会社に行くのが憂鬱な朝は

様々な仕事を経験して得てきたことや日々のことなど。

6月26日(土)にじいろ体験マルシェ お越しくださいませ

2021-06-08 08:56:22 | メンテナンス
 
6月26日(土)10:00〜
レンタルスペース鎌倉小町庵にて
にじいろ体験マルシェに参加します。
 
ワークショップ、ボディーセラピー、占い
イベント名通り、毎回多彩な出店ですが
 
今回は、それに加えて
組み木絵作家中村道雄先生の作品も
コラボレーション展示
 
また、身体が喜ぶお料理を教えてらっしゃる
料理研究家の方が、美味しいスイーツと
食のミニ講座もしてくださいます。
 
 
私は産業カウンセラーですが
 
この日はストレスマネジメントとして
①アロマを使ったキネシオロジー&カウンセリング
(20分2,000円)
②腕の経絡をホホバオイルでケアする
 癒しの経絡ハンドケア「フェアリーライト」
(20分2,000円)
③進学や転職、恋愛などで悩める方には
 ご自身の潜在意識が望む選択を
 あなたの身体に聴いてみる、
 「潜在意識に聴くオラクル」
(20分2,000円 *アロマによる調整付)
 
この3つで出店します。
 
 
ゆったりと時間が流れる
清々しい気に包まれた古民家スペースで
日頃のお疲れを癒しに
ぜひ鎌倉にお越しくださいませ。
 
★鎌倉小町庵 道順
https://r.goope.jp/kamakurakomachi/menu
 

採用するのに適性検査は必要?

2020-09-26 23:23:00 | 働く

「ウチは専門職ばっかりなのに

採用でどうして性格や適性の検査するんだろうね」

 

というハナシを聞いて

確かに、そんなことを必要とする職種かな?

と思うものまで

SPIだのYGだの受けさせる会社が

増えたなぁという実感があります。


これはあくまで私の独断と偏見ですが、

と前置きして、

その理由には


一つには申し訳ないけど、

面接官自身に人を見る自信がないことが

あるだろうし


二つ目には

ちょっとでもいい人に来て欲しい

という思いが強いこと


があると思うのですが、


その会社にとって「いい人」って

じゃあ一体どんな人?

と改めて聞くと


具体的に挙げられる会社って

どのくらいあるんだろう?

 

能力のある人?長く働いてくれる人?

安い給料でも文句を言わずにたくさん働いてくれる人?

 

会社のコンセプトがしっかりしていて

スタッフ全員がそのコンセプトに誇りを持って

働いている会社では

「いい人」が長く働けます。

 

雇っても雇っても辞めていく

という会社は

取り敢えず誰でもいいから採用して、

受け入れ態勢がしっかりしていないから

現場が混乱するだけで長続きしないケースが多い。

そもそも会社のコンセプトが無いに等しかったりする。

 

要するに

適性検査や性格テストに頼ってばっかりじゃ

本当に「いい人」は来ない。

 

まずは会社自体がブレない存在であること。

コンセプトがしっかりして、

それにスタッフが誇りを持って働ける場であること。

 

それが大事ですよね。

 

ちなみに私事ですが、

昔々おおむかし、

中途採用で性格テストを受けさせられたので、

明るくて積極性を思わせる回答ばかりして

採用された会社が、

とんでもないブラックでパワハラ企業で

3日で辞めたという笑えない話があります。

ま、どっちもどっちです(笑)。


水出し岩茶

2020-09-10 11:43:00 | メンテナンス

まだ暑い日が続くので

大好きな岩茶を水出しで飲んでみようと

用意しました。

ゆっくり抽出なので

飲めるのは夜以降かしら……






中国茶は熱いものを飲みますが

日本茶と違って5煎以上飲めるものが多いので

飲みきれなくなったら

茶葉をボトルに入れ替え、水出しします。

私はこの水出し岩茶が大好き💕

飲むと熱いお茶では感じられなかった

トロリとした甘さとふくよかな香りが

口の中や鼻腔いっぱいに広がり

なんとも言えない幸せ〜な気分に浸らせてくれます❤️






ここひと月、仕事やダイエットで

ちょっとストレス溜まり気味でした。

そんなとき、この水出し岩茶が

とってもいい癒しになりましたよ。


きちんと「怒る」ことは自分を大事にする?

