一昨日のこと。お風呂に入ろうと服を脱ぎ、湯船に片足を突っ込んだところで電話が鳴った。今頃だれだろうと耳を澄ましていると、すぐに留守電になった。近頃は、家の電話にかかってくるといえばセールスの電話くらいだ。多分、またそうだろうとは思ったが、もしかしたら入院している娘が何か必要なものを持ってきてほしいというのかもしれないと思い直し、あわててタオルを体に巻きつけた。ちょうど留守録が始まったので、体をふきつつ洗面所から飛び出すと、
電話の「メッセージをお話ください。ピーッ」に続いて、
「あっ。。。」と小さな声がしただけで電話は切れてしまった。
「ああ、これはもう、娘からに違いない。私が留守だとでも思って切ってしまったんだ。」と思うといてもたってもいられない。タオルを巻いただけの姿で子機を持って洗面所にとって戻り、入院先の病院に電話をかけた。
「あの病院て、入院患者に電話の取次ぎなんてしてくれるんだっけ。」と一瞬思ったが、だめもとでかけてみると、快く小児科病棟へと回してくれた。
「すみません。あの○○ですが、お世話になります。あの~~・・・うちの娘が家に電話をかけたみたいなんですけど、切れてしまって・・・」としどろもどろに言うと
「はい、変りましょうね。」
なんだ、電話、全然オッケーだったのね。
電話に出た娘は
「もしもし、お母さん!」
「Rちゃん?さっき、うちに電話したでしょ。」
「え??ううん?してないよ~~。」
「そうなの?さっき留守電が途中で切れたからてっきりRちゃんだと思っちゃった。」
「あ~~~、でもねぇ、ちょうど電話かけようかなあって思ってたところだったの。用があったんだよ。」
そんなやりとりがあって、結局今となっては、その用がなんであったか既に忘れてしまった私であるが(だめじゃん!)、その用事の内容はともかくとして、とにかく娘の声の可愛かったこと。
よくよく考えたら、携帯も持ってない娘と電話で話すということはめったにない。だから、すごく新鮮だったのだ。受話器を通して聞こえてくる声は、思っていたより幼くて、守ってあげたいような気持ちになってくる。電話を切った後も、その声を思い出しては、
「ぐふふ・・・」と笑っていたのだった。付き合い始めたばかりの恋人同士が、電話で相手の声を聞くだけでうれしいという気持ちがよくわかるなどと、ちょっと見当違いなことを考えたりもした。それにしても、あんな可愛い声の子が自分の娘でよかったなあと親ばかぶりを発揮して幸福な気分に浸ったのだった。
子どもといえば私には息子もいるのだが、これは昨日の夕方のこと。私が娘の病院へ行こうとすると、そのすぐ近くの歯医者に予約が入ってるという息子。それじゃあ、一緒に車で行きましょうということになり、マンションのエレベーターを待っていたら、中から出てきたのはお隣さん。挨拶をした後、私と息子がぺちゃくちゃと話してるのを見て、
「すごく仲いいねえ。。なんか、うらやましいなぁ。。」って。
そのお隣さん、幼稚園児のかわいい息子の手をひいてて、ちっともうらやましがることなんてないと思うんだけど。
それでも、よその人にあらためて言われてみると、やっぱりこんな息子がいてよかったなあと思ったりする。すごく手がかかるけど、手がかかることがうれしいんだから、この親ばかっぷりもしょうがない。子どもの存在に幸せを感じられる、自分の平和で平凡な人生をありがたいなあと思った。
ところが今朝の夢はどうだ。家族や知人と海に来ているのだが、その沿岸部から砲弾射撃で鉄砲の玉みたいなのがびゅんびゅんと飛んでくる。目の前の海は、降り始めたばかりの大粒の雨粒のように円を描いているが、これは、玉が落ちた後なのだ。気がつくと、海の家みたいなところへ座っている私たちのすぐ横にも、鉄砲玉は飛んできている。
「もしかしたら、いつまでもここにいるのは危ないんじゃないか。」と思って、後ろを見ると、山がある。
「そうだ。あの山の裏側に行けば、もう弾にはあたらないに違いない。」
それから、身支度をして、そこにいる人たちに「あっちへ行こう」と誘う。でも、いざ歩き始めてみると、その山を車で1時間以上かけて超えてきたのだ。歩いて戻るのは大変である。
「そうだ。車はどこへ置いたんだっけ?」と考えると、今いるところから歩いて10分くらいも離れた駐車場だ。なんだかそこまで行くのはとてつもなく遠い気がしてくる。だからといって、徒歩で山を越えるのはもっと大変だ。どっちにしようと迷っているところで、携帯のアラームが鳴ったのだった。
起きてから、この夢はなにをいいたかったんだろうと考えてみる。海の家にいるという一見平和な私の世界は、実は危険とすぐ隣り合わせにいるんだよという警告だろうか。北朝鮮のミサイルのニュースのせいで、戦争に対しておびえてる私がいるのだろうか。なんたって、あのわけのわからない指導者のいる国だ。何が起こるかわからないという危惧を感じたのは確か。戦争になんてなって、息子を戦争にとられるなんてことになったら、絶対にいやだ。これ以上嫌なことは世の中にないだろうと思えるほどにいやだ。とりとめもなく、暗い思考が広がっていく。。
でも、いつの時代だってそうだったと思い直す。昭和の初期にモガだといわれて銀座の街を闊歩していた人が、数年後の戦争を予想しただろうか。。諸行無常だ。ゆく河の流れは絶えずしてだ。月日は百代の過客にして・・・これはちょっと違うかもしれないけど、とにかく昔の人がいうように今をせいいっぱい楽しく生きるしかないのだと思う。大きな歴史の中の本の小さな時間を借りて生きているだけだけど、だからこそ悔いを残したくない。可愛いものを可愛いと愛でて、やりたいことをやって幸せを感じて生きていく。娘の小さな声を聞いて、そんなことまで考えてしまったお気楽な私であった。
