高専が集まって、体育大会の中四国ブロック予選が開催されました。
1977年、 広島商船高専。
私は音楽部に入ってましたので、まったくの部外者でした。
だけど面白そうな競技をブラブラ見て、それなりに楽しんでいました。
体育館では卓球の地区予選が始まっていました。
呉高専・徳山高専などが優勝候補で、わが母校は(残念ながら)優勝圏外です。
ちょっと冷やかしに見てみようと呉高専の試合をのぞいた私。
その時、ふと 目に入ったショートカットの女子学生。
(商船高専は古の男子校でしたし、
まだ工業高専にも女子学生が少なかった時代でした)
私が 記憶 を取り戻すのに そんなに時間はかかりませんでした。
「M だ」
三原の小学校の同級生Mが、呉高専に入学して卓球部のマネージャーになっていたのです。
「久しぶりじゃのぉ」
私が声を掛けようとした時、Mはどこかに姿をくらませました。
それも ものすごい早足で。
そうです。
彼女は小学校2~3年の頃、いじめに遭っていたのです。
私もいじめの初期に加わっていました。
それなのに、すっかり忘れていました。
- まるで何事もなかったかのように -
ほんのちょっとした「くせ」を見つけられ、それがいじめを助長する。
いじめた側は忘れていても、いじめられた側は一生忘れることはできない。
今のいじめとは違って、陰湿さはないものでしたが、
たとえ子どものいたずらであり、暴力を使わない方法であっても
Mはしっかり覚えていました。
たとえ私が早めに気がついて いじめをやめたとしても、
Mには忘れられない出来事だったと反省しています。
高専大会が終わってから、彼女の両親が小1のときに離婚したのを思い出しました。
母親と二人暮らしを始めて、名前もJ子からT子に変えていました。
いろいろ複雑な時期だったのに。
Mさん、 本当にごめんなさい。
きっと幸せになっているよね。
