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新・静かな町

まとめ/記事資料
2012.2.23より

映画『罵詈雑言』と1989年の福島第二原発3号機事故および二つの事件

2012-05-06 22:30:11 | まとめ/記事転載


1989年1月、福島第二原子力発電所3号機の原子炉再循環ポンプ内部のインペラー(回転翼)の溶接部が壊れ、炉心に多量の金属片等が流出、長期にわたって発電所を停止に追い込んだ事故が発生した。(Wiki)



【当時の新聞記事(朝日新聞)】

1989年2月4日

「福島第二原発事故 破損の原因は不十分な溶接」
東電が見方強める
福島県双葉郡の東京電力福島第二原子力発電所3号機(軽水炉沸騰水型、出力百十万キロワット)で、再循環ポンプ内部の水中軸受けのリング状円板などが破損していた事故について、東電は三日までに、円板を取り付けている部分の溶接が不十分だったため、ポンプの運転に伴う水圧の変動で、円板部分が割れた、との見方を強めている。




1989年2月22日

「炉心内部の検索続く」
福島県双葉郡の東京電力福島第二原子力発電所3号機で起きた原子炉再循環ポンプの破損事故でまだ見つかっていない座金二個のうちの一部とみられる金属片を、東電側が回収していたことが二十一日、明らかになった。(以下記事参照)




1989年3月1日

「福島第2原発3号機 炉心部から金属片」
23個回収、まだ残る 破損羽根車の一部?
東京電力は二十八日、福島県富岡町の福島第二原子力発電所3号機(軽水炉沸騰水型、出力百十万キロワット)で起きた再循環ポンプ水中軸受けの脱落事故で、原子炉圧力容器内に金属片が入っているのを見つけ、うち二十三個を回収した、と発表した。金属片は同容器内の中枢部である燃料棒集合体下部でも見つかっており、このように炉心に異物が入った事故はわが国では初めて。燃料棒の被覆管が異物で傷つけられ破れると、放射能漏れなど重大事故につながるが、東電は「穴はなく、放射能漏れはない」としている。しかし、予想外の出来事に、福島県など地元は大きなショックを受けている。(以下記事参照)




1989年3月10日

福島第2原発事故の3号機
「振動計の針ふり切れても 運転を続けていた」
東京電力福島第二原子力発電所3号機で一月六日、再循環ポンプ内の部品が破損、多数の金属片が原子炉内に流入した事故の際、異常を示す警報が鳴り、ポンプ回転軸の振動計の針が一時振り切れる状態になったにもかかわらず、運転を続けていたことが十日明らかになった。(以下記事参照)




1989年3月10日

「原発保修課長 飛び込み自殺」
今年1月、上野駅で
東京電力の本店で原子力発電所の保修を担当していた課長Aさん(41)がことしのはじめ自殺していたことが九日、明らかになった。東電福島原子力発電所では昨年からトラブルが多発しているが、Aさんは、こうしたトラブルや故障の対策などを担当していた。遺書などはなく、自殺の動機などはわかっていない。(以下記事参照)




1989年3月17日

「最初の振動で2回の警報」
福島第2原発事故
東京電力福島第二原子力発電所3号機の再循環ポンプ事故で、事故の五日前の一月一日にも異常振動が起きていたが、この時も警報が二回鳴り、ポンプ回転軸の振動計が一時振り切れる状態になっていたことが十六日までに明らかになった。(以下記事参照)




1989年3月18日

福島第二原発事故
「金属片、炉内へ30キロ」
通産省が初の調査委
東京電力福島第二原子力発電所3号機の再循環ポンプが破損し、多量の金属片が原子炉内に入り込んだ事故で、流入したと見られる金属量は三十キロ前後に上り、心臓部の燃料集合体内部でも金属片が確認されたことが十七日、東電が福島県に報告した点検状況の中で明らかになった。(以下記事参照)





2月28日【福島女性教員宅便槽内怪死事件】発生

郡山から車で1時間ほどの阿武隈山地に位置する福島県田村郡都路村(現田村市)。山間の静かな村にある教員住宅で事件は起こった。
亡くなったSさんは原発保守を行う会社の営業主任だった。
事件に不審な点が多いことから、真相解明を求める署名活動が起こり、1ヶ月あまりで集まった4000人程の署名が三春警察署に提出された。



【週刊ポスト4月?号】

追跡レポート
「〈福島原発〉保修課長(42)はなぜ自殺したのか」
“30キロの金属片が原子炉に入った”など発生から3か月、次々とその深刻さが明らかにされている福島第二原発事故。発生直前に自殺した電力会社の担当保修課長は何を知っていたのか? 事故と自殺を結ぶ「点と線」を徹底追跡する

