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成都観光地 成都観光お勧め 成都繁華街

2018-09-07 08:30:42 | 旅行
三国志・蜀の都であった中国四川省成都市は、道教の総本山で世界遺産である青城山が近くにあり、道教の発祥地と言える場所です。
「青羊宮」がある成都市は1417万人(2013年)の人口がある大都市ですが、そこで道教は今も大切にされ続けています。参拝者が途切れることは無く、仏教に限らず道教も人々の心にしっかりと根付いているのです。
日本であまりなじみの無い道教寺院「青羊宮」を訪ねましょう。
「青羊宮」とは
四川省成都市の「青羊宮」が最初に作られたのは西周の時代とされます。少なくても紀元前771年より前です。当初、こちらは「青羊肆」と呼ばれていました。その後、三国時代に「青羊観」となり、881年の唐の時代に「青羊宮」となったとされます。
しかし五代十国時代(907年-960年)の頃再び「青羊観」と変わり、最終的に「青羊宮」として落ち着くのは宋代(960年-1279年)からです。過去に焼失しており、現在の建物は清の時代のものです。
ところでなぜ「羊」なのかですが、かつてこの地において、青い羊に乗った老子が現れて教えを説いたという伝説によるものです。
美しい「八卦亭」
「青羊宮」の最初の見どころの一つがこちらの八卦亭です。上段と中段の層の色が異なっており、とても美しい建物です。
八卦亭には全部で81匹の龍が彫られており、内部には老子が青い牛に乗り函谷関を出る場面の像が祀られています。なお、八卦とは易の八つの図形を意味し、この組み合わせて吉凶を占います。
「八卦亭」と次に紹介する「三清殿」が清代の建築の特徴をよく残しており、「青羊宮」で最も象徴的な場所と言えます。
「三清殿」(無極殿)とは
この寺院で最も重要な場所が三清殿です。殿前には清代に作られた二つの羊の銅像が並んでいます。この羊は無病息災の力があるとされ、この羊への参拝者も絶えることがありません。
三清とは道教の最高神を意味しています。左側に「道」を神格化した上清霊宝天尊(太上道君)、「太元」を神格化した玉清元始天尊(中央)、そして右側に老子を神格化し太清道徳天尊(太上老君)の三清となり、老子は神として崇められています。なお、建物の中の両側には12の神像が並んでいます。
元々は唐代の初期に建てられたと言われていますが、現在の三清殿は清代(1669年)に再建されたものです。
道教の祖と言われるのが老子(生没年不詳。紀元前6世紀等諸説有り)です。しかしながら道教の元になるものはそれ以前からあり、古い歴史を持っています。
黒い建物に朱色や黄金色がちりばめられた作りは、日本では見られない色遣い。じっくりと観察してみて下さい。
地元で人気のある占いを紹介します。福寿禄の文字がある壁は「照壁」と呼ばれています。壁から5mから10m程離れた場所から、目を閉じてこの壁に向かって歩き、壁のどの文字に触れるかで占いをするのです。「福」は福が来る、「寿」は長生き、「禄」は金運、昇進が良くなるという意味があります。
こちらで占ってみてはいかがでしょうか。
こちらには建物同様の真っ黒い色をした服装の道士がいます。男性の道士は乾道(けんどう)、女性の道士は坤道(こんどう)と呼ばれます。
今では道士というと道教に関する人たちを指しますが、もともとは道を説く人という意味があり、儒家の人たちも道士と呼ばれていたのです。
日本ではなじみの無い道教ですが、一説には仏教以前に日本に入ってきたと言われています。仏教のように国教となることはありませんでしたが、日本の歴史、伝統や習慣に深く関わっています。
日本の天皇の中には道教を信じる人がいました。奈良県明日香村の日本遺産「檜隈大内陵」に眠る天武・持統天皇はよく知られています。両天皇に深い縁のある三重県の伊勢神宮には、道教の考えが取り入れられています。
また、宮内庁所蔵の孝明天皇の礼服には、北斗七星、鳳凰、龍という道教のシンボルが刺繍されているのです。
身近なところでは、台所やトイレに神様がいるという考え方は道教から来ています。風水の考え方も道教由来であり、豆まきの節分、桃の節句、端午の節句も同じです。
成都の道教寺院・青羊宮には他にも見どころが!
