さくらとふう太郎

さくらとふう太郎の姉弟猫のかわいい日記です。

フジ子・ヘミング・コンサート

2006年04月02日 | 日々のこと
3月30日、行ってきました、フジコ・ヘミング・コンサート!

車で2時間半。
帰りは初めての雪道を帰ってきたさ・・・こわかった。
家に着いたのは0時だもの。

フジコ・ヘミング&スペイン・カダケス管弦楽団のコンサート。

フジ子はピアノ協奏曲<皇帝>とソロのラ・カンパネラ。
後半は楽団の<ジュピター>

ラ・カンパネラをやる前に、フジ子が「後半もスペインの方々が演奏しますので、帰らないで聴いてくださいね。」と言った。
ほんとうに帰る人がいるんだろうなあ。

と、私の隣の人が帰った・・・いや外で聴いてたのかな?
後半になると急に咳が出始めて、楽章の終わりにそそくさと帰った。まあ・・・咳はね。





演奏はね、はじめは乗ってなかった感じ、でも3楽章になるとオケともかみ合ってとてもよかったな。
ソロは、もちろん良かったよ。って、CDで何度も聞いているから、曲も知っていたしね。知っているとよけい気持ちが入るよね。


フジ子は2ヶ月前に腰を打ったんだって。で、痛み止めを打っているのかな?(なにせ、2階席なのでよく聞こえなかった)
5月までソロコンサートがたくさんあるのにね。
フジ子は74歳なんだって。すごいなあ。
もう見られないなあ。岩手ではまずもうやらないだろう。今回聴くことができてよかったなあ。


クラシックのコンサートはピアノしか行ったことがないので、どんなふうに聴いたらいいかわからなかったりするものね。

今回のパンフレットに、指揮者のタマーシュ・ヴァシャーリというひとの言葉が載っている。

「完璧な演奏は芸術性と相反します。芸術は機械ではありません。人間はコンピューターではないのです。演奏の精度にあまりこだわりすぎると芸術性は失われます。芸術は感性です。人に訴える力です。愛の力です。どうやって競走馬やコンピューターもどきの演奏に愛を感じるでしょうか・・・・。」


これを読んで、ほっとした。

クラシックのプロの人は特に、完璧ですごい演奏をするのが当たり前と思ったりする。コンサートでも、どのくらい間違えないか、もたつかないかを調べに来たかのような聴き方になってしまう。
(実際、友達は「フジ子はもたついてばかりいた?」と、私に聞いた)

なんか、へんだ。

私も、はじめフジ子がもたついたのを聴いて、ちょっとがっかりした。それから、採点するような聴き方になってしまった。
でも、そうじゃなくてもいいんだと、安心した。

実際、後半の楽団だけの演奏はとてもすばらしかった。3回もアンコールに応えてくれた。4回目はさすがに、指揮者の人がバンマス(っていう?)の手を引いて一緒に舞台袖に手を振って帰ってしまい、終了になった。

フジ子も楽団もとてもまあるくて優しい音だった。どの音も競い合うのではなくて、互いに同調し合い包まれるような音だった。

こころで受け止めるんだって。
受け止められるようなこころでいられればいいな。






ところで、フジ子の弟のウルフも来ていた。

フジ子のポストカードや額入りの絵やフォトなどを売っていた。
外人だった。日本語ぺらぺらだけど。奥さんは小さくてかわいい日本人だった。

営業を一手に引き受けているというような、声もでかくておもしろい人だった。

フジ子の絵は、猫とか花とか、自分と猫とか、ピアノを弾いていて猫と天使が聞いているのとか・・・。
かわいい絵だった。CDのジャケットにもなっている。

デパートでよく売っている絵などは、勝手に模造品を作って売っているから気をつけてねと、ウルフは言っていた。
本物は、朱肉のハンコがついているんだって。


フジ子ブランドはすごいんだなあ。


って、私は、猫のポストカードを買ったけどね・・・猫も猫好きな人も好きよ。













最新の画像もっと見る

コメントを投稿