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口を酸っぱくして正してゆかなくてはなりませんが、「一本締め」は、「三本締め」において三セット行う動作を一セットで済ませるものであって、「よーっ、ポン」と鼓を敲くようなものには「一丁締め」という別の呼び名があったりするのです。別に日常生活に支障はないのですけれども、「格調」とか「教養」とかいった部分に影響しますので、できるだけ直してゆきましょう。
話せば少し長くなるし面白い話でもないので仔細は割愛しますが、我が家の日立のIHクッキングヒーター「HT-D60S」を取り外したくなる事情があって、外してみました。設置説明書によりますと、なるほどなるほど、手前の部品さえ引き抜けば(場合によっては裏の固定金具のねじを緩める必要がある)、本体ごと上の穴から持ち上がる構造となっています。自分で取り付けたわけではないので、天板が外れるものと思っていました。
二年半前に導入したこの型は、排気口と吸気口に取り外し可能な水受け機構が採用されておらず、本当はここの掃除を念入りにしたかったのですが、まるっきり分解困難な構造となっており、外しただけ無駄骨でしたこんちくしょうばかやろうばかやろう。今後購入される方は、水受け水受け容器が簡単に取り外せる型を選ぶとよいですよ。というか、ひょっとしたら今どきはみんなそうなっているのかもしれませんが、事前に確認すべき重要な視点の一つであるといえます。いやほんとに。
秒速15~20kmで直径17m重さ1万tの塊が落下、というのがものすごい速度なのは漠然とわかるのですが、地球を一周するのに30分かかると思うと、ものすごいのは承知で、しかし意外に速くない気もなんとなくします。宇宙のスケールがよくわかんない。
単位の元締め、国際度量衡総会(本部はフランス・パリにある)が言うには、原則、単位の略称が人名由来である場合は一文字目を大文字で綴り、そうでないものは一文字目から小文字で書くことになっていた。ところが、容積を表します「リットル」は、前々から「l」が「1」と紛らわしく、斜体「?」もそれはそれで別の決め事に触れることから、ついこの間からは、大文字の「L」が本式に推奨されているのだそうだ。むしろ「1」のほうを厳密に定めるべきでなかったか。必ず頭に鉤をつけること、などと。フランス人の美意識ならそうしたはずだ、と思っている。
「吹き抜け」は、開放感抜群ながら、資金面の都合から狭小になりがちな下々の者の住宅では「空間の無駄遣い」といわれ、また「冷暖房の効率悪化」と忌み嫌う一派もございます。
一階の冷房は、自分より上を冷やそうとはしません。下が冷えたら冷房装置はそれ以上頑張らないのです。吹き抜けの上部がどれほど暑くなろうとも、冷房に関しては、上下方向の対流を起こさない限り、効率の悪化を気にする必要はあまりないのです。二階はむしろ開放して風を通したほうが幾分ましになります。「日本の住宅に吹き抜けは不要」と言い張る人もいますが、しかし吹き抜けは抜群の開放感とともに、冷涼で過ごしやすい一階をも手に入れることができるのです。二階の冷房には間仕切り必須で、開放感も何もありゃしねえのですけれども。
暖房は逆で、一階の暖房は、二階も含めた家全体を温めきるまで頑張り続けます。加えて、冷房は外気温からせいぜい5度下げたくらいでそれなりに快適に過ごせる場合が多いのに、暖房となると、外気温よりも15度も20度も上げたくなる時期が日本にもしばしばあります(それも、一日のうちかなり長い時間にわたって)。吹き抜けにかかわらず、部屋全体、家全体を温めるのに、ものすごく大きな力を必要とする場合が多いのです。結局、暖房の話の中では、吹き抜けはさほど主要な留意点とはなりません。つまるところ、いかなる状況下でも、こたつ最強すよな、と言いたい。
吹き抜けは悪くないですよ。
一部和服の呼称として、その形状から「角袖」といわれるものがあるのだそうだ。なんでも、明治の頃に、制服を着ずその和装のいでたちをしていた警官のことが「角袖巡査」と呼ばれ、「かくそで」を逆から読んで頭と尻を取った「でか」、あるいはアナグラム「くそでか」の「くそ」が省略されて「でか」となったなど、はっきりはしないながらも、まず「角袖巡査」が由来であることは間違いがないのだという。現代でも「デカ」と呼ばれるのは主に私服警官であり、制服警官にはあまり使われないのだそうだ。なるほど、制服警官は「ポリ公」であり「サツ」である。
二十数年前、「警察官は必ず柔道や剣道などの武術を習得しており、概ね体格のがっちりした人が多い。身体が大きいから『デカ』なのだ」と聞いたことがあり、一応それを信じて生きてきたが、まあ、Google先生には尋ねてみるもんである。