「青羊宮」は今回ご紹介した他にも、見どころが多数あります。南北一線上に並んでいるこちらでは霊祖殿、混元殿、玉皇閣(闘姥閣)、降生台、説法台、唐王殿(紫金台)など、じっくりと見て回ると数時間はかかる場所となっています。
これを機会に、四川省成都市最大の道教寺院である「青羊宮」に、ぜひとも足を運んでみて下さい。
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四川省で食べる本場の激辛「火鍋」!成都は火鍋の一大聖地

2018-09-04 07:50:37 | 旅行
四川省成都市内には、いたるところに火鍋の店があります。四川料理の代表格と言ってよい火鍋は、市民にとって日常的な食べ物です。冬は体を温め発汗作用を促すため、夏は夏バテ対策に、年中食べられています。また、火鍋には様々な食べ方があります。タレの辛さ、具材は客の好みで変えられます。火鍋の本場である成都より、「洞庭苑牛杂火锅」の美味しい火鍋をご紹介します。
火鍋の歴史
火鍋の起源は古く、唐代(618年-690年、705年-907年)と言われています。中国国内では四川省発祥説が強く支持されていますが、他の説では内モンゴルの羊肉料理起源説というものもあります。
更にはチベット族起源説です。牛の内臓を食べる習慣が無いチベット人たちが、長江に牛の内臓を廃棄していて、下流の人たちがそれを拾い、火を通したのが始まりという説があります。
最近の火鍋の傾向として、鍋に入れるタレと、付けダレがパック方式という店が増えてきています。これは中国政府の意向があり、全国的に食べ物の品質を向上させることを目的としているのです。
古いタレをいつまでも使わない、使い回しをしないということでパックのタレであれば、目の前で封を切ることで信用出来るということです。
もちろん、パックのタレでは一定の味となりますが、そこに好みで様々な物を加えるのです。どのような味にするのかも、火鍋の楽しみ方の一つです。
様々な具材を注文
日本のしゃぶしゃぶのルーツが火鍋である、という説があります。しかしながら具材の煮方が大きく異なります。しゃぶしゃぶはさっと火を通す感じですが、火鍋はしっかりと煮込まねばなりません。
こちらでは、羊の肉が好んで食べられます。これは明代や清の時代からとされ、古い歴史があります。羊の他に牛の胃等も代表的な具材です。「洞庭苑牛杂火锅」は牛の内臓の店です。
湯葉、野菜を多く注文しましょう。辛い物を食べ過ぎると胃の負担が大きいので、野菜類でバランスを取るのが四川省での一般的な食べ方です。
また、スイカ等がサービスとして付いてくる店も多くあります。日本では冷麺にスイカやパイナップルが入っていることがありますが、発想としては似ていると言えます。
様々な鍋の種類
四川火鍋の特徴ですが、鍋が二つに仕切られていることが多くあります。鍋には様々な種類があり、中央で二つに分けて半円で味を変えるもの、鴛鴦火鍋と呼ばれますが曲線の仕切りを使い、形を陰陽太極図に見立てているものがあります。
こちらのお店では、丸い鍋が二重になっていて、中の小さい方に、白湯(パイタン)と呼ばれる白濁のスープを入れています。これは辛さを抑えており、おもに野菜を入れて食べることが多いのです。赤い色は麻辣(マーラー)であり、様々な辛さの段階があります。
これらは全て、客の好みで変えることが出来ます。
火鍋が大好きな成都市民でも、決して毎日食べているのではありません。強い辛さがありますので、普段は胃を休めることが多いのです。特に日本人にはなじみの無い辛さですので、決して無理をせず、食の楽しみとしていきましょう。
「洞庭苑牛杂火锅」は、有名な三国志・蜀の初代皇帝劉備玄徳と諸葛亮孔明を祀る「武侯祠」まで歩いて行ける距離にあります。
本場四川省の成都で食べる火鍋は、旅先では食べておきたい四川料理の一つです。これを機会に、試してみてはいかがでしょうか。
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成都観光 成都三国志 成都三国志ツアー

2018-09-02 08:19:50 | 旅行
