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花咲かブログ

おたく女ののんびり生活

郁斗の幸福

2010年08月20日 20時46分13秒 | 嘘喰い(感想以外)
いつもの直感的な話でございます。

16巻の雄牛編をパラパラと読み返していてふと。
梶くんて郁斗のことを本当に何度も何度も「郁斗」「郁斗」としきりに呼び掛けていませんか。彼が死んだ後も、滑骨との会話で「郁斗」「郁斗」と繰り返している気が。

羽山郁斗は、作中で迎えた悲惨な死に方をしなかったら、いっそ溜飲が下がらないくらいの極悪な殺人鬼なんですよね。それ以前に、人間性も落ちるだけ落ちていて、およそ見ることのできない人間でした。

しかしながら、梶くんがあれだけ「郁斗」と呼び掛けていたことを思い出すと私は、梶は郁斗が地の果てまで落ちた人間のまま全てを終えてしまうことが、悔やまれてならなかったのかなあ、と。

最初は許し難い憎い相手であり、敵でした。でも、郁斗のひどい人間性をあけすけに見せられている内に、「こいつの根性を叩き直す方法はないのだろうか」という気持ちが芽生えたりしたのかなあ、と思って。

理屈を考えれば、「郁斗に法的な制裁を受けさせる」というのが真っ先にすべきことなのんですけど、郁斗の人間性を見ている内に「なんでこの人間はこうなっているんだろう」「これは直らないのだろうか」「直す方法はなにかないのだろうか」という、救済方法の思案(罪から逃れさせるのではなく、だめになった根性を叩き直すという人間性の救済)が梶くんの中に紛れて来ていたりしないかな、と。

郁斗は憎むべき相手なんですけど、郁斗のあまりの中身のなさにむしろ「可哀想」という気持ちがふと浮かんだんじゃないかと。

だから、「郁斗」「郁斗」と彼の良心や、人間だったら持っているであろう心があることを信じて、何度も呼び掛けていたんじゃないかなあ、なんて。良心が疼いて、自分から自分の間違いに気付いてくれるように。そのためにも、郁斗のイカサマを暴いて彼に負けを自覚させて、彼の良心に訴えようとしてたりして。

だけど、郁斗は残念ながら梶くんに対しては、最後の最後まで自分の良心というものに気付くことなく、雄牛の中に入ってしまったのでした。

その時に、梶くんは心のどこかで、郁斗という人間に完全に絶望してたのかな、とか。絶望して、もう郁斗を人間とは思えなくなって、だから呼吸管にカールのネクタイが詰まっていることを伝えそびれた、とか。人間ではないものが死に行くのを止める切羽詰った理由はない、というか。郁斗のことを同じ人間だと捉える回路が無意識のところで遮断されてしまったというか。

あとは、梶くんの心の中には、カールさんの無念への弔いもあったのかな、と思ったり。
カールがこの呪われたゲームに下した罠。このゲームに関わり続ける者を死に至らしめることで、終わらせようとでもいうような。

なので、梶くんは、郁斗のことは無意識レベルでもう人間とは捉えられないし、ネクタイのことを思い出したらカールの無念も思い出して「カールさんの本懐(と思われるものを)遂げさせるべきじゃないか」とこれまた無意識に梶くんは思考と判断を下していたりして。
それが、郁斗に「ネクタイのことを言わなかった」の正体……、ではないかもしれないけど、とりあえず思いついた説です。

ただ、次の回で梶くんが滑骨に言っている通り、梶くんは郁斗の人生にとって通りすがりのエキストラに過ぎないんですよね。郁斗が自省することなく、自らより堕落の方向へ進んでいっただけで。そもそもこんなゲームで人の命を弄んだりしなければ、郁斗は死なずにすんだよね、という、それだけの事かなと。

そんな訳で、梶くんの心中を想像してみると(当たってる確率が高いとも言い切れない説ですが)、郁斗は幸せ者だと思いました。最後の最後で、心底の本気で自分のダメさ加減を心配して叱ってくれる存在に会えたのだから。本人に自覚がないというのがまた救いようがないのですが。



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話が戻りますが。
梶君の「ホンの少しも理解できない」の涙はホントに……
郁斗の人間性と、その変わることのない腐りようを目にして、「郁斗も人間だと思うと、人間自体に絶望しそうになる」「どうして人は変われないんだろう」という何ともいえない悲しさと虚しさの実感が、梶くんに涙を流させたのかな、なんて思いました。

『嘘喰い』は本当に人間の複雑な心理を表現するのがうまいなあと思います。
梶くんは郁斗憎しだけで動いてないし、あの流す涙も、何かひとつふたつのシンプルな理由とは思えない。
ここまで複雑な心理を搭載して話を展開させるのは、描く側に相当の難しさがあるように思います。作者さんの表現の仕方によっては、読むほうも理解するの難しくなっちゃいますから。
フィクションに出てくる人間の心理は大体、ひとつふたつくらいの動機の元に描かれていたりします。揺れる気持ちでさえそういうケースのほうが圧倒的に多いかと。

でも『嘘喰い』はその複雑さを物語の中に上手く紛れ込ませて、そして読者に言語や理屈ではなく感覚でちゃんと共感させることができるんですよね。ほんとにすごい技術だと思います。



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