チェルノブイリ子ども基金・事務局だより

チェルノブイリ子ども基金スタッフが綴る事務局の日々。

ウクライナ ジュリン村の暮らし

2009-07-15 17:10:48 | Weblog
昨日のブログで紹介したターニャの暮らしているジュリン村は、
キエフ在住のガリーナの故郷でもあります。

ガリーナと夫は1986年当時、チェルノブイリ原子力発電所の職員でした。
彼女の夫は今、チェルノブイリ原発の4号炉を覆うドーム建設の仕事に関わっていて、
週末だけキエフの自宅に帰宅します。

今年3月にフォトジャーナリスト広河隆一が
取材でプリピャチ市を訪れたとき、
同行したのがガリーナと夫でした。


ジュリン村に住むガリーナの友人、ジェーニャを訪ねました。
夫と二人の息子を亡くし、一人で暮らしています。




ジェーニャの長男は事故死でしたが、
まだ30代だった次男と、病気などしたことのなかった夫が、
数年前に続けて突然亡くなりました。
彼女は今でも黒いスカーフを被っています。

一人で畑仕事や家畜の世話をしながら暮らしています。
蜂蜜も自分のところで採っています。


                     ジェーニャの畑
                     右側にあるのは養蜂箱

ジェーニャは畑や牛舎を裸足で駆け回っていました。
手も爪も真っ黒にして働いています。

「工場で何十年も働いて表彰もされたのに、
年金はほんのわずかです。
これはとても不公平だと思います。
年金だけではとても暮らしていけません。
1リットルの牛乳を売っても1グリブナ(※)にしかなりません」

(※グリブナ:ウクライナのお金の単位。
今日のレートで計算すると、1グリブナは約12円。)





部屋の壁には、手書きの絵が描かれています。
村の絵の上手な人に頼んで描いてもらったそうです。
「お酒を出してあげれば、ただでやってくれましたよ」とジェーニャ。
今このような絵のある家はほとんどないそうです。




   天井に描かれた絵


ガリーナの故郷の村の人々は以前と変わらぬ暮らしをしています。
しかし目に見えない放射能は、子どもたちの病気や、
年若い者たちの突然死という形で現れています。
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