公演の次の日が立秋だった。とはいえ、ヤッパリ出るのは「暑い!」「暑い!!」ばかり。
当日、通し稽古1回出来た。聞いててみんな上手いなあとつくづく思う。
Nさんなんか、稽古では50%位しか力を出してないんだ。私はいつでも全力だから疲れる。もっと力配分を考える?そんな器用さは無い。
娘夫婦が手伝いに来てくれる。ザッとは説明しておく、「後で演出か舞台監督が来て、もう少し詳しく言うと思う」で、あと任せとく。
他に演出の家族が2人、入ってくれることになってる。
私はいつも本番が近づくにつれドンドン恐さが増す。「声が引っかかったら・・・」「読み間違えたら・・・」「きっかけをとちったら・・・」「動きがみんなとバラバラになったら・・・・」と、悪いことばかり考える。
通しの時、1回読み間違えをしかける、それと声が少し出難かったところが1ヶ所。あとでOさんがビデオを片づけてた、記録に残るんだ、イヤだー。
「ビデオが良い?DVDが良い?」て、みんなにダビングの注文を聞いてたから、DVDでとは言ったが、また見ないままになるかも・・・まえの「この子」も貰ったまま見てないのがある。
通しの最後挨拶をするところで、やっと代表が本式にやった。今までは1歩前に出て「ムニャムニャ」と言うだけで過ぎてたが、「今日は本番どおり、挨拶して」と言われ、夕べ寝ずに考えた・・・と言いながら、それはいい挨拶をする。
最高!確かに文才がある、聞いてて涙がポトポトっと落ちてしまった。
確かに代表をするだけのことはあるなあ、Sさん。
今回の「この子」私の中では1番良かったと思う。
60年と言うので気合がはいっていたのかな、みんな。
あとで娘が「Nさんが1番良かった。Aさんは少し声と読みがこなれてない、固く感じた。お母さんはけっこう上手だった」と、電話で言ってくれる。
長い間やってきて、初めて娘がほめてくれた、これが私には今までで1番嬉しい。
稽古稽古の私に、娘たちが小さい頃言ったことがある。「お母さん、死んだ子たちも大事かもしれないけど、生きてる子どもも大事にして」と。
これにはガーンときたが、不器用な私には今までやって来てることが自分に出来る精一杯だったから、それ以上には出来なかった。
謝りながらそれまでどおり。
稽古が始まり、公演が済むまでの何ヶ月かは、ほおりっぱなしだった。良く我慢してくれたんだ。
今、こうしてほめて貰え、何より嬉しい。ありがとう!ほんとにありがとう!!
電話で聞きながら泣けてしまった。
嬉しいと言えば、公演後花束が4つも届いていた。差し入れのお菓子も2つ。
思いがけず綺麗な花束をもらえて、これもまたすごく嬉しかった。
花束っていかにも公演を終えましたって感じで、両腕に抱えて満足感でニコニコしてしまう。
楽屋で女性5人に花束分けようとしたら、「私は貰ったから、他の人にあげて」と、Iさんが言ってくれたので4人分、花束作り上げる。こうするのが今までの「この子」のやり方だから。
お菓子も分けてといって渡したら、私の分はとって置いてくれてなくって無しだった、これにはチョッとガッカリ。
娘夫婦がくれた花束1つ、持って帰る。
もう一つのお菓子はYさんに全部上げた。
今回彼女が途中、出れないと言ったりでドタバタしたが、それでも考え直したのか出て来てくれ、私は凄く嬉しかった。
彼女の居ない会なんて・・・・って気持ちだから。
でも原稿頼んでも絶対書いてくれなかったり、少し気になることはあった。
「彼女、いくら頼んでも書かないって・・・」なんて演出に言ったこともある。
そんな中で彼女と演出が、ツーカーとはいってないように感じたのだが、打ち上げのときつい「何だかギクシャクしてたみたい」と言ったら「私はそんなことを言われると辛い、ちっともそんなことは無かったから」と返ってきた。
そうなのかなあ・・・・?
