飛耳長目樹明

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共和制への移行に賛成

2013-07-09 17:53:38 | 日記
 最近、共和制を主張する本が出た。


 堀内哲『日本共和主義研究』(同時代社)
 堀内哲編『いま「共和制日本」を考える』(第三書館)

 内容には不満がある。
 しかし、共和制の議論をすることに、大賛成である。

 世界の歴史を見ると、王制の寿命は大体300年である。
 中国がそうだ。
 古代エジプトも3000年~4000年で30王朝である。ここは100年ちょっとだ。
 西ローマは短いが、東ローマ帝国(ビザンチン帝国)は1000年と長い。

 日本はどうか。

 645年(大化改新)または671年(壬申の乱)が天皇王朝の開始である。
 天皇号は、唐が採用し、ついで新羅が謚名(王が死去した時)として、2代採用し(まだあったかもしれない)、これを真似して日本も採用した。天武からだ。

 ところが村上で天皇名は無くなっている。すべて「院」である。
 しかし院が最高権力者ではない。院のうちの第一人者が「治天の君」として君臨したのだ。
 ただし国家機構はマヒしている。
 地方から租税を取り、それが都に運び込まれ、その費用で国政が執行される・・・・ということはない。「地天の君」は自分の所有する荘園からの収入で、国政を行っているのだ。
 「治天の君」に対抗する貴族たちも大社寺(延暦寺、園城寺、興福寺)も勝手に存在している。国の警察も軍もない。京の治安は乱れに乱れている。内裏にも平気で泥棒が入る。
 宮中も乱れに乱れている。源氏物語を見よ。冒頭から皇子(光源氏)が父親の側室(藤壷)を襲う話だ。これが世界に誇る文学の名に値するのか。
 
 そもそも中央政府が存在しないのだ。大極殿は平安中期に焼失した。前述のように村上以後は天皇が存在しない。
 朱雀大路は荒れ果て、藤原道長が作った法成寺から南へ行く道が「今朱雀」といわれた。今の烏丸通だ。
 
 天皇号の復活は、1940年、天保末期からだ。約900年間、天皇は不在だった。

 明治維新では、王政復古が行われた。王政とは900年前に廃絶していたのだ。

 では復活した天皇制は、うまく機能したのか。
 いや、三代で日本を台無しにしたのが天皇制だ。
 今まで、日本列島は、外国の支配を受けたことがない。平安期に刀伊の入寇があり、鎌倉時代に元寇があった。しかし九州沿岸の島々が一時占領されただけだ。
 
 ところが王政復古をしたら、三代目で全島が占領されたではないか。
 この占領は60年以上たってもまだ解消されていない。
 
 天皇を元首にするなんてとんでもない話ではないか。
 
 天皇制こそが日本は破滅させた癌だったのではないか。王政復古は間違っていたのではないか。

 こういう議論を、今すべきだ。