毎日木っ端みじん

*** リバイブすれば怖くない ***

blog引越のおしらせです

2010-06-07 21:52:52 | 日常
 ここgooブログが、Twitter、drawrのブログパーツに対応出来ていないこと、画像の貼り付けやリンク設定に手間がかかることなどからblogの引越をいたしました。
 
 引越先はこちらです。
 
「毎日木っ端みじん」
 
 
 書く内容や更新頻度は今までと変わらないと思います。こんな辺境のblogに足を運んでくださる方がいるだけで奇跡のようなものなのですが、もしよろしかったら引っ越し先もときどき覗いていただけると嬉しいなーと思います。どなたかの気持ちに何か届けばとても励みになります。
 
 
 英語の勉強をしたり、絵を描いたり、本読んだり、弓の稽古をしたり。ダンナさんやインコやワンコとの暮らしをベースにいろいろじたばたしております。
 
 タイトルに偽り無しの「毎日木っ端みじん」です。
 
 今後ともどうぞよろしくおつきあいください。

息をひそめて

2010-06-03 04:16:04 | 日常
 政治向きの話はBlogにもTwitterにも書かないようにしてきました。
 
 既得権でうるおっている人たちが、それを守るために「情報」をどう使うものかそれなりにわかっていますし、学ぶ気も見る目も聞く耳も持たない人たちが集団で見当違いの的に向かってツバを吐きかけているさなかに何かを言うには、私は文章表現力がなさすぎます。
 ただ、ここ数ヶ月の流れの末に、誰がほくそ笑んでいるのか、どのポジションにいる人たちが自分の富を守ったのか、それはじっと見極めておきたいと思います。
 
 
 かつて、ダンナさんの交友関係から、現野党の某代議士さんが派閥の人身御供として有罪判決を受けるに至った経緯をリアルタイムで聞いておりました。新聞、TVニュースがいかに偏った報道をするか、また各代議士氏がいかに情報を上手く取捨選択して都合のよい部分だけを漏らすか、嫌な意味での感心をしつつ見ていたものです。
 また同時に、霞ヶ関の官僚というものが、いかに賢く立ち回り言葉を弄して自分たちに累が及ばぬようにしつつやりたいようにやるものかということも、ダンナさんの口から聞いておりました。
 
 
 手近でわかりやすい的に足下の石を投げ続けていれば、その足下はもう明日にも崩れ落ちるかもしれない。そんな不気味さや危機感を抱くのは少数派なのでしょうか。攻撃の的をまんまと逸らし高見の見物を決め込んでいる人たちは、決して崩落する穴の上になどいません。
 
 
 
 
 このニュースの写真があまりに象徴的で衝撃的だったため、神経質になっているだけかもしれません。
 
 短絡的絶望的にならず、生き延びるためにしっかり足を踏みしめなければいけないようです。

2歳の天才画家

2010-06-01 06:14:56 |  絵のこと
 わずか2歳の子が素晴らしい抽象画を描く、として話題になっているようです。
 
Aelita Andre
 
 ああ、いいなぁ・・・・と感じ入りました。
 なぜこの子がこの絵を描けるのか、分かる気がします。
 
 見たまま、感じたままを、コトバに翻訳することなくそのまま画面にしているように思えます。
 年齢が上がるとものごとを考えるのに「コトバ」に一旦落とし込むようになります。母語の成り立ちや概念の枠組みにそって思考を組み立て、他者にそれを伝えるために言語に再構成します。絵も多くの場合そのプロセスにそって描かれます。「絵解き」「絵巻」などなど、言葉で説明することを絵に置き換えて描くわけです。
 
 でも、イメージというものは、言葉に翻訳できないものもあるのです。言語で表現しようとした瞬間、いろいろとこぼれ落ちるものがあります。何がこぼれているのか、説明しようとしてもその瞬間「コトバ」が介入してくるのでもうわかりません。
 2歳のAelitaちゃんは、まだ語彙も文章表現力も決して豊かではないはずです。言葉の魔手が何かを奪うまえの、鮮やかなイメージそのものをキャンパスに現しているのでしょう。
 
