祁県映海戴氏心意拳倶楽部 公式ブログ

戴隆邦から脈々と受け継がれる戴氏心意拳。王映海伝戴氏心意拳の日本での伝承を行う祁県映海戴氏心意拳倶楽部の公式ブログです。

年頭のあいさつ

2013-04-28 09:29:04 | 歴史・文化・芸術・人物

王喜成老師年頭挨拶翻訳

   投稿日:2010年 2月15日(月)04時46分0秒

返信・引用

 

 

中国の正月元旦はとてもにぎやかで、仕事はせず、家では新しいものを買う。今年新年を祝って私は1台の安い100万円余り乗用車を買い、新しい服を着て、爆竹を鳴らし、酒肉、最も主要なギョーザを食する、親しい友人を訪ね歩き、年長者は子供たちにお年玉をやり、近くの弟子に正月の前にも後にも師父に年賀の挨拶をしに来訪するためにしばらくの間、家じゅうが祖父王映海の新年挨拶をする弟子たちであふれ。中国の祝日はとてもにぎやかです。皆さんの師父の王映海は今年85歳、彼は今朝私の二人の子供にお年玉をやり、彼の身体は元気で、毎日外に散歩に出る。
私はみんなと共に中国の春節を分かち合いたい。
佐藤のとてもかわいい息子を思い出す。
最後に,すべての戴氏心意拳の愛好者の幸せな新春を祈ります!

 

 


(無題)

  投稿者:王喜成  投稿日:2010年 2月15日(月)03時59分36秒

返信・引用

 

 

中国的正月初一很熱鬧,不需要工作,家裏買点新的東西,今年過年我買了一輛便宜的轎車,100多万日元,穿新衣服,放鞭炮,吃好的酒肉,最主要的是餃子,走親訪友,長輩給小孩子圧歳銭(紅包)附近的徒弟在正月前後看望師父,正月前看望師父叫給師父送年貨,正月後開始帯礼物去看望師父,叫做給師父拝年,很熱鬧,所以我這段時間都在家裏招待給爺爺王映海拝年的徒弟,中国的節日很熱鬧,ni們的師父王映海今年85歳了,他今天早上給了我的両個孩子圧歳銭了(紅包),他身体很好毎天出去玩。
我很希望能gou与大家一同分享中国的春節,還有想起了佐藤的児子,很可愛。
最後祝所有戴氏心意拳愛好者新春愉快

 

 

 

祝新年快楽!

    投稿日:2010年 2月14日(日)17時31分47秒

返信・引用

 

 

王映海師父、喜成老師、
新年好!祝身体健康。祝今年也是好一年。

 本日は、旧暦のお正月。中国は今日、旧暦の正月を迎えているはずです。
今年も戴氏心意拳が日本でもよりよく発展していきますよう、私たち愛好者みんなが
協力していきましょう。

 

 

(無題)

  投稿者:王喜成  投稿日:2010年 2月13日(土)01時50分37秒

返信・引用

 

 

所有戴氏心意拳的愛好者,大家好,1月在日本与大家見面後,総体来説我対大家的成績感到很満意,希望大家要牢記我告訴大家説的戴氏心意拳要領,少而精,希望下次我們見面的時候同様会有1月分的好成績,感謝原田先生義務為愛好者提供与王映海、王喜成直接見面的橋梁,這様才譲愛好者很直接的学到到原汁原味的王映海戴氏心意拳,最後祝賀大家在以後的日子裏取得更好的成績!

