くろねこさんの話によれば

くろねこが思ったこと、考えたことを記すだけの日記なのだと思う。たぶん。

年末に寄せて

2015年12月31日 16時59分08秒 | 比較的短文ではない文章
とざいとーざい。

とざいとーざいー。

(パチパチパチパチ)

さてもさても皆々様方、2015年が間もなく終わろうとしているではありませぬか。時間にして残り7時間。これにて一年が終わりを告げようとしておりまする。長いような短いような、あ、ああと言う間に終わったような、あ、そんな気がしてまいりまする。
年が明ける前に、ずずい、ずずずいと今年を振り返ろうでは、あ、ありませぬかぁぁぁ。


(パチパチパチパチ)

と、口上を述べてとりあえず開幕です。年末に寄せて、一言ごあいさつさせていただきます。

(パチパチ)

それはそうと、生きている限り人間は歳をとるものです。でも、年齢のようにある日突然、繰り上がるように老いるのではありませんね。それは日々のことです。ゆっくりと、着実なものです。

そうして僕たちは時間を消費しながら生きている。時が経つにつれて何かの可能性が消え失せ、希望は閉じられる。ばたん、クローズ。終了。

でも果たして、僕たちは本当に、そんな風に閉まり続ける扉だけを眺めて生きているのだろうか。違いますよね。僕たちは時間をかけて井戸を掘るし、時間をかけて扉を開けようとします。一つの井戸を掘っているときに、ほかの扉のことを考えることはしないし、考えたとしても、それはあまり重要なことではないはずです。

そうして水脈を当てたときには(あるいは扉を開けた時には)、きっと素敵なものを手にしているはずです。大切なのは時間をかけることです。簡単に得られるものなんて、実は石ころみたいなものでしょうから。

さて、じゃあ僕はこの一年、何に時間をかけてきたのか。間違いなく仕事です。少しでも良いものを作りたいと、届けたいと、自らの存在を証明するかのように取り組んできました。

(さっきまで働いていたおかげで、頭がくらくらします。風邪ですしね。むぅ。


と書いて、改めて、時間をかけたものがあって良かったと思います。でなければ、この一年間が無為に帰すような気がして。もちろん、日々を楽しむ、その瞬間を楽しむことはとても大切なのだけれど。

(しーん)

どうして頑張るかって、それはつまり、義務も責任もあるけれど、自分の望む方向性にマッチしているからです。好きでやっているのです。簡単に言うと、夢に繋がっているからです。

(ごにょごにょ)

ことしは3月に東京に行きました。電車に揺られ、春の息吹を感じ、それから泣いて帰ってきました。

10月には親友の結婚式に出て、友人代表のスピーチをしました。新郎新婦の家族とお酒を飲みました。一緒にUSJにも行きました。

一大イベントはこのぐらいで、あとは実体のない影みたいな日々でした。僕の心はどこに行くこともできず、金縛りにあったように身動きができませんでした。

(ふーん)

できること、できないこと、叶えたいこと、叶わないこと。でも僕は、少しずつでも井戸を掘り続けています。いささかオーバーに言えば、頭を叩かれ、石を投げつけられても。

あるいは、その日々がどこかに繋がってほしいと願っています。いつの日か僕はいまの仕事を辞めるのでしょうが、そのとき、どこまでも高く、自由に飛べるように。

(ふーん?)

2015年の日々が、みなさまにとって、素敵なものであったなら。そして、それがどこかで何かに繋がり、素敵なことを起こしてくれるのなら。僭越ながら、このブログを読んでくださっているみなさまのために、祈っております。

(パチパチパチパチ)

さて、これから荷物を整えて実家に帰らなくっちゃ。

それから、一日遅れてしまったけれど、誕生日おめでとう。僕が愛したのは、後にも先にも、あなただけです。

私信でした。失礼しました。

ではみなさま、良いお年を。

(パチパチ…パチパチパチパチ)

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