稽古の時感じたのは何だったんだろう?
ポツンポツンと洩らされる言葉に、今までの2人とはやっぱり少し違うと思わされたんだけど。
急に途中から1人でやらなければならなくなった緊張感、責任感・・・そんなものが言わせただけで、気持ちのズレとかは無かったのかなあ。
私の見方が間違ってたのかもしれない。
舞台って総合芸術だっていうがそうだと改めて思う。
照明さん、音響さん、スライドさん、舞監さん、演出さん、出演者・・・
良いものを観てもらいたいというみんなの心が1つになったものが、舞台。
数年のブランクがあるにもかかわらず、声をかけたらすぐ参加してくださったHさんとその仲間(このグループの実力も知る人ぞ知るで、県内を網羅されてるとか)、音響のAさんは結構有名な方で引く手数多なのに参加してくださり、謙虚な姿勢でいつも演出の指示に素直に応えておられた。
Y君は昔取った杵柄か、数日の稽古に付き合っただけで以前と同じように的確にスライドを出してくださる。さすが!と言う人たちの集まり、これらの方たちに支えられて公演が出来る会は幸せものだなあ。
Hさんは最初の公演の頃と少しも変わっておられない、ひょうひょうと行動される。好きだなあ。声がまた好み。
こうしてみるとまわりの男性ってほんと、良い声の人ばっかり。
Hさん、Sさん、Fさん・・・・
まあ朗読をやろうかと言う人たちだし、Hさんは大学の時演劇やってらしたとか。
Iさんと同級生だって。
Iさんはノートルダム、Hさんは岡大。Iさんが演劇部作って照明を頼んだらHさんたちが来てくださったって。
打ち上げで久しぶりにHさんたちも来てくださる。でも狭い会場で細長い2列になったので話せる範囲は4・5人、話したくても向こうの方なのでひと言もはなさない人もいた、残念。
Oさんのビックリ話も、初めて聞く。
彼女、一度結婚してたんだって。子宮ガンになり、冷たい姑さんやお婿さんにやっていけないと思い別れたとか。そして女1人で生きて来たんだ。
良くやったね、頑張ったね。痛快だ、もう少し甘えん坊に思っていた先入観を改めます。
Nさんはズッとこの会を続けたいと言われる。
私も今年じゃない、去年再活動始める時やりたいと言った作品で、来年目指したいんだが・・・みんな、やってくれるだろうか?
Sさんは「僕は朗読に目覚めました、今度は読み手に撤します」なんて、酔った勢いか知らないがそんなことを宣言してくれる。
Nさんとズッと最後まで、冷酒を2人で仲良くあけておられた。
済んで外に出たとき、Hさんが「まだ仕事は看護婦さん、やられているんですか?」って聞かれる。「えっ?」「看護婦さんじゃないんですか?」とまた。
「私が看護したら、患者さんがみんな重病になってしまいます」ってわらってしまう。「でも、どうしてだろう、ずっと看護婦さんだとばっかり思っていたんですが」「多分、夢二の時の看護婦役からでしょう」「ああ、あの時、こんな看護帽子をかぶってましたねえ」「ええ、こんな、高いのを」「Yなんか、いまだにパン屋さんとあなたのことを呼んでます」なんて、笑い話になった。
あと花束抱えてバスで帰る。
次の日は来てくださった方にお礼の電話を入れる。
途中娘からかかり、長電話した。
「あなたたちの他に手伝いが2人来られたでしょう?」と聞いた時、「顔だけ見せてすぐおられなくなった」「えっ、それじゃあ受け付けはあなた達だけだったの?」「うん、でも始まる時、女の人が来られて『お母さんの舞台を聞きに行ってあげて』と言ってくださったので入った、相棒が僕もこの人1人では大変だから残ると言ってくれて、私だけ入った」と言う。
