どうやら、哀しい時の方が、私の書き欲は刺激されるらしい。。。
万博前に5年間勤めていた会社の上司にご不幸があった。
最愛の奥さまが他界。
この上司は、ロマンチストな笑い仲間という存在で、愛談義では、いろいろな刺激を受けた。人は見掛けによらないと・・・いやいや、「こんな風に愛されたら」と奥さまを羨ましく思うくらいにキレイな愛を持っていた。
余命の宣告を受け、家族の想いの甲斐あって、延命。そんな特別な時間を過ごしていたところに、その日が訪れた。
連絡をくれた当時の同僚の方々に感謝。
自分が味わった、最愛の人を失くす痛み・哀しみ・寂しさ。
それを尊敬すべきあの人が味わっていると思うと、自分のあの頃の気持ちと妙にリンクしていたたまれない。涙まで出てくる。
私は、特別、情に厚いわけではなく、むしろ”他人事”的に物事を見ていることが多い。そんな私が、他人事なのに涙を流すのは、とても珍しい。
最初は、見慣れた面々への懐かしさが大きかったけど、喪主挨拶で一転。式場中が哀しみをこらえるのに必死だった。
「夢は24時間365日、妻といる事だった。
でもそれが叶わなくなってしまった。
だから僕の夢は変わった・・・・」
実は、、、これまでの夢を聞いた時点で、涙をこらえるのが精一杯で、肝心のこれからの夢がちゃんと聞けなかったぁ。。。だって、それどころじゃなかったんだもん。。。
内容は、妻が安心してみていられるような生活を妻を想って過ごしていく、、、といった内容のはず。
式が終わり、式場を出る時、
「少なくとも、私は頑張っていた事を知っています。」
と目で伝え、挨拶を交わして帰路にむかった。
そして、やはり今日も帰りのカーステレオはOFFだった。