 
 遠い昔の、もう戻れない思い出の時を懐かしむように、Aelitaちゃんの作品を羨ましく見つめています。
 彼女のように描くことを目標にしてはいけない。でも、描くことに向き合う気持ちの中に、言葉に囚われきってしまうつまらなさを忘れずにおきたいな。そう思います。

明るい道場

2010-05-28 00:30:18 | 
 がっちりした個人道場とかでははばかられて出来ないのかもしれませんが
 
 「出来ん!」
 「ムカつく~~っ」
 「むきー」
 
 などと女性弓引き同士でじたばたし合って、ガス抜きしてぜえはあ言って、ふーっと息をついて顔見合わせて
 
 「おっし!もう一回稽古しよっか」
 
 と射位に戻って、また黙々と引いてたりするわけです。
 
 
 ああでもないこうでもない。こうしたらどう?私こうやってみたら上手くいったけどどうかな?? 
 
 男性陣も「喰い殺されるーー」とか「触るなキケン」とか笑いつつ、そこは同じ弓好きですからあーでもないこーでもないの輪に加わりお互いの射を見合って。
 
 
 
 こうやって少しずつみんなで上手くなって行ければいいなーと思います。人相手の競技ではありませんので、何もかも自分の責任に返ってきます。今上手くいっている人もどこでいつ躓くかわからない。思うようにいかなくてじたばたしていても、その経験は糧になって先への踏み台になります。自分の苦労ももしかしたら後で同じ苦労にはまってしまった人への助言のもとになるかもしれない。
 
 
 傲らずしぼまず。
 今年もいい感じで稽古に復帰できたようです。

「アリス・イン・ワンダーランド」

2010-05-25 02:29:47 |  映画・テレビ
 ティム・バートンの「アリス・イン・ワンダーランド」観てきました。
 
 ルイス・キャロル作「不思議の国のアリス」をちゃんと読んでいることが前提の後日談?です。ウサギを追いかけて穴に落ち込んですぐの流れがキャロル作の雰囲気をよく出していてニヤリとさせられますが、小さな扉を出てからはもうティム・バートンの世界になっていきます。
 
 この監督さんの目線には「異形のものに向けられる容赦のない現実」が捉えられていて、かつて「バットマン・リターンズ」を観たときにはどっしりと落ち込んだものです。予告編を見たときから予測と覚悟はしておりましたが、今回も(控えめではありましたが)ブレることのない描写でまたも観ていてつらい思いをさせられました。
 とりわけ目立つ「異形」にジョニー・デップとヘレナ=ボナム・カーターという実力者二人を据え、大枠では「戦う強い女の子」の今風ファンタジーに納めながら、それとは別に皮肉で残酷な末路に向かわざるを得ない敵役「赤の女王」に秘かに焦点を当てています。
 
 巨大な頭部はワンダーランド的カリカチュアではなく、その世界ですらも露骨に言葉にするのがはばかられる異様な姿であることが「白の女王」のセリフからうかがえます。
 観客の目から見れば雲のように消えるネコやタバコをふかすイモムシもいい勝負のヘンテコさなのですが、彼女にだけは「ワンダーランドの住人だからそういうもの」という思考停止が許されていません。同じヘンテコなのに彼女だけは、なぜか同類からも排除されている。理由は最後まで明確にはされません。
 「怖れられる方がいい」とつぶやき、権力を暴力として振るい、おそらくは「ヘンだから自分は両親からうとまれ、見かけのいい妹はまんまと取り入った」と信じている「赤の女王」は「バットマン・リターンズ」のペンギンとはっきり重なります。
 
 ひとかけらの救いもなく、「赤の女王」は放逐されます。おとぎ話的残酷さが現実世界の残酷さをありありと映し出す一瞬で、ティム・バートンこれにありという描写でありました。
 
