茄子のぬか漬けとホカホカご飯があれば何もいらない。
もっとも朝昼晩がそれでは栄養失調になってしまうが、
けっこうそう思う。
昨年6月に89歳で亡くなった母が健在な時は、
畑の野菜を漬けたそれがいつも食卓に並んでいた。
だから長い間、あって当たり前だと思っていたし、
とりたてて食いたいと思っていたわけでもない。
そんなふうだったから、
母が高齢化し家事全般ができなくなった頃、
私も片道2時間30分の通勤を強いられていたことから、
糠床の面倒を誰もみなくなった。
ある日、土間の大掃除をしていた時に、
その蓋を開けたところ、
カビだらけで変色、
とても使えたものではないように見えた。
そんなものを置いていても仕方がないので、
寝たり起きたりの毎日だった母には黙って捨ててしまった。
何日か後に、
「糠床、ダメんなったかん、うっちゃったよ」と言ったところ、
「あれ、うっちゃっちゃったんかい。塩っけのあるもんはうっちゃるもんでねぇし、
うわっかをさらえばまだ使えたっぺさ。何十年も使ってきたぁけん、もったいねぇなぁ」と、
見るからに落胆した様子だった。
母にしてみれば、
おそらくは嫁入り後から毎日かき混ぜてきたものなのだろう。
ちょっと申し訳ない気がした。
それ以来、糠漬けはスーパーで買ってきていたのだが、
1カ月くらい前に、売られている糠床を見つけたのだ。
糠なら家で精米する時に出るからいっぱいあるのだが、
まともな糠床を作れるかどうかも分からないし、
日にちもかかる。
だからそれを即買いしてきた。
以来、毎日、自家漬なのだが、
母のぬか漬けの味は残念ながらしていない。
キュウリやナスもまだ実が採れないので、安い地元の販売所で買ってきている。
今は畑のそれが大きくなるのが待ち遠しい。
もっとも朝昼晩がそれでは栄養失調になってしまうが、
けっこうそう思う。
昨年6月に89歳で亡くなった母が健在な時は、
畑の野菜を漬けたそれがいつも食卓に並んでいた。
だから長い間、あって当たり前だと思っていたし、
とりたてて食いたいと思っていたわけでもない。
そんなふうだったから、
母が高齢化し家事全般ができなくなった頃、
私も片道2時間30分の通勤を強いられていたことから、
糠床の面倒を誰もみなくなった。
ある日、土間の大掃除をしていた時に、
その蓋を開けたところ、
カビだらけで変色、
とても使えたものではないように見えた。
そんなものを置いていても仕方がないので、
寝たり起きたりの毎日だった母には黙って捨ててしまった。
何日か後に、
「糠床、ダメんなったかん、うっちゃったよ」と言ったところ、
「あれ、うっちゃっちゃったんかい。塩っけのあるもんはうっちゃるもんでねぇし、
うわっかをさらえばまだ使えたっぺさ。何十年も使ってきたぁけん、もったいねぇなぁ」と、
見るからに落胆した様子だった。
母にしてみれば、
おそらくは嫁入り後から毎日かき混ぜてきたものなのだろう。
ちょっと申し訳ない気がした。
それ以来、糠漬けはスーパーで買ってきていたのだが、
1カ月くらい前に、売られている糠床を見つけたのだ。
糠なら家で精米する時に出るからいっぱいあるのだが、
まともな糠床を作れるかどうかも分からないし、
日にちもかかる。
だからそれを即買いしてきた。
以来、毎日、自家漬なのだが、
母のぬか漬けの味は残念ながらしていない。
キュウリやナスもまだ実が採れないので、安い地元の販売所で買ってきている。
今は畑のそれが大きくなるのが待ち遠しい。
こうしてそれぞれの家庭にあった良い伝統的な食べ物も食卓から消えてきたと思いますと、ちょうどその節目にいた自分自身の責任もちょいと感じてしまいます。
え、いえいえ、糠漬けを差し上げるのではなく、いただこうかと。
(*^┰゜)b ギャハハハ
でもまだお腹をこわしていませんから大丈夫でしょう(^O^)。