紀元前17世紀に遡る殷周の時代とされる金沙遺跡(きんさいせき)があり、かつては三国志蜀の都であり劉備玄徳、諸葛亮孔明らの英雄たちが住んでいたのが中国四川省成都市です。
様々な見どころがありますが、一般の観光案内にあまり掲載されることが無い場所をチョイス。劉備玄徳が涙した「洗面橋」、「通恵門」(琴台路)、文殊院、竹林「望江楼公園」、錦里古街。
歴史と美しさを体感できる名勝地のご紹介です。
劉備玄徳の「洗面橋」
最初にご紹介するのは、劉備玄徳と諸葛亮孔明を祀った廟である武侯祠に近い「洗面橋」です。
蜀の初代皇帝であった劉備玄徳の部下に、忠臣と言われた関羽(生年不詳- 建安24年(220年))がいます。武勇と何よりも義理を大事にした関羽は、敵である魏の曹操からも認められる存在でした。しかしながら彼は呉との戦で捕らわれ、斬首されます。
その関羽を弔う廟がかつてこの付近にあり、服が残されていたことから「衣冠廟」と呼ばれました。劉備は関羽の廟に向かう際、涙を流し続けます。しかしそのような顔で関羽に会うわけにはいかないと、橋のたもとの川で顔を洗うのです。そこから洗面橋と呼ばれるようになります。
市民の便利さのために作られた「通恵門」(琴台路)
続いて、見事な門構えの通恵門ですが、その奥の通りは広く作られており、通りの両側にも見事な作りの建物が並んでいます。建物の作りと入居している店はまったく別で、一般の雑貨屋、銀行、飲食店等がある不思議な通りです。アイスや冷たい飲み物を揃えた店で一休みしてみましょう。
この辺りは昔、清朝の城壁があり、その西門が北の方向に遠く離れていて不便な状態が続きました。中国の民主化運動であった辛亥革命の後の1913年に、寺への参道として新しく門が作られますが、それがこの通恵門です。その後、1958年には古い城壁が撤去されています。
四川省の仏教中心寺「文殊院」
三つ目にご紹介するのは、仏教寺院の「文殊院」です。老若男女を問わず、多くの参拝者が訪れます。
仏教寺院なのですが、道教寺院のように黒い建物のこちらは、歴史が古く南北朝時代(420年-589年)に創建され、宋代に信相寺となりました。その後、明代に戦火により焼失。清朝の1697年に再建された際、「文殊院」と寺号を変え今日に至っています。
こちらの見どころはとても多く、どの建物も典型的な清代建築となっており、そこに美しい透かし彫りの飾り窓が付いています。中国国内では文化大革命で多くの寺院が破壊されますが、ここは奇跡的に残されたのです。
ここで特に有名なのが唐の僧、玄奘三蔵(602年-664年)の頭蓋骨です。1942年、旧日本軍によって偶然、南京で発見されています。そして1958年、文殊院の蔵経楼霊骨塔に分骨されています。
その意味でも、こちらはぜひとも訪れてみたい場所の一つです。
美しき竹林「望江楼公園」
四つ目にご紹介するのは、竹林と見事な池のある「望江楼公園」です。古い歴史を持っていて、唐代の女流詩人薛涛(セツトウ)にちなんで清朝に造られています。成都の南部に位置し、流れる錦江のほとりの公園は、晩年の薛涛が水を汲んだという井戸が残されています。竹が多く植えられている理由は、薛涛が竹をこよなく愛したからです。
ここでは多くの成都市民がお茶を飲み、散歩や麻雀を楽しむ憩いの場となっています。見事な池は、観光の合間に一時の安らぎの時間を与えてくれるでしょう。
蜀を再現した「錦里古街」
最後に武侯祠に隣接する「錦里古街」です。ここは昼も夜も大変賑やかな場所となっており、お土産品、食堂、喫茶店、そして夜には多くのバーが開店します。この辺りは蜀の時代の古い町並みを再現したところで、道幅は狭く作られていますが、見所が多くあります。食べ歩きをするのも楽しい時間となるでしょう。夜は提灯に灯りが入り、美しい景観となります。
あまり知られていない洗面橋や通恵門。成都は魅力ある観光都市
中国四川省成都市には、有名な観光地が多く有ります。しかしながら今回ご紹介したように、市民の日常生活に溶け込んでいながらも見事な景観や美しい姿、そして長い歴史を有する場所があるのです。
これを機会に、成都市内を歩いてみませんか?