 
 一方、主人公のアリスは、むやみに21世紀的性格づけがなされ、昨今ありがちなパターン通りの展開でめでたしめでたしと落ち着くのですが、これも、まてよ?と考えずにはいられません。
 英国ヴィクトリア朝時代が女性にとってどういう時代だったか、よもやバートンが知らぬはずもなく、現実世界に戻ってからアリスがとった選択がとうてい社会的に受け入れられるはずがなかったことも重々承知のはずです。この時代において、このアリスはまさに「異形」、社会からはじき出されて当然の、同情の余地もないおぞましきものです。

 はて、アリスは、ドラゴンの血をすすって、現実世界に本当に戻ったのだろうか。
 
 (夢がかなう別のワンダーランドに移っただけで、もといた世界でのアリスは、木の根本の深い穴の底で、首の骨を折った骸になりはてているのではないか)
 
 
 テリー・ギリアムならさらっとそういう演出をしそうですね。カサベテスの「グロリア」のラストシーンもそんな感じで・・・・・・
 
 
 
 もちろん、そんなひねった見方なんかせずに、アリスは変わり者だけど自分で現実世界を切り開きました。暗黒面に墜ちた「赤の女王」みたいにはならなかったよー、というお話と受け取るのもありです。元気が出ていいですよね。
 御歳88になられるクリストファー・リー様の美声にうっとりするのもいいですし、最初にワンダーランドに来たときのちっちゃいアリスに「か~~~わいい♪」と目尻を下げるのもよい感じ。
 
 
 でも、裏読み深読みをさせてくれる映画はいいものです。ぐるぐるとイマジネーションと知識と思いが交錯する。それは「自分」を読むことに他ならないのですが、そういう機会を提供してくれる記憶に残る作品であったなぁと、「アリス・イン・ワンダーランド」を見終わって嬉しく思っているのでした。

過去の遺物出てきた

2010-05-19 00:29:55 |  絵のこと
 久しぶりに母屋のhtmlに手を入れました。扉の絵も変更。
 

 
 
 これは、もう随分昔の作品で、絵を描くことがつらくてつらくて行き詰まっていた頃のものです。あまりにも描けなくて、結局出来上がった原画そのものを廃棄してしまったのでした。作業場の整理をしていたらプリントしたものがひょいと出てきていろいろ思い出してしまいました。
 
 ここから、もう一度気を取り直して詰めていけば、あるいは何とかなったのかもなぁ・・・・と思います。その頃はもう壁に当たって気力も何もかも尽きてしまっていたのですが。
 
 
 というわけで、これも何かの徴かも、とトップページに貼っておきました。しばらくはその頃の気持ちを思い出すことになるでしょう。
 
 
 
 
 
 こちらは反古の中から出てきたラフ絵。
 
past
 
 何だかいろいろしんどかったなぁ。絵に出ている。
 
 
 
 身辺整理みたいになってきましたが、別に大病しているとかではありません。たまにはちゃんと後ろも振り返ってみようかなと、そんな日だったのでした。
 

 
 
 
 

「はやぶさ」帰還間近

2010-05-18 03:33:51 | 日常
 「あの」小惑星探査機はやぶさが、センサーを用いて地球と月の姿を捉えられる距離にまで戻ってきたようです。
 
「はやぶさ」が、故郷、地球をとらえた!
 
 
 「はやぶさ」といえば、壊れちゃったというのに何かの拍子に自分で勝手に充電して飛び続けていた、ということから「や、やるなお前」感といいますか、一気に親近感を抱いたのですが、それだけではなかったようで、先読みと偶然と力業と粘りと技術力にあふれた顛末は↓の動画をご覧になっていただくとざっくりとおわかりになると思われます。
 
 
探査機はやぶさにおける、日本技術者の変態力‐ニコニコ動画より転載

 
 転載元のニコニコ動画さんのほうでは顛末を補間される素晴らしいコメントが黄色い文字で入っているのですが、他コメントがあまりに多すぎ本編すらかき消すような状態になっていますので残念ですがこちらを・・・・
 
 
 