2020-08-16 19:00:00 | コミュニケーション

動物の中で笑うのは人間だけ

という話を聞いたことがあります。

犬や猫でも笑うよ、という人もいるので

真偽の程はわかりませんが、


怒る、怒り

というのは多くの動物に見られる感情です。


そもそも何のために怒るのかというと、

自分を守るためなんです。

命を守るために人間以外にも

多くの動物の本能の中に組み込まれたものなんですね。


犬や猫、そのほかの獣でも

外敵から攻撃を受けたとき

牙をむき背中の毛を立てて必死になって怒りますが

これは自分の命を守るためです。


なのに怒りの感情が湧いたとき

この気持ちをわかってもらえるだろうか

怒ることはいけない事だ

怒ったら周りになんと思われるか

そんな事を考えるのは人間だけ。



自分を大事にすることの一つに

真っ当に「怒る」ということがあります。


自己肯定感が低い人ほど「怒ってはいけない」と思って怒りを抑え込みがちです。


人から侮辱されたり、軽んじられた時にきちんと怒りを受け止めて怒ることは

自分の尊厳を守ることであり、自分を大事にすることです。

自分を大事にする前に人目を気にしていたら

周囲もあなたを大事にしない。

ちゃんと怒ることができないと、

人はその人を軽んじるのです。

何をしてもいいと思われてしまう可能性もあります。


ところが、ちゃんと怒ることができない人は、

自分が怒ることによって人から何と思われるか、

とか

自分の怒っている理由が分かってもらえるだろうか

いうことを気にしてしまうんですね。


それはすなわち

自分の怒りの感情よりも

自分がどう見られるかを大事にしているということです。


他人の目を気にしながら怒りを表現する人は、

周りから、あなたが本気で怒ってるとは思われないため

同じ被害を何度も繰り返し受けるハメになります。


例えば誰かに何かをされて腹が立ったとき、

自分の尊厳のために本気で怒る人に対しては

その勢いに圧倒されて

傷つけた人は一瞬ひるむものです。

相手がサイコパスでない限り

本当に怒っているということがわかるので

次回からあなたを軽んじないようになる場合が多いです。


怒りを露わに表現することは悪いこととは限りません。

ときに理不尽なことから自分を守ることにとても有効です。

怒ることができない人は

だれかの目を気にすることよりも

勇気を持って、自分のために怒ってあげるということに

思いを巡らせてみませんか。


怒りだって大切なあなたの一部なんですから。


言葉とアイデンティティー

2020-08-15 09:15:00 | コミュニケーション

仕事、プライベートに関わらず

初めて私と出会う人の3割くらいの人から

「関西の方ですか?」と尋ねられます。

それはイントネーションが関西のものであるから。


東京に来て丸7年がたちます。

しかしいまだに私は関西弁を貫いていて(笑)

主催するイベントがあるとか

動画を撮る以外はずっと大阪弁で喋ります。


上京したとき

関東のイントネーションにしたほうがいいのか

ちょっとだけ悩んだことがありました。

大阪弁は嫌がられるのではないか

そう思ったのです。

しかし、すぐに思い直し

東京に住んでも大阪弁のままでいようと決めたのでした。

実際、某大手宝飾メーカーの派遣販売員として

百貨店で働いていたときは

意外なほどにお客様方からのうけがよくホッとしたものです。


ですが、東京に来たら

大阪弁でいられなくなった

という人が知り合いの中に何人かいます。


ある人は、ご主人の転勤に伴って

誰一人知り合いのない東京に来たのですが

きっと怖かったんだと思います。

「こちらの言葉を喋らないといけないと思ったの」

その人は言っていました。

また、ある人は大阪弁で仕事をしていて

発注元の某大手広告会社の社員から

辞めさせろと言われて「矯正」せざるを得なかったとか(涙)。


上京して7年経つ、と言うと

「でも大阪弁なんだね」

と何人かの人に言われることがあるります。

大阪弁でいる

ということは私にとってのアイデンティティですから。

そしてこれも私がよく言うことですが

「標準語だと英語を話しているような感覚になる」のです。


大阪弁でないことで自分が自分でいられなくなる感覚。

自分の思考を言葉にする前に

もう一段階考えなければならないような、

たとえると

誰一人知り合いのいない近所のスーパーに

買い物に行くのに

バッチリ化粧して、着飾っていかなければならないような。

そんな感じ。



自分を必要以上によく見せたいと思っていた昔なら

迷うことなく上京した途端、

ごく自然に標準語に切り替えられていただろうと思います。



大阪弁とか標準語とか

英語とか日本語とか

どの言葉で話すかは

少し大げさな言い方をすると

自分がどうありたいか、

と言うことと同じなのではないだろうかと思うのです。


だからといって

大阪出身なのに大阪弁を喋らないことは

決して悪いことだとは思いません。

先に挙げた方のように

誰かの理不尽さのために傷ついたり

生活の基盤を失う可能性だってあるからです。


自分のホームグラウンドから出たとき

自分がどのスタンスで生きていくか

決めて生きる事が大切なことだと思っています。


ただ、地方から出てきて標準語で合わせるというのと

東京から地方へ、或いは地方から地方へ行ってその土地の言葉に合わせる

というのは若干、意味合いが異なることもあるかも知れませんね。



話は変わりますが

東京でたくさんの友人を得て

気づいたことがあります。


関西出身の友達が普段は標準語イントネーションなのに

私と話すときは関西弁に戻る人がいること


生まれも育ちも関東だけど

ときに私の関西弁を真似て喋ってくれる人がいること



これがとても嬉しい。

口に出して言ったことはないが

自分のアイデンティティを

受け入れられている、と感じるのです。