「花盗人」の行為であり、専門の犯罪者でない一般市民が次々に盗んだとみられている。公園側によると、来年に備えて球根を掘りだして保管する考えだったが「間に合わなかった」という。
 同公園では、ボタン、コウシンバラ、サクラ、ハクモクレンなどの花も次々に盗まれている。チューリップだけで被害額は十数万元(15万元=約190万円)に達するとみられている。
2012年5月8日
http://news.searchina.ne.jp/disp.cgi?y=2012&d=0508&f=national_0508_053.shtml


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大連の現・「星海公園」と旧・「星ヶ浦海水浴場」

2013年05月20日 | 大連生活あれこれ
今日は朝から素晴らしい快晴でした。視界もかなり良好で、心地良い風があります。「視界が良くて、風がある」=「PM2.5」の数値は低い、というのは、最近の私の実体験による結論です。ネットで確認してみると、案の定、数値は低く、いやかなり低く、日本基準の数値「35」以下(!)でした。港町・大連でも、こんな日はおそらく一年間に何日も無いでしょうねえ。今日はこの状態がほぼ丸一日続きました。

気持ちの良い快晴でも「PM2.5」の数値が高い!なんてことが多い大連。私は個人的にこれを「偽快晴」と称していますが、今日の快晴は正真正銘の「本物」でした。堂々と外出します(笑)。

ということで、今日は「重役出勤」。午前中は「星海公園」に行きました。日本統治時代は「星ヶ浦海水浴場」と呼ばれていたリゾート地です。

久々に行った水族館・「聖亜海洋世界」です。この日は小学生の社会見学(遠足?)で大盛況でした。チケットは110元(=約1840円)なので、結構「いい値段」です。平日午前中なので、のんびりモードを期待して行ったのですが、見事にハズレました。

館内は各種ショー、また小型魚から大型魚まで、更にサメ、ウミガメ、クラゲ、エイなども見られます。全長118メートルの海底遊歩道が「目玉」です。


バイクのヘルメットサイズ超の大きなカブトガニがウヨウヨ泳いでいました。これが一番の「ツボ」で、しばらく見入っていました。日本ではメジャーですが、大連人は殆ど知らないようで、撮影していると「これ何?」、「食べられるの?」と何人かに聞かれました。カブトガニって中国語でなんて言うんだろう?


外に出て少し歩き、園内の海水浴場に移動します。雲一つ無い青空。久々に深呼吸をします。


逆方向です。高い「塔」が見えますが、ここではバンジーが楽しめます。海外(死亡)保険を再確認してからどうぞ。


休憩所ですね。「棚」に藤の花が咲いていますので行ってみます。


木は見事な太さですね。


アップで撮ります。本当に良い匂いで癒されます。


藤(フジ)は日本固有種で、英名も「Japanese wisteria」です。もうそろそろで、大連の町中で満開となる「ニセアカシア(ハリエンジュ)」=通称「アカシア」、と花の形がそっくりですね。大伴四綱『万葉集』、鎌倉幕府三代将軍・源実朝『金槐和歌集』、松尾芭蕉、正岡子規、がこの花の美しさを歌に詠んでいます。歴史も長~い日本の花ですね。


当時のはがきの写真から見る、日本統治時代(満州国時代)のここ「星ヶ浦海水浴場」(現・星海公園)の様子です。遠くの小高い所に見える建物は、満鉄ホテルチェーンの高級ホテル・「星ヶ浦ヤマトホテル」です。


「星ヶ浦ヤマトホテル」の近影ですね。


この海浜リゾート地・「星ヶ浦海水浴場」に置かれていた「後藤新平」像です。

彼の、
1、年功序列ではなく能力主義、それも30代、40代の若い優秀な人材を満鉄副総裁、理事、要職に就け、「午前八時の男でやろう」というスローガン。
2、医師出身という見地からの「生物学の原則」に則った統治
3、徹底した調査主義
4、「金を残して死ぬ者は下。仕事を残して死ぬ者は中。人を残して死ぬ者は上。」という名言
5、台湾統治、満州経営、関東大震災からの東京復興、という「3つの大偉業」は、学ぶことが多いです。

私も現在より約110年早く生まれ、今のようにこの大連の地に長期滞在だったら、間違いなく、ここ大連に本社のある満鉄に入社したかったですね。こういう上司=誇り高き日本人、にも会ってみたかった。自身も「やる気」と「誇り」に満ち溢れた毎日だったでしょうね。


最後に蛇足ながら現地ネタを。本日付け大連地元紙『半島晨報』の一面です。ドカ~ンと真ん中を飾る見出しは「北朝鮮が大連の漁船を拿捕した! 船員は16名で、北の要求は60万元(=約1000万円)、中国は無条件解放を要求中」とあります。日本でも報道済みのニュースですね。まあ「飼い犬に手を噛まれる」という諺の実例でしょうか(笑)。