 

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2013-04-25 05:56:10 | 歴史・文化・芸術・人物

何もないから

  投稿日:2010年 9月11日(土)08時41分17秒

返信・引用

 

 

 深津絵里がテレビでインタビューを受けていて、「いろいろな役ができるのはどうしてですか」という問いに
「自分には何もないからだと思います」
 何もないから、何にでもなれるんですね。
何もないというのは、以前話題にしていた「空」の思想と似ているように思います。何もないのは何もないのではなく、関係。「色即是空、空即是色」。物質は決して固定的なものでなく常に変化し、関係しあってそこにある。その変化、関係は、自己完結的なものではなく、外との関係変化でもある。
 人の心持ちとして、必要なことは「素直さ」っ。てことかも知れません。まず受け入れること、そこから考え、練っていくこと。のような気がします。
 自分はこうなんだと言った信念だったり、すぐに答え出してしまったりするとそこですべてが終わってしまう。信念や合理性、知識といったもので自分で鎧を着てしまうと外からの関係変化を断ち切ってしまう。
何もないから、というのは空であって何もないのではない。曇りのない目で吸収し、それに対応していく。自己は、そんな他との有機的な関係の中で、変化成長していくものだと思う。
 自分を空にしていくこと。それが自分を変化成長させていくもののようだ。

 

 

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よく生きることとバランス

2013-04-21 07:24:54 | 歴史・文化・芸術・人物

よく生きること

   投稿日:2010年11月 5日(金)04時23分50秒

返信・引用

 

 

先日、腎陰と腎陽の話をしたが、陰と陽は互いを根とする。「陰陽互根」という。
休んで腎を養うことは大事。元気に活動することも大事。しかし、一方だけというのはあり得ないし、よく休むことで、よく活動できるし、よく活動することでよく休むことができる。元気に過ごした日は、よい夢を見、よい夢を見れば、元気に前に進んでいくことができる。陰陽のバランスを整えていくことは、よく生きていくことになっていく。

 

 

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愛情が生まれる

2013-04-20 21:12:35 | 歴史・文化・芸術・人物

反省!

  投稿者:xinyi  投稿日:2010年10月30日(土)00時33分30秒

返信・引用

 

 

a-fenさんの話を読んで、私は反省ばかりです。「忙しい」という文字は、「りっしんべん」に「亡くす」と書くように、「心を亡くしてしまう」とよく言われますね。結婚する時は、お互い好きで結婚したはずなのに、忙しい、忙しいと言いながら、相手との関係、心をなくしていってしまう。 カンフーなども人生を豊かにしていく物だと思います。はじめは、好きで始めたのに、いつの間にか、忙しい、忙しいといううちに、好きだという気持ちもなくなっていってしまうというのもよくあることです。 「世の中どうしてこんなに忙しいんだろう」なんて良く思います。もっと楽したいなあとか。 だけど、一方では、知らず知らずのうちに、「忙しさ」の中にどっぷりつかっていたり、それを求めていったりする自分がいたりします。 「忙しい」ってことは、何かをしなければいけないということだろうから、「忙しい」って言葉を使われると、周りの物は、何とも仕方ないんですね。その人にして欲しいことがあったとしても遠慮しちゃう。 「忙しい」という言葉は、何かとの関係を切るときに、一番都合の良い言葉かもしれません。相手を直接は傷つけず、断ることができる。 忙しいことはその人にとっては必ずしなければならないことだから、きっとその人の人生にとってかかすことはできないことなのでしょう。 だけど、その忙しさの中で、どう愛情とか好きなことだとか、それらと向き合っていくかというのは、工夫や技術や努力がいる。難しいなと思います。

 

 


愛情?

  投稿者:a-fen  投稿日:2010年10月28日(木)23時01分30秒

返信・引用

 

 