演出のご主人と息子さんが来てくださり、4人になるから安心して任せていたのに、一体どういうことかしら。申し出てくださったのはどうもYさんのお母さんのよう。ありがたいこと。
「私が来られた人のチケットを切ってたら、『何時切っていいと言いました?開場時間までは切らないでください』と言われて、ちょっとムッと来た。一度におおぜい入られたら入り口が混むからと思って、切ってた、何時から始めてください、それまでは待ってもらってくださいなんて言われなかった」と、娘も少しカリカリ気味。本番前はみんなピリピリしてるからしょうがないが・・・
でもかわいそう、頼んで来てもらったのに説明無しで思いがけずきつい言葉で注意されればねえ。ごめんね、お母さんが代わりに謝っとく。
アイプラザの新しく入った職員さんに、私と同じ苗字の子がいた。
近所の町内の子かしら?全然別のところの子かしら?大分まじまじと見たが知らない顔、といっても、近所の若い子なんて、家の子と学年が違えばほとんど知らない子ばかりになるし、家の子ももう学校を出てずいぶん経つし。
あんなこんなで1年がかりの大行事が無事済みました。
お疲れさん、私、そして会の皆さん。
次はどう行くか?新作で来年も公演できるかしら?さてさて??
当日、通し稽古1回出来た。聞いててみんな上手いなあとつくづく思う。
Nさんなんか、稽古では50%位しか力を出してないんだ。私はいつでも全力だから疲れる。もっと力配分を考える?そんな器用さは無い。
娘夫婦が手伝いに来てくれる。ザッとは説明しておく、「後で演出か舞台監督が来て、もう少し詳しく言うと思う」で、あと任せとく。
他に演出の家族が2人、入ってくれることになってる。
私はいつも本番が近づくにつれドンドン恐さが増す。「声が引っかかったら・・・」「読み間違えたら・・・」「きっかけをとちったら・・・」「動きがみんなとバラバラになったら・・・・」と、悪いことばかり考える。
通しの時、1回読み間違えをしかける、それと声が少し出難かったところが1ヶ所。あとでOさんがビデオを片づけてた、記録に残るんだ、イヤだー。
「ビデオが良い?DVDが良い?」て、みんなにダビングの注文を聞いてたから、DVDでとは言ったが、また見ないままになるかも・・・まえの「この子」も貰ったまま見てないのがある。
通しの最後挨拶をするところで、やっと代表が本式にやった。今までは1歩前に出て「ムニャムニャ」と言うだけで過ぎてたが、「今日は本番どおり、挨拶して」と言われ、夕べ寝ずに考えた・・・と言いながら、それはいい挨拶をする。
最高!確かに文才がある、聞いてて涙がポトポトっと落ちてしまった。
確かに代表をするだけのことはあるなあ、Sさん。
今回の「この子」私の中では1番良かったと思う。
60年と言うので気合がはいっていたのかな、みんな。
あとで娘が「Nさんが1番良かった。Aさんは少し声と読みがこなれてない、固く感じた。お母さんはけっこう上手だった」と、電話で言ってくれる。
長い間やってきて、初めて娘がほめてくれた、これが私には今までで1番嬉しい。
稽古稽古の私に、娘たちが小さい頃言ったことがある。「お母さん、死んだ子たちも大事かもしれないけど、生きてる子どもも大事にして」と。
これにはガーンときたが、不器用な私には今までやって来てることが自分に出来る精一杯だったから、それ以上には出来なかった。
謝りながらそれまでどおり。
稽古が始まり、公演が済むまでの何ヶ月かは、ほおりっぱなしだった。良く我慢してくれたんだ。
今、こうしてほめて貰え、何より嬉しい。ありがとう!ほんとにありがとう!!
