
三田藩士・小寺泰次郎が幕末から明治維新の混乱で困窮する三田藩の財政を立て直すべく、九鬼隆義、白洲退蔵(白洲次郎の祖父)らとともに神戸で事業を起こし実業家として成功を収め、小寺の私邸として建設されたもので、1885年頃から築造を始め1911年に完成させた広大な庭園と邸宅である。
庭園の形式は池泉回遊式を基本としているが、西洋文化の影響をうけて広場が設けられている。戦前までは園内に小寺家本邸をはじめとする多数の建造物があった。しかし西洋風の旧小寺家厩舎(重要文化財)以外は全て1945年6月の神戸大空襲により焼失した。(Wikipedia)
ハッサム邸の裏側

1902年に神戸市中央区北野町2丁目のラインの館の北側にインド系イギリス人貿易商J.K.ハッサム(J.K.Hassam)の邸宅として建てられた。1961年に当時の所有者である神戸回教寺院が神戸市に寄贈し、1963年に元町の山手にある相楽園内に移築保存された。
正面を写すより、影がある裏側のほうが、表情があるので好きだ。