(略)
 A氏は関西出身。東大大学院卒で、大学時代から原子力を専攻しており、東電入社後もずっと原発に携わってきた。「責任感の強い人」(元同僚の話)で、妻と小学五年生を筆頭に四人の子供を持つ子煩悩な父親の側面も併せ持っていた。
 それにしても何故このA課長の死が、二か月も経ってから報じられたのだろうか。
 ちょうどこの時期、時を同じくして、A氏が自殺した直後の1月6日に福島第二原発で発生した重大事故の内容も次々と明らかにされていた。
 「3月初め、社会党国民運動局に一本の電話が入ったんです。東電の社員と名乗る人間からで“東電保修課の課長が福島第二原発事故のために自殺した”という内容です。通信社の記者に教えて取材した結果、A氏の自殺が報じられることになったわけです」(社会党科学技術政策委員会事務局長・原野人氏の話)。(以下記事参照)







映画、『罵詈雑言』を YouTube で観る。

これは福島第二原発3号機事故、保修課長自殺を絡め、都路村の便槽変死事件の真相追究を主題にした映画である。

《罵詈雑言 (1996年) カラー/114分 監督・脚本・撮影・出演:渡邊文樹》

動画はこのサイトにまとまっている
福島原発の闇をテーマにしたカルト映画「罵詈雑言(バリゾーゴン)」(動画あり)

以下は観ながらメモしたものを、後で多少文章を加えたり、整えたりした。



ナレーション。渡辺カントク、いい声だな

家族が死んだ若者の生前を語るシーン。これ最初、素人のヤラセなのかと思ったが、こんな長廻しできないだろうと思うからホンモノ? とにかく作風をまったく知らないから、マユツバで観ているw

走る車中から福島第二原発の遠景を捉える。海岸線の町は富岡漁港あたり? 第二原発の門まで行って撮ってきている。原発内部のシーン、出演者に防護服を着せ何かの工場を原発に見立てて撮っている。ショボいが工夫が感じられるw

原発労働者のインタビュー。この労働者はホンモノくさい。どうしてもうさん臭くみてしまうw

過去の再現シーン。大学かなんかの講義中に、あとで殺される若者が教壇をを占拠、学生に訴える場面。ホンモノらしい。ちょっと撮らしてというようなことで成立するか? 突撃にしてはうまく撮れている。

「ニのサン」(第二原発・3号機)の再循環ポンプ破損事故に関係して自殺事件があったのは覚えがある。なるほど、いちおう実際の事件に沿った映画になっているのだな。

村長候補者(ちょいコメディアン風)が村民グループと歓談するシーン、実弾選挙活動のシーンはいかにもカリカチュアで、それなりのセンスで笑わせる。

地元原発反対者の語り。「“Okuma”は東北のチベットからシカゴになった」。そんな比喩ははじめて聞いた。第二原発の話なのに大熊町のことを喋ってるからこの人もホンモノか。

いちおうNAOという殺された若者が主役級だが、変な熱い芝居をするので、周囲から浮いてみえるw 刺青がある。

村長選で先の候補者が当選。その夜の応援団の打ち上げでしょぼいロックバンド演奏(パンク?)。そのあと飲み会でNAOと他の者が対立。この辺のNAOの心情みたいなものはさっぱり描けていない。

「農協の菅野君」とセリフ。やはり福島だw

現在の場面が交差し、渡辺カントクによる村民への追及がはじまる。小学校の職員会議乗り込むシーンは臨場感がある。だがヘンだ。何か食い違いがある?

過去の場面。ちょっとしたカーチェイス。NAOがリンチを受け便槽に突っ込まれて殺されるシーン。若者たちの元気がよいw 着物を着た変なひとは何?

パトカー登場。カネかかってるw 村をあげての隠蔽がはじまる。

ところが、S6の動画はウチのPC環境では動きがわるくブツ切れ。音声は大丈夫だが、ちゃんと観れてない。
病院で死因の説明がバカに念入りなので、ここではじめてこの事件が実際にあったものだということを知る。《1989年2月28日 福島県田村郡都路村「福島便槽内変死事件」)》。これはまったく知らなかった。NAOの苗字も菅野か。

渡辺カントクが村会議員を急襲するシーン。リアクションがうまく撮れているのは、挑発の技術かw 青年、「渡辺さんのザザンボのストーリーもみましたけど」。

この辺の関係者に対するくどい追及シーンは半分はハッタリではないか? 相手はどちらかというとめんどくさいから逃れたい一心の抵抗に見えるw

だが警察署(三春署?→現田村署)突入のシーンは一発勝負にしてはうまく撮れている(受付の女性が笑ってる?)。これと前述の村会議員のシーンはみどころではある。

だが、原発そのものの存在はこの頃にはだいぶ後景に引いているようなw

結局、映画はうやむやで終るが、ラストで何かのセレモニーにおける佐藤栄佐久知事のテープカットをカメラに収めた。その会場に前述の村長俳優を紛れ込ませ、遠景で姿を捉えるあたりはなかなか。