 考えてみればものすごい非効率的なプロジェクトですよね。
 膨大なお金と技術をつぎ込んで、取れるかどうかもわからない、役に立つかどうかもわからない石のかけらを削ってくるために、たった一抱えほどの機械を3億km彼方の小惑星帯にまでぶん投げて、戻ってくるのに7年ですから。しかも戻ってくると言ったって探査機自体は大気圏で燃え尽きますからリサイクルも不可。
 
 でも、こればっかりは、やってみることそのものが価値なんでしょう。計画立案から得られたデータを分析し終わるまで一分一秒がすべて財産になる、のちへの糧となる、そんな事柄の積み重ねがやがていつかエンタープライズになるんだろうなぁ・・・・(考えの行き着くところが多少一般的でないあたりはご勘弁を・・・・
 
 
 「我々はどこから来たのか、どこへ行くのか」という問いは、自然科学やSF関係者の間で好んで出されます。
 私としては、『最初からここにいるのよ!』という「ファンシィダンス」の真朱さんのセリフに軍配をあげたいところですが、彼女の場合は進化論や宇宙生成の謎とは別に、私個人はずっとここにいる、ここで生き抜いていく、という決意表明と受け取りましたので論点が異なります。「我々」じゃない「私」だ、という選択です。私もそちらを選ぶタチですが、その「私」を構成する要素が遠く星の炉の中で生まれたという説にもしみじみと心惹かれます。
 
 お金がかかろうとも、機材すべてがゴミになってしまおうとも、得られたデータが世間一般にすぐ役には立たなかろうとも、虚空に向かって一生懸命手を伸ばす、そんな宇宙探査というものに向かう人々の心がとても愛おしく大切に思えます。
 いつか、We are not alone と言える日が人類全体に訪れることを願ってやみません。
 
 
 
 
 
 
 
 
 こちらは欧州の宇宙探査ロケットArianeの30周年記念ムービー。
 
Ariane achievements highlighted in new films
 
 さすがはおフランス! センスが垢抜けてます。
 ロケットというものの持つ悲しいほどの不器用さと美しさがとても良く表現されている気がします。
 
 
 
 こちらもおすすめ。
 
僕らは星のかけら 原子をつくった魔法の炉を探して (SB文庫)
マーカス・チャウン
ソフトバンククリエイティブ

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 いやん、絶版T_T
 
 
 
 最後にこれを。文句なしの名著です。
 
悪霊にさいなまれる世界〈上〉―「知の闇を照らす灯」としての科学 (ハヤカワ・ノンフィクション文庫)
カール セーガン
早川書房

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悪霊にさいなまれる世界〈下〉―「知の闇を照らす灯」としての科学 (ハヤカワ・ノンフィクション文庫)
カール セーガン
早川書房

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光の世界

2010-05-14 01:12:17 |  絵のこと
基礎から始める、プロのためのライティング (Commercial photo series)

玄光社

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 やっぱりどうしても弱点よね。世の中では弱点をひーこら言って克服するなんて面倒だから放っておいてその分長所を伸ばしましょう的言説が昨今流行っているようですが、その弱点が足引っ張っているのをわかってて放置って気持ち悪いにも程があるのでわずかでも底上げはしたいのです。そういう性格なんです。
 
 というわけで買ってみました。
 
 本読んだだけで何とかなるなら世話ないとか、絵描くのに写真技術に頼り切りってどうなのとか、後ろ向きなことは考えない。やらないよりマシ知らないよりマシなんじゃないかな。
 
 
 
 読みながら、実際に試しながら、いろいろ発見があるといいなーと思っています。

F.フラゼッタ死去

2010-05-12 01:00:36 |  絵のこと
 5月10日、82歳にてその生涯を閉じられました。
 
 お歳からいってそろそろであろうと覚悟はしておりましたが、いざその時がくるとやはりさみしく悲しいものです。
 「こういう絵もありなんだ!」と初めて見たときは衝撃でした。エロティシズムとバイオレンスに彩られた画面でありながら、他の絵描きたちとは一線を画する存在感が常に作品には現れていました。「生き物」としての人間への敬意あるいは賛美とも言えるかもしれません。
 