電話で聞きながら泣けてしまった。
嬉しいと言えば、公演後花束が4つも届いていた。差し入れのお菓子も2つ。
思いがけず綺麗な花束をもらえて、これもまたすごく嬉しかった。
花束っていかにも公演を終えましたって感じで、両腕に抱えて満足感でニコニコしてしまう。
楽屋で女性5人に花束分けようとしたら、「私は貰ったから、他の人にあげて」と、Iさんが言ってくれたので4人分、花束作り上げる。こうするのが今までの「この子」のやり方だから。
お菓子も分けてといって渡したら、私の分はとって置いてくれてなくって無しだった、これにはチョッとガッカリ。
娘夫婦がくれた花束1つ、持って帰る。
もう一つのお菓子はYさんに全部上げた。
今回彼女が途中、出れないと言ったりでドタバタしたが、それでも考え直したのか出て来てくれ、私は凄く嬉しかった。
彼女の居ない会なんて・・・・って気持ちだから。
でも原稿頼んでも絶対書いてくれなかったり、少し気になることはあった。
「彼女、いくら頼んでも書かないって・・・」なんて演出に言ったこともある。
そんな中で彼女と演出が、ツーカーとはいってないように感じたのだが、打ち上げのときつい「何だかギクシャクしてたみたい」と言ったら「私はそんなことを言われると辛い、ちっともそんなことは無かったから」と返ってきた。
そうなのかなあ・・・・?
稽古の時感じたのは何だったんだろう?
ポツンポツンと洩らされる言葉に、今までの2人とはやっぱり少し違うと思わされたんだけど。
急に途中から1人でやらなければならなくなった緊張感、責任感・・・そんなものが言わせただけで、気持ちのズレとかは無かったのかなあ。
私の見方が間違ってたのかもしれない。
舞台って総合芸術だっていうがそうだと改めて思う。
照明さん、音響さん、スライドさん、舞監さん、演出さん、出演者・・・
良いものを観てもらいたいというみんなの心が1つになったものが、舞台。
数年のブランクがあるにもかかわらず、声をかけたらすぐ参加してくださったHさんとその仲間(このグループの実力も知る人ぞ知るで、県内を網羅されてるとか)、音響のAさんは結構有名な方で引く手数多なのに参加してくださり、謙虚な姿勢でいつも演出の指示に素直に応えておられた。
Y君は昔取った杵柄か、数日の稽古に付き合っただけで以前と同じように的確にスライドを出してくださる。さすが!と言う人たちの集まり、これらの方たちに支えられて公演が出来る会は幸せものだなあ。
Hさんは最初の公演の頃と少しも変わっておられない、ひょうひょうと行動される。好きだなあ。声がまた好み。
こうしてみるとまわりの男性ってほんと、良い声の人ばっかり。
Hさん、Sさん、Fさん・・・・
まあ朗読をやろうかと言う人たちだし、Hさんは大学の時演劇やってらしたとか。
Iさんと同級生だって。
Iさんはノートルダム、Hさんは岡大。Iさんが演劇部作って照明を頼んだらHさんたちが来てくださったって。
打ち上げで久しぶりにHさんたちも来てくださる。でも狭い会場で細長い2列になったので話せる範囲は4・5人、話したくても向こうの方なのでひと言もはなさない人もいた、残念。
Oさんのビックリ話も、初めて聞く。
彼女、一度結婚してたんだって。子宮ガンになり、冷たい姑さんやお婿さんにやっていけないと思い別れたとか。そして女1人で生きて来たんだ。
良くやったね、頑張ったね。痛快だ、もう少し甘えん坊に思っていた先入観を改めます。
Nさんはズッとこの会を続けたいと言われる。
私も今年じゃない、去年再活動始める時やりたいと言った作品で、来年目指したいんだが・・・みんな、やってくれるだろうか?