子供嫌いだった私は子供なんか生まないを言ったり、電車を乗っても子供がいる車両を避けたり、とにかく無縁なものだと思いました。いつの間にか自分が子供を持って親に成って当時の私は育っていく自信さえもなかった、子供を生んでから意外と女で強いものです、なんとかやっていた。だけど!苦しかった、当時、夫がいても何もしてくれない、子供が自分のお父さんの顔を見るだけで泣き出した!日本のお父さん事情でしょうね、外で仕事を忙しいから子育てに手伝えてくれない、奥さんに任せきり!
究極の癒し?心音のグッズは知らなかった、時代が変わったと思いました、親が楽にしたいからいろんなものに頼っています、グッズを利用するよりお父さんも周りの家族も加えて子育っていけばこんなものは要らないと思います。子供嫌い私はよくここまで変わったと思います。
当時の夫はオムツさえを換えたこともない、私は一人奮闘した!子供が泣いて私も泣きました、夜鳴きにしても寝ないまま一晩で抱きました。だけど、寝た顔を見たら、すべてあの辛さを忘れた、あれから16年間、怒って泣いて笑って悩んでこの全てが私を育てくれた、今も私が成長しずつ、今の感動、今の反省を感じしながら子供とともに成長していく。
自分の子供を生んでも親として認識がすぐに生まれないです、芽から出て愛情を注ぎながら親子の愛が生まれると思います。
現在、異国で一人で子供を育っていくと思うと、とても大変に辛い、怖いぐらいですが、考え方を変えると子供が私を育ってくれた、変えてくれた大きな役目でした。
もちろん、子供が私とは生活して大変につらい思いがいっぱいある、それでも強い絆になると思います。愛情でなんでしょう?私も分からない、感情に任して自然に生んでくるものでしょう。

http://隊

 

 


究極の癒し?

  投稿者:xinyi  投稿日:2010年10月27日(水)23時15分19秒

返信・引用

 

 

 究極の癒しグッズ!として、赤ちゃんに心音を録音したものを聞かせるグッズが紹介されていた。確かに赤ちゃんは、それで安心して泣きやむ。便利なグッズだと歓迎する人は多いだろうし、実際、子育てに貢献する部分もあるのだろうと思う。
 しかし、やはりちょっと、待てよという意見もあって良いのだろうと思う。心音は、つながることから生まれてくる安心感だろうとすれば、心音グッズを用いたがる背景には、そのつながりを否定したい意識が見えて来るような気がしてならない。親が子供を愛することができるようになるには、いろんなトレーニングがいるし、はじめから母性とか愛情とか持ってる人はいないんだと思う。母性や親子愛という言葉や観念は、社会が都合のよいように勝手に作り上げてきた幻想だ。元々個人の中にある物ではない。だから「私は、子供を愛することができない」とか「子育てが下手だ」といったことは、本来は当たり前のことだ。愛は
もともとある物ではなく、つながることによって生まれてくる物だ。自分の子供が生まれてきて、初めてその子供を抱いたとき、うれしい気持ちと不思議な気持ちと複雑だった。
 親なんだけれども実感がなかった。親が親になって行くには、子供の笑顔を見たり、しゃべったり、遊んだり、怒ったり、悲しんだり、楽しんだり一緒に何かをともにやっていく中でしか、親になっていくことはできないし、そのつながりがあるからこそ愛情が生まれていく。私達は、おぎゃーと生まれてきた瞬間から、へその緒を切られ、人からも自然からも個体にさせられる。個体は、個体だからこそ自由になれるし、自然や人ともつながることができる。自由も愛情も学ぶというトレーニングなしには、なしえない。私達の究極の癒しとは
つながりながら、うまくつながっていくことを学んでいく、身につけていく、そこに初めて癒しが生まれてくるように思うのだがいかがでしょう?

 

 

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王仲廉老師

2013-04-06 10:25:20 | 歴史・文化・芸術・人物

王仲廉老師

    投稿日:2011年 5月28日(土)09時47分30秒

返信・引用

 

 

王仲廉老師の動画をアップしました。
王仲廉老師の指導は、ほんとうに素晴らしかったですし、彼自身の功夫は凄まじく、人間離れした動きでした。「彼の動きを見るだけでも中国良く価値がありますよ」といつも皆さんに勧めていました。ひとつの技法から千変万化する用法を次々に実演、説明しながら、丁寧に丁寧に指導される姿が今も先日のことのように思い出されます。アップした動画は、もちろんほんの一部で用法の説明だけでも延々と続きました。今後も紹介していけたらと思います。

 

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