海人(うみんちゅ)ちさとの<つれづれなるままに>

<金城ちさと>の日記のようなもの♪
「夏木ゆうな」の名前で踊り子やってます☆

訃報

2006年09月05日 02時34分30秒 | Weblog
前にBBSに「入院している」と書いたばあだけど、日曜日に亡くなりました。

肺に水がたまったといってばあが入院したのが、1ケ月とちょっと前。
その時には、すぐに退院するだろうってタカをくくっていた。
それが、お見舞いに行く度、付き添いをする度に弱っていくのが見え、親たち(=ばあの4人の娘たち)が露骨に何かを隠している。
で、うちの妹が母親を問い詰めたところ、末期の肺ガンだという。
「どうして教えてくれなかったの?」と聞いたら、『検査がもしも悪い結果だったら、子供たちには言わないで』とばあが言っていたのだという。
ハタチをとうに超えた孫たちでも(ばあの孫娘5人のうち4人が成人している)、ばあにとっては未だに『子供たち』なんだなって思うと、おかしくもあり、悲しくもあり・・・・。

足が悪かったから、杖をついてちょこちょこ歩き、それでも声は元気で、いつも「ちーちゃん!」ってびっくりするくらい大きな声で呼んでくれていた。
米寿の高齢の割には元気だったから、ばあは、九十までも百までもこのままのような気がしていた。

付き添いをした時に、「さすって」と言われてさすった背中が、いつの間にこんなに小さくなったんだろうって思うくらいに小さくて、悲しくなった。

ばあが、食事を取れなくなり、少しの氷で水分を取ることしかできなくなった。
水ではのどに詰まらせて咳込む危険性があったため、氷しかあげることができなかった。
それでも、ばあが「こおり」と小さな声で言うと口に運び、少しでも回復しないか、奇跡が起こって元気にならないかと願わずにはいられなかった。
その氷すらのどに詰まらせたため、医師からあげることを禁止され、もうそんなに長くはないと覚悟はしていた。
ばあの娘&孫娘たちが順番で付き添いをし、ちさとが家に戻っていた時に、息を引きとったと知らせが入った。
わかってはいても、覚悟をしていたつもりでも、悲しいものは悲しい。
ばあには、親には言えないことも話すことができた。
ばあと、もっと話をしたかった。
ばあの話も聞きたかった。
元気なばあに会いたい。

人の歴史・人生において「たら・れば」を言えばキリがないけど、どうしてもかなえたかったことがある。
ちさとの同い年の従姉妹が、去年男の子を生んだ。
ばあのひ孫だ。
ばあは、「直系で、初めての男の子だ」と言って喜び、「ひ孫はいくらいても困らない。いっぱい顔を見たい」と言っていた。
だから、ちさとも、ばあにひ孫を抱かせてあげたかった。
もうちょっとだけ、待っていてほしかった。
でももう、それも果たせぬこと。

今は、ただ、ただ、悲しい。淋しい。


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3 コメント

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お悔やみもうしあげます (こたつねこ)
2006-09-05 21:47:26
こたつねこも父親をなくしたときの気持ちをおもいだしました。悲しいけれど・・・人間がたどる道ですよね。おばあは、ちーちゃんのこと宝物のようにおもってたんでしょうね。(^^)でもやはり寂しさは隠せない。。。

悲しい時は、思い切りなくと良いよ(^^)
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お悔やみ申し上げます。 ()
2006-09-05 22:24:08
お悔やみ申し上げます。



人生には、色々な別れが有りますが、なかでも死による別れが一番つらいですね。



でも、子供(ちさとサンのお母さん達)や孫(ちさとサン達)に交代で看病されたので、おばあさんは幸せだったと思います。



ちさとサンが、これほど思われている、おばあさんですから、何処からか、ちさとサンを見守っていて下さっていると思います。

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ご苦労様でした (Mr.Boo)
2006-09-06 23:19:37
付き添いは大変だったでしょ。

でも色々とおばあさんとの思い出が出来たと思います。

その思い出を忘れず、度々思い出してあげるのが供養になると聞いた事があります。



仕事柄、何十人の方を見送りました。

ち。さんのおばあさんは、幸せな最後を送られたと思いますよ。

何時までも、ち。さんの事を見守って下さると信じてます。

出来る限りの事をしてあげたのだから、悔いは残さないでね。おばあさんが悲しみますよ。頑張って笑顔で見送ってあげて下さいね。
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