エンドロールは海上からの福島第二原発。

けっこうすごい。正直言ってここまで「映画」になっているとは思わなかった(失敬)。上手くはないが映画を撮る技術もちゃんとある(何本も撮ってるし)。ただ他の映画もこんな調子かと思うとあまり観る気にはなれないことも確かw だが、真剣なのはわかる。



「福島便槽内変死事件」ついての背景、推理などは、映画にも言及しているこちらのサイトが詳しい。

憂いの果てに ~次男坊のアフォリズム~
原子力業界の不思議な事件・福島便槽内変死事件




舞台となった田村郡都路村(現田村市)は原発事故後(今は違うが)警戒区域と緊急時避難準備区域に設定され、「比較的高線量」な一帯となった。今も人はあまり戻ってないのだろう。因縁を感じないこともない。

おそらく、映画は先に取材的なシーンを撮っておいて、その後再現シーンを組み立てたのではないか。取材段階の追究シーンは決定的な証拠は掴んでいるわけでもなさそうである。とりあえず相手が嫌がりそうな材料を突きつけておいて、「絵」を撮ったような雰囲気がある。

真相よりも行動が引き起こす混乱みたいなものに興味がありそうである。だが、カントクには日本的ムラ社会に対するただならぬ憎悪が確かにあり、それが映画に緊迫感を持たせているようでもある。

しかし、カントクのせいで描かれた真実らしき部分の信憑性までなくしてしまっている気もして、惜しい気がするw



【最近の田村市ニュース】

2012年03月31日(土)
福島3市村で避難区域再編=3区分に見直し-残る8町村は調整続行・政府
政府の原子力災害対策本部は田村市と南相馬市、川内村について、警戒区域を解除し、年間の放射線量に応じて避難指示解除準備、居住制限、帰還困難の3区域へ再編することを決めた。

2012年04月15日(日)
除染該当面積を公表 田村、楢葉、川内
田村市は避難指示解除準備区域となった都路町の4200ヘクタール。ほぼ全域が警戒区域の楢葉町は全町。川内村は村東部の居住制限、避難指示解除準備の2区域の8100ヘクタールが国直轄となる。

2012年05月01日(火)
帰還、依然見通せず 避難区域再編から1カ月
田村市都路町の警戒区域が避難指示解除準備区域になって以降、週末などに住民が自宅や庭の片付けを進めている。国は川内村と同様、除染を今年度内に終える計画だが再編から1カ月が過ぎても始まっていない。



【都路村(田村市)について】

福島県田村郡都路村は2005年に廃止。常葉町・大越町・滝根町・船引町と合併し、田村市となる。
2011年4月22日、福島第一原子力発電所事故に伴い、当地域の東側が警戒区域に指定、緊急時避難準備区域を設定。
2011年9月30日、緊急時避難準備区域を解除。
2012年4月1日、警戒区域が解除され、避難指示解除準備区域に移行する。

田村市の総人口は現在数39,358人(HP)。都路地区は2005年時点で3,131人(Wiki)。

「田村市内の一部が警戒区域と緊急時避難準備区域に指定され、警戒区域の121世帯381人は、全員が避難生活を余儀なくされたほか、緊急時避難準備区域の1,289世帯4,114人のうち、都路地区の873世帯2,618人も多くが避難生活を送っている」
(平成24年3月策定 田村市震災等復興ビジョンより)





【渡辺文樹】
(わたなべ ふみき、1953年(昭和28年)1月10日 - ) 日本の映画監督。福島県いわき市出身。株式会社マルパソプロダクション所属。磐城高校、福島大学教育学部卒。学生時代から自主映画を製作、大学卒業後も家庭教師をしながら映画を製作する。監督、脚本、主演、編集から、宣伝や上映までを自ら行う。(wikiより)

2008年5月14日、旅館の宿泊代を踏み倒したとして詐欺罪の疑いで、宮城県警に逮捕。
2008年9月11日、自作の宣伝ポスターを許可無く張ったとして作業をしていた女性とともに警視庁公安部に軽犯罪法違反の容疑で逮捕。(wikiより)

『ノモンハン』『天皇伝説』ライブ上映興行師
渡辺文樹監督インタビュー

「今年5月14日に、福島の自宅で逮捕されて、例によって俺はポスターや張り紙を作っていて、女房と子どもは幼稚園に行ってたんだよ。車がきて、ぱっと見た瞬間に警察だと思った。そのときに神奈川での上映をやめさせたいんだな、と」

こっ子どもがいるのか…

「性に合わないからネットはやるつもりは全然ない」「(略)東京はいろんなものが集まってるけど、人間が疎外されて、無感動だよね。過敏で冷酷。ちょっと触っただけで感じやすいけど、他人に対しては冷酷。その点、地方の人は鈍感だけどあったかいよね。怒りもあるし。俺が地方で暮してるのは、それ。地方にはドラマがある、敵が見える。俺は地元では散々言われてますけど、顔が見えるからいいですよ」

そうか、憎悪とみえたものは愛情でもあるのだな。



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