くろねこさんの話によれば

くろねこが思ったこと、考えたことを記すだけの日記なのだと思う。たぶん。

バックトゥー

2016年05月06日 16時54分23秒 | 短文集
そろそろアパートに戻らなくちゃなあと思っているのです。実家にいることはとても楽だし、体にもいいけれど、でもねぇ。

そうそう、ゴールデンウイークに友人のHと会ったけれど、ふむ、それだけ。

祖母がいること、クロがいること

2016年05月06日 12時34分02秒 | 比較的短文ではない文章
午前4時前ぐらいに部屋の外から「にゃあ」と声がして、寝ぼけたまま戸を開けると、猫のクロが入ってくる。そのまま布団の上に乗り、僕の両足の間で眠り始める。丸まってすぅすぅと寝息を立てる。僕はうまく寝返りを打つことができなくなるけれど、クロのことが好きなので苦にならない。幸せな時間。

実家に帰ると、だいたいこんな朝が待っている。そしてそれが今の日常だ。

実家に帰って、僕は毎日3食をきちんと食べるようになった。早寝早起きになった。減っていた体重が戻り、体調が回復してきた。かわりに猫アレルギーが出てきているけれど。

猫のクロは11歳になった。人間で言うとどうなんだろう、老年に差し掛かっているところだろうか。若くはない。でもまだ、その若い時の面影は見てとることができる。

小さい頃にほかの猫とケンカして、片目が見えなくなったクロ。片耳を少しちぎられたクロ。あまり刺身が好きではないクロ。白黒模様の、クロ。

僕にとって、実家のイメージは、ある意味でクロがいることだ。そして、ある意味で両親がいること、祖母がいること。田園風景。静けさ。ゆるやかな時間。ある意味で、ある意味で。

2011年9月、僕はアパートで一人暮らしを始めた。そうしなければならないと思ったのだ。そのゆるやかな時間に身を任せているだけでは、どこにも行けないと思った。自立しなければならないと思った。誰に相談することもなく、不動産屋でアパートを決めて、それから父親に一人暮らしを始めることを告げた。

「おう、いいぞ」と彼は言った。

その頃は姉も実家に住んでいたが、しばらくして一人暮らしを始めた。

家族が離れて暮らすのは、寂しいことなんだろう。少なくとも僕は寂しかった。嫌だったとまでは言わないし、望んでいたことだけれど、それでも。

時は過ぎ去ることをやめず、僕はいつのまにか30歳になった。結婚していてもおかしくない年齢だけれど、僕には相手もいないし、その兆しもない。「結婚してるの」「結婚相手を探さないとな」と言われることが増えた。人生の中盤戦に入った。

祖母のことを少し。

幼い頃、僕は祖父母にとても大事にされたと思う。たくさんの玩具を買ってもらったようだし、わがままも聞いてもらったようだ。子育ての方針をめぐり、母が祖父母に厳しいことを言ったことを覚えている。「ケンカしないでね」と幼い僕は言った。「大丈夫だよ」と母は言った。中学生ごろに両親を亡くした母は、芯の部分に強さを持っていた。

祖父は僕が高校生の時に亡くなり、祖母は今年88歳になる。だいぶ年老いた。春から秋にかけては毎日のように外で畑仕事やら、米作りの手伝いやらをしているけれど、以前より老いたことは傍目にも分かる。

大学生のころは概ね半年ごとに実家に帰ったのだけど、僕は祖母が老いていくことが悲しかった。それは、否が応でも別れを思わせたからだ。夜に眠りながら辛い想像をして、涙を流すこともあった。考えすぎかもしれない。滑稽にも思える。だけど、僕はそうだった。そしてそれは、未だに続いている。

いつかは別れが来る。僕たちはいつか必ず死んでしまう。決まっていて、避けられない運命。分かっていることなのに、分かっているからこそ、想像してしまう。それは強固なイメージとして、いつでも傍に漂う。

両親がいて、クロがいて、祖母がいる。田園風景。静けさ。ゆるやかな時間。実家のイメージ。