 合掌。
 彼の信ずる神のもとで安らかなることを心からお祈りします。
 
The UNOFFICIAL Frank Frazetta Fantasy Art Gallery

いつかはレカロ

2010-05-11 02:43:46 | 日常
 二階の作業部屋の椅子が壊れたので新調しました。
 
 椅子といえば大学時代、インダストリアル・デザインの実習でやったような気がしますが、確かデザイン的にすごく奥深いものだった覚えがあります。グラフィックへ進んでしまったので奥深い「らしい」程度の理解で終わってしまいましたが。
 その後、目からウロコだったのが父の愛車スカイラインGTR R-32に標準装備で付いてきたレカロシートでした。身体全体がすぽっと収まりしかもきゅうくつ感が一切ないため座った次の瞬間にもう眠気が・・・というおそるべきデザインです。安楽感があるんですね。ふわっと身体を包まれて支えられる安心感というのでしょうか。クルマのシートで眠気誘ってどうするとも思いますが、GTR自体はレーシングカーですので能力を引き出して運転しようとすれば人体に過大な負荷がかかると思われます。シートでそれを軽減し運転者を最良のポジションに保とうとデザインした結果、普通に座っただけでも身体をストレス無く保つ形状に出来上がったと思われます。
 デザイナー・チーム、すごい仕事をされたものです。GTRに乗るときはいつもそのことに敬服します。クルマも負けず劣らずすごい仕事の結晶なんですが椅子もきちんとすごい!
 
 
 そんなわけで、事務椅子もちらっと「レカロシート欲しいなー」と思ったのです。冗談のつもりで、クルマ用シートひっぺがして脚つけたらいいかも!なんて思ったのですが
 
 もうとっくに皆さん同じこと考えていらっしゃいました。
 
 レカロさんご自身でもちゃーんと事務用としてデザインした椅子を販売してらっしゃいまして、私、不勉強の至りでございました。
 
 
 
 
 それにしてもさすがのお値段です。
 いいものには相応の値がつくのは当たり前だと思いますし、納得できるものにはきちんと対価を支払うのが礼儀と考えているのですが、納得するため「試しに座ってみる」ということが出来ませんでした。名古屋の中心街に出掛ければ、どこかにレカロシート取扱店くらいあるとは思いますが、調べきれず。たぶんいいものだろう、といきなり購入決断するにはちょっと冒険なお値段です。
 
 そんなわけで、近所の家具屋さんで座ってみて気に入ったこれ
 
HARA Chair ニーチェ グレー 30953

HARA Chair

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 を購入しました。ただいま快適です。
 
 
 
 
 
 ただ、問題が新たに発生しまして。
 
 作業部屋は絵の具等アナログ画材を扱うときに使う部屋で、PC作業のときは下のキッチン脇のデスク前にいるのです。
 二階へ上げる前に試しにここで使ってみましょうーと設置しましたら・・・・・・・この椅子、居座ってしまいました・・・・・・・
 
 いや、快適すぎて動かすに動かせなくなったという感じで。どうするのよ二階は、ここ邪魔だよ、大きいし、そもそも部屋の雰囲気に合わないし。そうこうしているうちに、ダンナさんはニヤニヤ笑いながらそれまで私が使っていたPC椅子(ダイニング用の固い椅子)をさっさと自分の部屋に運び込んで「だってどうせその椅子そこで使うでしょ?」なんて見透かしたようなこと言うし。
 
 
 
 
 ・・・・・・・もう一脚・・・・・・・・・・・・買う・・・・・・・・・・・・?
 
 
 
 
 
 
 
 
 レカロ椅子二脚買うこと思えばいいか・・・・・・って、それ基準がなんか間違ってるし。
 
 
 
 でも、いい椅子は人を幸せにしますよ。これだけは間違っていないと思います。座り仕事の多い方はぜひ、身体にやさしい椅子を手に入れられることをお奨めいたします。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 そして
 
 「いつかはCr○wn」ならぬ「いつかはレカロ」ということで
 
 こんなの
 
 も貼り付けておこうかな。
 
 
 ここまでくると、何に対しての対価なのかいまいち釈然としませんけれども、参考ということでヒトツ。