楊枝秀基(ようじ・ひでき)の「タイガーチャージ」

デイリースポーツ阪神担当記者のファンキーリポート

虎のおもろい人たち

2008年06月27日 | Weblog
 取材をしていて、おもろいなと思うことがあると虎番25時のコラムにたいてい書いています。
 なかなかネタがなくて困ることもあるのですが、一方でおもろいなと思うことが多すぎてすべてを書けない皮肉な日があることも事実です。
 28日の秋田でのヤクルト戦を前に移動日となったこの日は、おもろいなと思った出来事が複数あって困りました。
 どうしようかなあと思っていたとき、そやん、ブログやんと。思い出したわけです。


 甲子園室内での練習を終えたときでした。
 関本と秀太がロッカーへ向かって歩いてくるのが見えました。
 おつかれさん!とさわやかに声をかけたら、関本が何やら言いたそうな顔。
 何?と目線を送ると、そらきたかとばかりにしゃべりだした。

 「あのね、デイリーの記者やのになんでスポニチに大きく写ってるんの?俺らは甲子園で練習してるのに、自分だけ東京に出張して日本代表の取材をしているわけですね」

 ぬぬーっ、よう見てるなあセキは。
 確かに今日付の新聞でスポニチの一面に俺は写っていた。矢野さんの隣で熱心に?取材している風景が掲載されていた。たしかに甲子園にいた阪神の本隊を取材せず東京出張を満喫していた。くそぉ、他社に掲載された新聞でそれがバレるとはなあ。セキも目ざといのう。

 そんな風に話していると、今度は関本の口撃の矛先が秀太に向かっていった。
 「楊枝さん、そうやって僕らの取材をほったらかしにしてるから、秀太さんがFA宣言するとか言ってる情報を逃すんですよ。ねえ秀太さん。FAですよね」

 ははは。そういえば先日、選手と野球機構側の話合いでFA期間が現行の9年から8年に短縮されるといってたなあ。秀太も8年になればその恩恵を受ける選手やし。なるほど。秀太くんはFAしてどっかに羽ばたいていくんやな。これはセキが言ったことやから確かやなぁ。秀太くんは苦笑いしているけどな…。

 練習が終わってからロッカーに入っていくまでの短い時間で取材をしているのだが、こうやって振り返れば結構、選手とコミュニケーションを取れているものだなとブログを書いていて再確認。

 セキと秀太くん、ありがとうね。

魔の5日間…

2008年06月24日 | Weblog
 プロ野球担当の新聞記者にとって何がしんどいか。
 それは試合のない日の原稿をどうするかです。
 
 もちろん、この仕事のプロですので、前もって試合のない日のトピックを選手に取材をしたりもしています。しかし、5日間も連続で試合がないとなるとちょっと勝ってが違います。しかも、23、24日は完全休養日みたいな。おおーいどないすんねん。って感じになるんですね。
 ということできょうは人里離れたどこかの場所にきてある人を取材したりとか、新聞記者みたいな(記者やん‼)隠密行動をしています。このブログは取材先で更新している次第です。

 毎日、3ページ以上を阪神情報で満載にしている虎番記者たちは7人います。この、魔の5日間をどう乗り切るか。みんな結構、苦労しているはずです。僕もこうやってブログの更新をやっている場合ではなさそうなので、ちょっと取材にいってきます。

西武ドーム

2008年06月13日 | Weblog
 今は虎番として頑張らしてもらってますが
 99、00、01年と僕は西武を担当していました。
 自分も記者として駆け出しのころ、同世代の選手たちが頑張ってる姿を取材するのがすごく楽しかった時代です。
 もう担当を外れてから7年が経過しているのですが、西武ドームにくると当時の思い出がフラッシュバックします。

 球場内にいるとなつかしい顔ともたくさん会えました。
 まずはテレビ埼玉の解説で球場にきていた大友進さん。
 担当をしていた当時は現米大リーグ・アストロズの松井稼頭央選手と1、2番コンビを組んでいた俊足巧打の外野手でした。いまでも走ったら速いやろうなあと思うくらい体型も変わらず。逆にこっちは変化が大きかったらしく「また、太ったでしょ」と突っ込まれました。

 そして、西武球団の事業部課長として活躍している高木大成さん。僕が担当している当時は3番打者として活躍していました。慶応出身で、ルックスがさわやかですごく人気があってね。僕とは同い年なんでいつも興味を持ってプレーをみていました。
 きょうは試合後にサラリーマンナイトと称するイベントを開催。西武OBで評論家の大塚光二さんと、高木大成さんとでおじさんたちにノックを打ったりファンサービスに走り回っていました。



 高木さんは「阪神ファンの人もたくさん参加してくれてうれしかった。怖そうな阪神ファンの人もボールを追い掛けてるときは本当に楽しそうにしてくれてね。最後は『日本シリーズでまた会いましょう』なんて言ってましたよ」と、またさわやかな笑顔で話していました。

 担当記者として高木選手と接していたときは正直、故障が続いてほとんどしっかり話すことができなかった記憶があります。同級生なので本当に応援したかったんですが、故障に苦しんでいる高木選手を励ますような原稿を書くことはできなかったと思います。でも、引退してから違った顔で、虎番記者と球団職員という立場でまた話ができるということをすごくいいことだと思いました。

 85年以来の阪神対西武の日本シリーズ。実現してほしいなと思っています。85年当時は僕は小学6年生だったんです。35歳になってまた虎と獅子の対決を新聞記者として取材できるとすれば本当にうれしいと思います。しかも、西武は僕にとってはある意味、古巣なわけで思い入れもありますからね。

 高木さんと「野球界全体を盛り上げたい」と話したんですが、これは野球に携わる仕事をしている人がみんな思っていることだと思います。

 きょうは阪神は負けてしまいましたが、西武ドームの遠征にきてよかったなとほんまに思いました。