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大連でも日本の「PM2.5」対応マスクが買えます

2013年05月13日 | 大連生活あれこれ
今日は「1万円=604元」ですか。中国銀行で普通に両替したら600元を割りますね。ついこの間は800元越えでしたから、凄いものです。元々大連は「物価が高くて給料が低い」と人民に称される町です。円安に加え、最近はインフレで、大連在住の日本人の方々の財布の紐はきついでしょう。食事だって味、素材、サービス、の全ての面で日本に勝てないのに、店によっては定食の価格などが日中逆転起こしているのがもう珍しくなくなりました。「質が悪いも安い」が大連(中国)の持ち味(!?)だったのに、今や「質が悪くて高い」に移行しています。確実に「後進」しているんですね。

一方で株は絶好調。日本株は今や内外から注目の的です。私もネットで自分の株、投資信託、外国債券、が全てプラス表示となったのを見たのは初めての経験です。一人でニヤけています。一部の証券会社などは臨時ボーナスが出ていますね。そりゃそうでしょうよ。

政権交代して半年も経っていませんが、ここまで極端に変わりますかね。鳩山、菅、野田首相の民主党とは一体何だったのでしょうか!?元ヤクルトスワローズ監督、野村克也氏の言葉を借りれば、まさに「組織はリーダーの力量以上には伸びない」ということなのでしょう。

さて、今日の大連は霧&スモッグでした。風は殆ど無く、「PM2.5」の数値も早朝から夜までずっと「170」程度で一定しています(泣)。「PM2.5」対応のマスクですが、ついに大連でも日本と同じ物が安価で手に入るようになりましたね。こういう情報はフリーペーパーや領事館メール経由で現地邦人に広く流しても良いと思うんですけどねえ。代わりに当ブログが流したいと思います。


大連市中心部の繁華街「青泥窪橋」にある「久光百貨店」の地下1階にあるスーパー「しんせんマート大連店」にありました。レジに陳列されています。やはり注目度が高い商品ですからね。

大連に支社を持つ「アイリスオーヤマ株式会社」のものです。公式サイトはこちらです。で、売られているのはこちらのタイプです。「子供サイズ」と「普通(大人)サイズ」の2つのタイプがありました。5枚入りで、日本での価格は780円、「しんせんマート大連店」での価格は25元(=約420円)でした。つまりマスク一枚が5元(=約80円)ということです。「PM2.5」対応のマスク(N95マスク)は普通のマスクに比べて一枚あたりの値段は高いですよ。日本ならアマゾンなどでも気軽に買えます。


蛇足ながら「青泥窪橋」には「アイリスオーヤマ」のショップがありますね。この「久光百貨店」の向かい側にある「大連商場」の地下一階スーパーマーケット入り口前です。「マイカル」前の入り口から入り、エスカレーターで地下1階へと降りれば目と鼻の先です。

先々月の3月11日、在瀋陽日本国総領事館大連出張駐在官事務所(通称:大連領事館)から突然メールが来て、4日後の、平日である14日(木)に、これまた急に「大気汚染に関する講演会」を開催するとの事がありました。講師は在中国日本国大使館の医務官である平野加容子氏でしたが、その時は「PM2.5」対応のマスクが品薄で北京や上海でも入手が困難なこと、中国工場で作っても商品は日本行きが優先、との事情が聞けました。「ようやく大連にも廻ってくるほど生産が追いついたか」というのが素直な印象です。中国的に言えば、「PM2.5」対応マスクの「先富論」ですね(笑)。

また平野氏によれば、日中の薬局等で簡単に手に入る一般的なマスクは、風邪などの自分の菌を周囲に撒き散らすのを防ぐのが目的の物であって、「PM2.5」に代表される、外からの侵入を防ぐという機能は無い、つまり同じマスクとはいえ、機能的に全く別物であることも知りました。

「PM2.5」に限らず、中国における大気汚染物質は非常に多いわけで、その「解釈」については人それぞれです。「直ちに健康に影響は無い」からです。自分の将来、そして健康の問題ですから、どう考えるかは自己責任です。タバコと同じです。日常的な喫煙者は、大連や北京の町を「PM2.5」対応のマスクして歩く必要は全く無いわけです。自分の人生ですから自分で考えましょうということですね。

格好悪い?私だけは大丈夫?高すぎる?他人の「PM2.5」対応のマスク姿を見て笑う?
『アリとキリギリス』という「イソップ寓話」をもう一度復習しましょう。「備えあれば憂いなし」、「後悔先に立たず」、「予防は治療に勝る」ということです。

健康と安全こそが第一ですよ。

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満開の、大連一の桜名所「旅順・龍王塘桜花園」に行く

2013年05月12日 | 大連生活あれこれ
今日は母の日ですね。実家の母親にはユリの花を贈りました。何だかんだで親元からは遠い「異国」に過ごしていますし、この「異国」がまた日本人から見ると、心配が絶えない、何一つ良い所が無い不安だらけの国。そう考えるとやっぱり「親不孝」してますよね・・・。


こちら中国でも今日は「母の日」です。朝、食材を買いに青空市場に行ったらカーネーションを売っていました。殺風景な部屋なので買うことにしました。15元(=約250円)でした。