電話の「メッセージをお話ください。ピーッ」に続いて、
「あっ。。。」と小さな声がしただけで電話は切れてしまった。
「ああ、これはもう、娘からに違いない。私が留守だとでも思って切ってしまったんだ。」と思うといてもたってもいられない。タオルを巻いただけの姿で子機を持って洗面所にとって戻り、入院先の病院に電話をかけた。
「あの病院て、入院患者に電話の取次ぎなんてしてくれるんだっけ。」と一瞬思ったが、だめもとでかけてみると、快く小児科病棟へと回してくれた。
「すみません。あの○○ですが、お世話になります。あの~~・・・うちの娘が家に電話をかけたみたいなんですけど、切れてしまって・・・」としどろもどろに言うと
「はい、変りましょうね。」
なんだ、電話、全然オッケーだったのね。
電話に出た娘は
「もしもし、お母さん!」
「Rちゃん?さっき、うちに電話したでしょ。」
「え??ううん?してないよ~~。」
「そうなの?さっき留守電が途中で切れたからてっきりRちゃんだと思っちゃった。」
「あ~~~、でもねぇ、ちょうど電話かけようかなあって思ってたところだったの。用があったんだよ。」
そんなやりとりがあって、結局今となっては、その用がなんであったか既に忘れてしまった私であるが(だめじゃん!)、その用事の内容はともかくとして、とにかく娘の声の可愛かったこと。
よくよく考えたら、携帯も持ってない娘と電話で話すということはめったにない。だから、すごく新鮮だったのだ。受話器を通して聞こえてくる声は、思っていたより幼くて、守ってあげたいような気持ちになってくる。電話を切った後も、その声を思い出しては、
「ぐふふ・・・」と笑っていたのだった。付き合い始めたばかりの恋人同士が、電話で相手の声を聞くだけでうれしいという気持ちがよくわかるなどと、ちょっと見当違いなことを考えたりもした。それにしても、あんな可愛い声の子が自分の娘でよかったなあと親ばかぶりを発揮して幸福な気分に浸ったのだった。
子どもといえば私には息子もいるのだが、これは昨日の夕方のこと。私が娘の病院へ行こうとすると、そのすぐ近くの歯医者に予約が入ってるという息子。それじゃあ、一緒に車で行きましょうということになり、マンションのエレベーターを待っていたら、中から出てきたのはお隣さん。挨拶をした後、私と息子がぺちゃくちゃと話してるのを見て、
「すごく仲いいねえ。。なんか、うらやましいなぁ。。」って。
そのお隣さん、幼稚園児のかわいい息子の手をひいてて、ちっともうらやましがることなんてないと思うんだけど。
それでも、よその人にあらためて言われてみると、やっぱりこんな息子がいてよかったなあと思ったりする。すごく手がかかるけど、手がかかることがうれしいんだから、この親ばかっぷりもしょうがない。子どもの存在に幸せを感じられる、自分の平和で平凡な人生をありがたいなあと思った。
ところが今朝の夢はどうだ。家族や知人と海に来ているのだが、その沿岸部から砲弾射撃で鉄砲の玉みたいなのがびゅんびゅんと飛んでくる。目の前の海は、降り始めたばかりの大粒の雨粒のように円を描いているが、これは、玉が落ちた後なのだ。気がつくと、海の家みたいなところへ座っている私たちのすぐ横にも、鉄砲玉は飛んできている。
「もしかしたら、いつまでもここにいるのは危ないんじゃないか。」と思って、後ろを見ると、山がある。
「そうだ。あの山の裏側に行けば、もう弾にはあたらないに違いない。」
それから、身支度をして、そこにいる人たちに「あっちへ行こう」と誘う。でも、いざ歩き始めてみると、その山を車で1時間以上かけて超えてきたのだ。歩いて戻るのは大変である。
「そうだ。車はどこへ置いたんだっけ?」と考えると、今いるところから歩いて10分くらいも離れた駐車場だ。なんだかそこまで行くのはとてつもなく遠い気がしてくる。だからといって、徒歩で山を越えるのはもっと大変だ。どっちにしようと迷っているところで、携帯のアラームが鳴ったのだった。
起きてから、この夢はなにをいいたかったんだろうと考えてみる。海の家にいるという一見平和な私の世界は、実は危険とすぐ隣り合わせにいるんだよという警告だろうか。北朝鮮のミサイルのニュースのせいで、戦争に対しておびえてる私がいるのだろうか。なんたって、あのわけのわからない指導者のいる国だ。何が起こるかわからないという危惧を感じたのは確か。戦争になんてなって、息子を戦争にとられるなんてことになったら、絶対にいやだ。これ以上嫌なことは世の中にないだろうと思えるほどにいやだ。とりとめもなく、暗い思考が広がっていく。。
でも、いつの時代だってそうだったと思い直す。昭和の初期にモガだといわれて銀座の街を闊歩していた人が、数年後の戦争を予想しただろうか。。諸行無常だ。ゆく河の流れは絶えずしてだ。月日は百代の過客にして・・・これはちょっと違うかもしれないけど、とにかく昔の人がいうように今をせいいっぱい楽しく生きるしかないのだと思う。大きな歴史の中の本の小さな時間を借りて生きているだけだけど、だからこそ悔いを残したくない。可愛いものを可愛いと愛でて、やりたいことをやって幸せを感じて生きていく。娘の小さな声を聞いて、そんなことまで考えてしまったお気楽な私であった。