Sさんは「僕は朗読に目覚めました、今度は読み手に撤します」なんて、酔った勢いか知らないがそんなことを宣言してくれる。
Nさんとズッと最後まで、冷酒を2人で仲良くあけておられた。
済んで外に出たとき、Hさんが「まだ仕事は看護婦さん、やられているんですか?」って聞かれる。「えっ?」「看護婦さんじゃないんですか?」とまた。
「私が看護したら、患者さんがみんな重病になってしまいます」ってわらってしまう。「でも、どうしてだろう、ずっと看護婦さんだとばっかり思っていたんですが」「多分、夢二の時の看護婦役からでしょう」「ああ、あの時、こんな看護帽子をかぶってましたねえ」「ええ、こんな、高いのを」「Yなんか、いまだにパン屋さんとあなたのことを呼んでます」なんて、笑い話になった。
あと花束抱えてバスで帰る。
次の日は来てくださった方にお礼の電話を入れる。
途中娘からかかり、長電話した。
「あなたたちの他に手伝いが2人来られたでしょう?」と聞いた時、「顔だけ見せてすぐおられなくなった」「えっ、それじゃあ受け付けはあなた達だけだったの?」「うん、でも始まる時、女の人が来られて『お母さんの舞台を聞きに行ってあげて』と言ってくださったので入った、相棒が僕もこの人1人では大変だから残ると言ってくれて、私だけ入った」と言う。
演出のご主人と息子さんが来てくださり、4人になるから安心して任せていたのに、一体どういうことかしら。申し出てくださったのはどうもYさんのお母さんのよう。ありがたいこと。
「私が来られた人のチケットを切ってたら、『何時切っていいと言いました?開場時間までは切らないでください』と言われて、ちょっとムッと来た。一度におおぜい入られたら入り口が混むからと思って、切ってた、何時から始めてください、それまでは待ってもらってくださいなんて言われなかった」と、娘も少しカリカリ気味。本番前はみんなピリピリしてるからしょうがないが・・・
でもかわいそう、頼んで来てもらったのに説明無しで思いがけずきつい言葉で注意されればねえ。ごめんね、お母さんが代わりに謝っとく。
アイプラザの新しく入った職員さんに、私と同じ苗字の子がいた。
近所の町内の子かしら?全然別のところの子かしら?大分まじまじと見たが知らない顔、といっても、近所の若い子なんて、家の子と学年が違えばほとんど知らない子ばかりになるし、家の子ももう学校を出てずいぶん経つし。
あんなこんなで1年がかりの大行事が無事済みました。
お疲れさん、私、そして会の皆さん。
次はどう行くか?新作で来年も公演できるかしら?さてさて??
集大成的な催しだったんだね。
来年もやるかについては結構意見はバラバラなのね。
つか、関係者同士もわりとバラバラ?
それぞれに家庭があり事情もあり、自由に会合に参加できる人のほうが少ないんだろうし、イロイロとあるよね。
やりたくない・やれない人は退場して、新たに新規メンバーでやり直してもいいんじゃない?
なかなかそう簡単にはいかないのかもだけど。
やりたい気持ちの人もいるのに解散とか活動停止も悲しいことだと思うしね。
まあなんにせよ、まずはお疲れ様
感謝、感謝、おかげで無事済んだわさ。
続いて行けばいいんだが・・・さあねえ?
Nさん・Mさんは「源氏」、Iさんは自分の学校の生徒と「この子」をやるって。
Uさんは母で、インテリアデザイナーで。
代表は冬が来たら心ここにあらずになっちゃうし、雪が消えるまで。
Aさん、Fさん、Oさんは・・・どうかな?
ダメならこっちでやればいいさ、・・・少し心もとないが・・・
いや、やる気になれば出来る。
大きな会場でなくてもいい、マスコミや宣伝を派手にやらなくてもいいし、チラシも少しでいいし。
私は続けて行くつもりで今の会を呼びかけたんだから、岡山でなくてもやっていく。
だから私の中では3年の空白も無い。
こっちで「平和のつどい」でそれなりにやって来たから。