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錦里古街 成都お勧め 成都観光 成都旅行

2018-09-01 08:51:11 | 旅行
中国・成都には、昔の建物や通りを修復あるいは再建し、古い町並みを現代風にアレンジして楽しむことができる幾つかの観光スポットがあります。
中でも、明や清時代の建築方法にならって再現された「錦里古街」は、飲食店あり、土産物屋あり、劇場あり、バーありと、まるで東京・浅草の仲見世通り界隈のようです。
そんなレトロとモダンが入りまじった成都の浅草「錦里古街」をぶらっと散策してみませんか?
まるで東京・浅草仲見世通り界隈?!
中国・成都の「錦里」は、古くは秦、漢、三国時代から商業のまちとして栄えていました。
その後、「武候祠博物館」に隣接するエリアを再整備し、現在の「錦里古街」ができ上がりました。道幅4メートル足らずの狭い通りの両側には、四川料理の食堂あり、小腹が満たせる小吃(シャオチー)あり、ハンディクラフトの土産物屋あり、四川劇の見世物小屋あり、そしてなぜかモダンなバーありと、まるで浅草の仲見世通り界隈のようなにぎわいです。
武候祠大通りに面した「錦里」の壁門を抜けると、明や清の時代の建築様式を再現した建物が、狭い通りを覆うように建てられています。我々日本人にとっても中国の歴史を感じられる建物で、タイムスリップしたような気分になります。
なお、再建された建物は宿泊施設やレストランとして使われています。それらは、夕暮れになるとネオンがきらめき、新旧のハイブリッド感が一層増幅されます。
「錦里古街」は狭い通り沿いにたくさんのお店が並んでいます。しかし、奥のほうまで進んでいくと、それらのお店は池を取り囲むような配置に変わります。
本格的な四川料理を提供するレストラン、バーやカフェ、小腹が満たせる四川風小吃(シャオチー)、ハンディクラフトやパンダ専門の土産物ショップ、そして四川劇の見世物小屋やいわゆる的屋(的当てゲーム屋)など、ぶらっと歩いているだけでも楽しくなってきます。
縁日的雰囲気の「錦里古街」にあって、ちょっとばかり神聖な雰囲気が漂っているのが『縁定三生』と石に刻まれた願かけスポットです。
『縁定三生』とは、「縁というものは、前世・現世・来世で既に決まっている」という意味で、中華圏においてはお祝いごとでよく使われる四字熟語です。
願かけするのは簡単です。札所で「良縁成就」「家内安全」「商売繁盛」などから好きなお札を選びます。そして、自分の名前を書いて、赤い袋に入れて吊り下げるだけです。
中国の方のパワーに圧倒されながらも、あなたも願かけしてみませんか?外国人枠があるとするならば、案外すんなりと叶うかもしれませんよ。
「錦里古街」でのお楽しみは何といっても、小吃(シャオチー)の食べ歩きでしょう。小吃とは中華風の軽食のことですが、一品当たりの量が少ないので、いろいろと食べ比べることができます。
四川風のちょっと変わった小吃では、『三国志』の登場人物の一人・武勇の張飛がイメージキャラクターになっている「張飛牛肉」はいかがですか?乾燥牛肉本来の味が楽しめる塩味のものと、四川風の辛いものの2種類があります。量り売りですから、食べたい分だけどうぞ!
