ヤスの雑草日記(ヤスの創る癒しの場)

私の人生の総括集です。みなさんと共有出来ることがあれば幸いです。

○世界は、解釈のしかたで決定づけられるんだ。

2013-02-07 10:02:51 | 観想
○世界は、解釈のしかたで決定づけられるんだ。

バッハの作曲した「ゴールドベルク変奏曲」は、当時はピアノというものがなかったんだから、当然チェンバロで演奏するためのものだ。そして、この曲は不眠症でお悩みの、お抱え貴族のための睡眠薬がわりの曲。なるほど、チェンバロならば、そういう目的だったということにも、納得がいく。

でも、グレン・グールドというカナダの天才ピアニストの手にかかると、「ゴールドベルク変奏曲」はまったく異なった曲想をイメージさせる。聴く人の心の中にズカズカと踏み込んで来るかのような、強引で強烈な魅力を持ったピアノ曲ということになる。聴きながら眠るなんて到底出来るはずがない。むしろ覚醒のための音楽と言っても過言ではない。眠りを誘うための曲から覚醒させるための曲に。静から動への大転換。

グレン・グールドは生涯に二度この曲を録音している。20代の頃の「ゴールドベルク変奏曲」は、天翔るごとく、人にあらざるものの存在を彷彿とさせる、スピード感煽るる演奏だった。50歳にしてこの世界から去っていくこの天才は、死の直前に二度目のレコーディングをする。それを聴いたときの観想。これほど完璧なレクイエムがいったいこれまであっただろうか?という素直な驚きだった。フォーレのレクイエムは確かに荘厳だけれど、グレン・グールドがたった独りで弾くピアノの、極端に緩やかで、遅すぎるくらいの演奏技法。グレン・グールドの「ゴールドベルク変奏曲」が、世界のありようそのものを変質させてしまうかのような影響力を持っているのはどうしたことなんだろう?

そう云えば、ニーチェの「ツァラトゥストラはかく語りき」という作品は、聖書の全く異なる角度からの、世界の再解釈の物語だ。ニーチェがそもそも文献学の大学教授だったことを考え合わせると、この世界は、やはり突き詰めれば、解釈のあり方そのもので、世界の見え方、捉え方が激変するということなのだろうか?

と、呟いてみた。

京都カウンセリングルーム
文学ノートぼくはかつてここにいた
長野安晃


コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。