「こっぽら」 ひらがなで書かれていますが、
元はと言えば、コーポラティブ・ハウス」(Cooperative House)のことなんです。

↑南側から見たこっぽら土澤
自分たちが居住する住宅を、共同で組合をつくり、土地の取得、建物の設計などを進め、住居を取得したあとは、やはり共同で管理していく。そのコーポラティブ・ハウスを実現しようと、2002(平成14)年頃から進められてきた計画でした。今から18年も前のことです。具体的に実現を目指して進行したのは、2008(平成20)年のこと。それから、紆余曲折を経て、2011年(平成23)年の10月に完成しました。繰り返し口にするコーポラティブの言葉。コーポラティブ、コーポラ、コッポラ・・・というわけで、呼びやすく、地元ならではの響き
「こっぽら」になったというわけです。

↑ 商店街から見たこっぽら土澤
土沢商店街は、花巻の町から遠野を通って、沿岸の釜石へ向かう県道222号線上にあります。そばに並行するように、国道283号線、そしてJR釜石線が走っています。土沢商店街は、かつて釜石街道の宿場町として栄えた歴史をもちます。農村地域の街場としてにぎわいました。まっすぐ一本の商店街で、花巻寄りから、下町(しもまち)、中町(なかまち)、上町(かみまち)となっています。

↑花巻市東和支所にほど近い中町

↑ 早朝の上町から見た砥森山(ともりやま)
このうち下町は、県の都市計画道路事業で、道路整備が行われました。道路幅が広がり、歩道もできました。店舗部分が後ろに下がることで住居の建て替え工事や、これをきっかけに店舗を廃業するところもでました。都市計画道路事業は、中町、上町、と広がる予定でした。しかし、現在ではこの計画は実現の見込みはありません。

↑歩道ができた下町
下記が、18年前から今に至る、こっぽら土澤建設事業を中心にした大きな流れです。
2002年 上町の3軒の地権者によって共同建て替え事業の検討が始まる。
第三セクター(株)土澤まちづくり会社が設立される。
(旧東和町 500万円 住民出資者103名 500万円)
10月に上町の共同化住宅構想の検討にまちづくり会社が参画する。
2003年 まちづくり会社による「道路の社会実験」(国土交通省)実施
2004年 同上

↑商店街から美術館への登り道
2005年 街かど美術館 アート@つちざわ 第1回開催
2006年 街かど美術館 アート@つちざわ 第2回開催
東和町、花巻市と合併

2007年 街かど美術館 アート@つちざわ 第3回開催
上町地区共同化建設組合設立
まちづくり会社を中心に、地域住民による事業応援組織「長屋倶楽部」
できる。 内閣府ネットワーク形成促進事業助成を受ける。
早稲田大学都市地域研究所から、岡田昭人、市川均、木村裕美氏らが
毎月派遣、東和に来る。
2008年 LLC(合同会社)「土澤長屋暮らし」設立。
上町地区共同化建設組合は、「土澤長屋暮らし」に事業代行を委託。
こっぽら土澤の建設事業が具体的に始まる。
建設敷地は、地権者5軒、合わせて1,040平方メートル。
ここに、鉄筋コンクリート造り地上3階地下1階の建物建設。
地権者住居3戸、分譲6戸、賃貸住居8戸、テナント8戸。
「土澤長屋暮らし」が事業施工者であり、土澤まちづくり会社は、事務業務を委託される形で関与することになりました。早稲田大学都市地域研究所の岡田昭人氏は、まちづくり会社と長屋暮らしのメンバーとなり、コンサルタントとして、全体を指揮しました。
建築物実施設計業務は、早稲田大学都市地域研究所のメンバーである、アーキネットデザインの市川均氏に委託。建設工事は、熊谷組東北支店と大久保建設の協同企業体が請け負いました。
8月に入居者募集、9月の岩手県議会委員会に「新・長屋暮らしのすすめプロジェクトについて」というテーマで、地権者、長屋暮らしのメンバーが参考人としてよばれ、事業についての説明と質問を受けました。
2009年 街かど美術館 アート@つちざわ 第4回開催
11月に地権者の家の解体工事が始まった。
2010年 解体工事以降、この年の8月まで工事が止まる。
9月に本体工事が始まる。
2011年 街かど美術館 アート@つちざわ 第5回開催
3月11日 東日本大震災が起こる。
8月完成予定が延びて、10月に入って完成。

2011年10月、こっぽら土澤は完成しました。しかし、地権者全員が入居できるまでに
少し時間を要しました。東日本大震災の影響も大きく、ワンデイシェフの大食堂では、
夕方から夜間、釜石の日本料理店が「縁(えん)」の名前でお店を出しました。
プロの美味しい料理の数々は、みんなの心をなごませてくれました。

↑ 七夕。 こっぽら土澤の前で。
こっぽら土澤完成までには、多くの時間と、たくさんの人々の苦労がありました。
委託していた早稲田大学都市地域研究所のコーディネーターの計画通り、融資がうまくいかなかったり、工事が途中で止まったり、さまざまな問題に直面しました。本来解体工事が始まって1年で完成する予定が、結局2年がかりになりました。完成後も、分譲の販売、テナントの入居など、数多くの問題に直面しながら、話し合いを重ねて、ひとつひとつ解決に向けて努力してきました。
この過程については、改めて書き加えていきたいと考えています。
記録は大切であり、次のステップへの礎となります。
というわけで、さまざまな難関を乗り越えてきた私たちは、これからも健やかな暮らしを
積み重ねていけたらと願っています。
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