自動組版という言葉を認識したのは、シンプルプロダクツの平田社長だったように記憶している。もう20年も前の話です。
東レの組版機へのPCデータからのコンバータを作り、AUTOCADでプログラムを作り、シンプルの始まりの時代でした。WAVEの初期の時代です。
DTPの前で、手作業でしか、組版機(当時250万から500万)は扱えませんでした。その常識を破る当時の最先端が、平田社長だと思います。対東レ・モリサワ・写研と、当時の電算写植機へのコンバータの開発と、印刷システムの開発・販売で成長していった会社です。
富士フイルムにシンプルプロダクツを売ってしまい、また違う視点から自動組版の世界を築き挙げています。
東レの組版機へのPCデータからのコンバータを作り、AUTOCADでプログラムを作り、シンプルの始まりの時代でした。WAVEの初期の時代です。
DTPの前で、手作業でしか、組版機(当時250万から500万)は扱えませんでした。その常識を破る当時の最先端が、平田社長だと思います。対東レ・モリサワ・写研と、当時の電算写植機へのコンバータの開発と、印刷システムの開発・販売で成長していった会社です。
富士フイルムにシンプルプロダクツを売ってしまい、また違う視点から自動組版の世界を築き挙げています。