ガラパゴス諸島のゾウガメの亜種、ピンタ島に生息していたピンタゾウガメ最後の生き残りと言われていたロンサム・ジョージ死亡のニュースで紹介される「ダーウィンが進化論を思いついたきっかけとなった」というくだりについて。
航海時、ダーウィンはまだ若く、博物学者としては未熟で、ゾウガメや、鳥「フィンチ」が島によって形態の異なる同種の生物とは気づかず、また、どの種がどの島に生息していたか正確な記録を残していなかった。本の着想を得たのはマルサスの「人口論」を読んだときで、食料の奪い合いと自然淘汰に思い至ったとされる。ところで、「種の起源」は、既存の種から新たな形質を獲得して亜種が派生する仕組みに触れてはいるが、新たな種の発生(すなわち種の起源)には何ら言及されていないらしい。まあ、読んだことないんだけど。
フランス国旗の三色は、「自由・平等・博愛」を表しているといわれる。色別に対応しているわけではなく、とりあえず「三つ」ということなのだそうだ。白が平等の色、という意味はないんだって。日本ほど街に自国の国旗が少ない国はたぶん珍しく、日本で最も多いのはフランス国旗であるとすらいわれている。次がイタリア国旗。パン屋とか料理店とかで看板になってるの。
ルーマニアの国旗は、フランス国旗の白が黄色になったものと思えばたぶん覚えやすい。
チャドの国旗も非常によく似てはいるが、青が幾分濃い、という違いがあるのだそうだ。インドネシアとモナコの違いよりははっきりしていると思うけど、薄暗いところで見たら区別のしようがない。
この間、表札のところにルーマニア国旗を掲げている家があった。ほう、ルーマニアマニアですか。ただ残念なことに、僕はルーマニアには(チャドにも)まるで馴染みがなく、たぶんルーマニアに行くことは一生涯ないだろうし、この家の方と濃密な関わりを持つこともないのだろうな、と思っている。
裕福だったウィリアム・ビービは、コロンビア大学の同窓生でもっと裕福だったオーティス・バートンと組み、バートンが1万2千ドルを出して建造した二人乗りの潜水器で900mの深海に到達した。潜水に関するたいていの功績は外交的だったビービのものとされ、ハリウッド映画「深海の巨大生物」に主演し、煙草「キャメル」の広告にも登場したバートンは常に忘れられがちであったし、今日の朝日新聞「GLOBE」にもビービの記述しかない。バートンがのちに一人で1400mの記録を打ち立てたときには世間の深海への興味も薄れていたためか、やはり注目を集めなかった。
陶器は、カオリナイトやモンモリロナイトを多く含んだ粘土を原料とし、窯で摂氏1100~1300度で焼いたもの。透光性がなく吸水性がある。
磁器は、粘土質物や石英、長石を原料として摂氏1300度ほどで焼いたもの。半透光性で吸水性はない。
よくわからんすよな。
本日の金環日食はいかがでしたかな。このへんは7割欠けくらいの部分日食でした。肉眼での観測は無理だった。
6月にも、ビッグイベント「金星の日面通過」が控えています。科学史上というか人類史上最高の国際協力によって迎えられた1761年(および1769年)の通過時の出来事は、「観測の歴史」の「18世紀」欄に少し紹介されています。各地に派遣された観測隊の苦難の記録も壮絶であったし、最終的に、多くの地点で観測しすぎたためにデータの整合が取れなかったという本末転倒ぶりを見せつつ、地球と太陽の間の距離が1億5千万kmと定まったと同時に、惑星の相対的な距離はわかっていたから、これで太陽系の地図がだいたいできたという記念すべき出来事であったのです。現象から受ける印象の地味さに比べ、はるかに劇的な出来事が地球では起こっていたのです。次は6月6日?これを逃すとあと百年ないよ。
「メートル原器の重要文化財指定について」。物の重さ、長さ、容積、温度などを精確に計測することは、近代科学の礎であります。キログラム原器の質量のうち、韓国が管理しているものだけがアホみたいに変動していた(44~45ページ)という話はつとに有名で、物理的なものさしを使うとどうしても誤差(ときに許容しがたい誤差)が生じてしまうことを心配して、メートル原器については説明のとおり、1960年には「真空中の光の速度」を基準にした理論値に基づくものに変更されているとのことです。
キログラムのほうは、アボガドロ定数を高精度で求める技術が最近になってかなり科学界の要求に近づきつつあることもあって(アボガドロ定数によるもののほか、基準の作りかたにはいくつかの候補があるといいますが)、向こう十年くらいのうちには規格が定まるのかなと想像しています。そうすれば、やっと、韓国が「素手で触ったんじゃねえの」みたいに疑われることもなくなります。
「日本の近代度量衡制度における歴史的、学術的価値が評価される」。いい話すよな。