私の風景

私の、私による、私のための日記

初体験。それから。

2011年05月14日 | 考え事
 何かひとつのことをする力は、しばらく使っていないと徐々に低下していくものです。例えば、文章を書く能力。私は、しばらく文章を書いていませんでした。文章といっても、このブログくらいなのですが。

 自分の書く文章がよくできているとは思っていませんが、ちょいちょい更新していたときは読んでくれている方にわかりやすいように自分なりに考え、書いていました。

 で、今日の話。

 初めてのこと。上手くなること。

 やったことのないこと、例えば仕事のこと。
 初めてやることがうまくできなくても、毎日同じことをしていれば上達するのかという話。

 初めてやることを最初から上手にできれば、それはそれでよいのです。でもそうではないヒトもいるのです。最初はできなくても、毎日やっていればできるようになります。当たり前です。問題はそれより上のこと。
 
 物事には「慣れ」があります。毎日やってできるようになったのは、上達したからできるようになったのか?「慣れ」たからできるようになったのか?この違いは大きいと思うのです。

 上達してできるようになったのだとしたら、それはよいことでしょう。上達するにはしっかりと考えて仕事を進めなけりゃなりません。上達することに終わりはないですし、その精神を忘れなければ何事もうまくいくでしょう。

 では、「慣れ」たからできるようになった場合。「慣れた」ということは、上達したということの一部なのかもしれません。でも、この「慣れる」というのは何も考えていなくても体が勝手に覚えるということなのかもしれないのです。

 もうひとつ、人間は狡賢い生き物で、「手抜き」ということを知っています。それこそ、単に「慣れ」だけでできるようになった場合、力の抜き方も無意識のうちに探っている。だから、「手抜き」もするようになる。結果、成長はそこで止まってしまうのです。

 最初の話に戻るけれど、ブログとはいえ色々考えて文章を書いていた頃、それなりに文を作るのは上手くなっていたと思います。読んでくれた方には、お世辞かもしれないがよくそう言われていました。

 それはそれでよい。では、ほかのことはどうか?

 今までの自分自身を見直してみると、上達したことはどれだけあるだろうか?
 それをよく考えなけりゃなりません。今までのこと、これからのこと...。

 今日の写真。とあるホテルの食堂の風景。
 ゴハンを待つネコチャンです。
 ゴハンまだかなー?わくわく。

おもちゃがカンヅメ。

2009年03月09日 | 考え事
 キョロちゃんが、おもちゃのカンヅメ。写真は、小学生のときにもらったおもちゃのカンヅメです。銀のエンゼル5枚集めてもらったのです。

 中身はヒミツ。キョロちゃんには夢がいっぱい。かわいいキョロちゃん。
 私は、有名なキャラクタはそんな好まないのですがキョロちゃんは大好きです。
 テレビコマーシャルのキョロちゃんがかわいいです。
 
 おしゃべりキョロちゃん。キョロちゃんがいっぱい。

 カンヅメの中身はもうありませんが、缶だけは残っているのです。
 中には、道内各地のキーホルダがいっぱい。小さいころ、あちこちに連れて行ってもらったときに買ってもらったり、親戚からおみやげでもらったり。けっこう集めたものです。

 中に入っていた夢はなくなってしまったけれど、今は思い出がいっぱい詰まっています。

 ありがと、キョロちゃん。

初恋。

2009年03月05日 | 考え事
 初恋の人からの手紙、という占いをやってみたのでありました。


 初恋の人からの手紙。


 結果はともかく、けっこうおもしろいものでございました。
 
 初恋…。私は、初恋のときは手紙を書きました。もともとヒトと話すのが苦手で、相手は、毎日顔はあわすけれどあんまり話すこともなかったヒトでした。話せなかったのです。業務連絡しかできなかったのです。私の立場的にも。

 それでも、毎日顔が見られるだけで幸せでありました。ある日突然、衝動的に手紙を書いて渡してしまったのです。本当に突然でした。

 結果的に上手くいかなったのだけれど、たまに二人で雑談できるようになったのは嬉しかった。けれど、さみしくもあった。それはほんの僅かな時間。失恋してぼろぼろに泣いたのはこれが初めてでした。

 連絡先ももらったけれど、連絡などできるはずがありません。

 そんなことを思い出させてくれた今回の占い。その頃から成長したはずなのですが、肝心のところは時間が止まっています。ゼンマイがきれてしまったようです。

怖いこと、恐いこと。

2009年02月04日 | 考え事
 理性を失ったヒトは恐ろしい。
 ヒトは頭がいい。ヒトは話ができる。

 でも、それができなくなることだってある。

 ヒトは頭がいい。ヒトは嘘をつくことができる。
 わかりやすいのが、結婚するときの「幸せにするよ。」という言葉。そんなこと言うヒト実際にいるのかはわかりませんが、この言葉には嘘偽りが多分に含まれているとしか思えません。

 私は独身ですが、私と結婚しても幸せはこないでしょう。結婚する相手も見込みもないけれど。私は、身勝手で自分がいちばん可愛いですから。

 ただ、悪いことだけはしたくない。でも、私は嘘とでっち上げが大好きです。ありもしないことをベラベラと喋り、その嘘がばれる前になんとかしようとする。なんとかなることもあるが、大抵はどうにもならないのです。
 
 ヒトは結局、自分がいちばん大事なのです。かつての日本には武士道がありましたが、滅んでしまいました。時代の流れなのです。そういう時代になったのです。 

 正直者が馬鹿を見る。これは本当です。しかし、馬鹿がいるということは、馬鹿を見て笑うヒトがいるということ。他人の不幸はミツの味。ヒトはヒトを見下すのが好きです。

 自分の幸せとは、他人の不幸を笑うこと。


 恐かったのです。私は。

 そういうわけで、25歳になりました。今書いてきたことをすべて否定できるくらい強いヒトに、私はなりたいです。 

落しもの。

2009年01月05日 | 考え事
「落としものはありませんか?」
 ヒトは、歩いていくだけで色々な落しものをするものです。でも、それに気づいているヒトはいない。落としものであり、忘れもの。

 それはなくなっても困らないものだけど、必要のないものでもない。それは、かつて必要だったもの。

 現実を見れば、そこにあるのは何かしら?そこにいるのは誰かしら?
 後ろを振り返っても、落としものは見えません。忘れものに気づきません。

 でも、ちょっとしたことで、ほんとにちょっとしたことで、落としものをしたことに気がつくのです。

 置いてきてしまった大切なもの。でも、忘れものコーナーはもう空っぽ。

 もう戻ってこない、かつて必要だった大切なもの。

 それに気がつかないほうが、しあわせだった。

「落としものはありませんか?」