さて、今日のエントリーは「花繋がり」で。今月3日(憲法記念日)に行った「大連一の桜の名所・龍王塘桜花園」の様子です。ここは別名「龍王塘水庫」と言われる、満州国時代に日本人が建設したダムでもあります。彼らがこのダムの下流に桜を植え、一大桜名所となったのが起源です。GWでちょうど知人が大連に来ていたし、地元紙の報道で、ちょうどこの日はこの満開の時期に当たっていることを知ったので、連れて行きました。この時の満開の桜の様子を御紹介致します。

「龍王塘桜花園」は大連市も旅順区の手前にあります。ウィキはこちらです。大連の有名な観光地なので、やや郊外ですが、市中心部からのアクセスは非常に良いです。この日は「黒石礁」から「旅順」の行きの路線バスに乗りました。片道4元(=約70円)です。「龍王塘(カタカナ中国語発音:ロンワンタン)」で下車、所要時間は約30分といったところです。バス停から徒歩約5分で入り口に到着です。この時期、この大連「駅北広場」発「旅順」行き、のバスを利用する客の殆どは、この「龍王塘桜花園」目的なので、彼らに黙って付いて行くのが賢明です。


「龍王塘桜花園」入り口の様子です。


チケットは20元(=約330円)ですね。


園内入り口そばには「龍」のモニュメントがあります。


やはり「お~!!!」と声が出てしまいます。それほどの美しさです。


青空のみをバックに。


さらにアップで。


中国のGW(労働節)は4月29、30日、5月1日の三連休で終わりです。この日5月3日(金)は中国では普段の平日にすぎませんので、人出もそれほどではありませんでした。


「なんちゃって着物」に「なんちゃって和傘」を借りて記念撮影していますね。昨年秋、反日暴動が全く起こらずに一気に注目された都市・大連。「桜=日本」は人民の間でも常識です。




皆、思い思いの花見を楽しみます。


良いですね~。


ダム下流は現在、駐車場となっています。この下流の土手に咲く桜です。


反対側の土手の桜ですね。


ダム目指して桜並木の中を歩いていきます。


素晴らしい「歩き居心地」です。


前方にダムの「壁」が見えてきました。


ダムの「壁」に到着しました。右側階段から「壁」の上へと上がります。


高さ約34メートルの「壁」の上に到着しました。向こう側は貯水池です。風が強いです。


これまた凄い広さの貯水池ですね。


「壁」の上に設けられている歩道の途中に「小屋」があります。当時はここで水量調節をしていたようです。以前はこの「小屋」の中も見れたのですが、今はもう中は見れなくなっています。


今の中国で水質の良い水源など存在しません。残念ながら、ここも例外ではないようです。


「小屋」の横にはこのダム建設に携わった満州国時代の「記念プレート」がそのまま残されています。


アップです。総工費は当時のお金で「190万500円余り」、着工は「大正9年(1920年)8月19日」、竣工は「大正13年(1924年)3月31日」、と読めますね。


もう一枚の「記念プレート」です。当時のここ大連に置かれた「関東庁」所属の、工事に携わった日本人の方々の名前と役職ですね。


アップです。子孫の方々はぜひ訪れていただきたいと思いますね。今から約90年以上も前に、異国のこの地に来て、この仕事振り。自分の御先祖様に対して尊敬、いや畏敬の念が消える事は絶対に無いと思います。誇りですよ。


「小屋」の入り口の上には文字が見えます。右から「龍王○○」と4文字が見えますね。恥ずかしながら「浅学菲才(せんがくひさい)」ゆえに後半の二文字が読めません・・・。


アップです。「大正十一年八月題」は読み取れますが、どなたの揮毫(きごう)かは、これまた恥ずかしながら読みめません・・・。


この「壁」の上から、先程歩いてきたダム下流にある「龍王塘桜花園」の全景を見下ろします。素晴らしい桜です。


「壁」の上を横断し終え、下に下ります。


皆、楽しんでいます。


こちらは大学生の「パーティー」でしょうか。


来た道と逆側の土手を歩き、帰ります。「わたがし屋」の姿もありますね。


青い空に実に美しく映えます。


帰るのが名残惜しく、振り返ります。


「黄梅(中国語:迎春花)」と「桜」のコラボです。


桜は日本の事実上の国花で、「桜=日本」という認識は、先程の「着物&傘レンタル」例でお分かりいただけるように、ここ中国でも世界と同じ認識です。日本人が基礎を作った町・大連。中でもこの「龍王塘桜花園」の桜は圧倒的に「大連一の美しさ」を誇ります。何故?ここの「桜花園」は桜の本家=日本人自らが「手作り」で作り上げたからです。今も残るこのダムの姿と美しい桜は、日本人ならでは「質の高い仕事」と「国境を越えた美しさ」を現代に、人民に伝えています。記念碑が荒らされずにそのまま残っているのも今の中国事情を考えれば奇跡に近いと思います。ここは自分が日本人であることに誇りを感じられる大連の観光地の一つだと思いますね。

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