心と言葉ってのは
なんて難しいのだろうか。
ずっと思ってきた事だけど
伝えたいと思う心の何%を
相手に上手に伝えられるのだろうか。
また相手の言葉を聞いて
相手の心を
どれだけ察することができるのか。
理解することができるのか。
それに難しいと思うのは
言葉は時々一人歩きを始めるからだ。
自分自身それで嫌な思いをしたことがある。
きっと誰もがあるんじゃないかと思う。
たとえば
人伝えに耳にした言葉
それってどれだけ確証の持てるものだろうか。
確認もせずに、もしそれだけで
「真実」としたら「すべて」としたら
内容や時と場合によっては
色んな人の心は滅入ってしまうのではないだろうか。
言葉がその場面から離れて
歩き出せば
見えるのはほんと断片でしかない。
その時、どんな表情をしていたか?
どんな口調で話していたか?
前後にどんな流れがあったのか?
何故その人がそれを口にしたのか?
それを口にしたその人の『心』にあったのは何か?
何に向けられた気持ちだったのか?
それらは
自分にある様々な基準でしか
見られないのではないだろうか。
小説に登場する他者でもある人物の心が
読み手である「自分」のことのように
感じられる事が有るのは
理由の一つに
心の流れが事細かに
表されているからなのではないかと思う。
しかし現実世界に見えるのは
言葉も行動も心も
ほんの一部分だ。
色んなものが蠢きすぎていて
何が真実なのかと考えてみたとき
結局わからないものも多くて
傷つくことや迷うことがある。
深い部分に触れようとすればする程に。
でもだからこそ
見えないものこそ
信じる気持ちを持たなければ
壊れてしまうものが多い。
強く儚いもので
そう決めても
自信をなくすときがあるけれど
自分は信じようと
決めたものを信じようと思う。
信じたいと想った人を
信じていこうとおもった。
人も心も言葉も。
なんて難しいのだろうか。
ずっと思ってきた事だけど
伝えたいと思う心の何%を
相手に上手に伝えられるのだろうか。
また相手の言葉を聞いて
相手の心を
どれだけ察することができるのか。
理解することができるのか。
それに難しいと思うのは
言葉は時々一人歩きを始めるからだ。
自分自身それで嫌な思いをしたことがある。
きっと誰もがあるんじゃないかと思う。
たとえば
人伝えに耳にした言葉
それってどれだけ確証の持てるものだろうか。
確認もせずに、もしそれだけで
「真実」としたら「すべて」としたら
内容や時と場合によっては
色んな人の心は滅入ってしまうのではないだろうか。
言葉がその場面から離れて
歩き出せば
見えるのはほんと断片でしかない。
その時、どんな表情をしていたか?
どんな口調で話していたか?
前後にどんな流れがあったのか?
何故その人がそれを口にしたのか?
それを口にしたその人の『心』にあったのは何か?
何に向けられた気持ちだったのか?
それらは
自分にある様々な基準でしか
見られないのではないだろうか。
小説に登場する他者でもある人物の心が
読み手である「自分」のことのように
感じられる事が有るのは
理由の一つに
心の流れが事細かに
表されているからなのではないかと思う。
しかし現実世界に見えるのは
言葉も行動も心も
ほんの一部分だ。
色んなものが蠢きすぎていて
何が真実なのかと考えてみたとき
結局わからないものも多くて
傷つくことや迷うことがある。
深い部分に触れようとすればする程に。
でもだからこそ
見えないものこそ
信じる気持ちを持たなければ
壊れてしまうものが多い。
強く儚いもので
そう決めても
自信をなくすときがあるけれど
自分は信じようと
決めたものを信じようと思う。
信じたいと想った人を
信じていこうとおもった。
人も心も言葉も。