ちょっと甘味が欲しいなと思ったら、ホットケーキのような生地にいろいろな具材を挟んでいただく「蛋烘糕」はいかがですか?
ただし、中に挟む具材は、甘い小豆からザーサイなどの漬物系までいろいろ。具材の選択を間違えると、デザートではなくなりますのでご注意ください。
もちっとした食感、生地のほんのりとした甘さ、香ばしいクルミの風味が口の中にやさしく広がるのが「核桃餅(ウォルナッツケーキ)」です。辛い四川小吃が続いた後のお口休めにぴったり!隠れた四川の特産品です。
『三国志』好きなら訪れたい!「武候祠博物館」
古い町並みを再現し、多くの観光客を集める「錦里古街」ですが、実はメインとなる観光スポットは隣接している「武候祠博物館」です。
『三国志』では、魏、呉、蜀の三国の争いが描かれています。中でも、蜀を建国した劉備、それを武力で支えた関羽と張飛、知力で支えた諸葛孔明などの活躍は有名で、現在に至るまで多くの人々に支持されています。
「武候祠博物館」はそんな諸葛孔明の功績をたたえ祀っている場所で、敷地奥には劉備の墓と言い伝えられているものもあり、毎日たくさんの観光客が訪れます。
成都中心部から公共バスで1本、気軽に行ける!
「錦里古街」へは、成都中心部から公共バス(1/57/32/335路)に乗って「武候祠」で下車、約10分の道のりです。
なお、「錦里古街」の正面入り口は武候祠大通りにありますが、先に「武候祠博物館」に入場した場合は、館内奥の「錦里古街」につながっている出入り口も使えます。
さあ、あなたも中国・成都の浅草「錦里古街」へ行ってみませんか?
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成都寛窄巷子 成都お勧め 成都現地発ツアー

2018-09-01 08:35:10 | 旅行
清の時代からの歴史ある地域をリノベーションして作られた「寛窄巷子(かんさくこうし)」。中国四川省の省都である成都の歩行街として錦里、春熙路と並び人気を集めています。現代の人々の心をつかむ魅力あふれたエリアをご紹介します。
寛窄巷子(かんさくこうし)は寛巷子、窄巷子、井巷子という名の3つの並行する路地と45の中庭から成るエリアです。巷子とは路地を意味しています。
実際の歴史ある建物をリノベーションして作られたエリア
成都大慈寺、文殊院とともに成都の歴史文化保護区ともなっています。この地域は清の時代に栄えた都市でしたが、その衰退とともにエリアは縮小し、寛巷子、窄巷子の2つの路地のみとなりました。
その歴史ある建物を残しつつ、観光と娯楽のための商業エリアを作ることを目的として、2003年にリノベーション工事が始まり、2008年に完成しました。そのため、このような中国の歴史ある街並みを残した、モダンな雰囲気のエリアが誕生しました。
アクセスも便利!写真映えするスポットが多数
寛窄巷子へは成都の地下鉄2号線か4号線でアクセスが可能です。3つの駅に挟まれるような形でこのエリアは広がっているので、予定に合わせて利用しやすい駅を選ぶことができます。
バスも多くの路線が通っているので、アクセスは非常に便利です。
駅から寛窄巷子のエリアに向かう途中の道からすでに写真スポットが多数存在します。中国の人々もみんなこぞって写真を撮っています。
釘を押したり引いたりすることで文字にしたり絵にしたりすることができます。女の子たちが夢中になって文字を作ろうとしています。あなたもセンスを発揮して作品を作ってみてはいかがでしょう。
寛巷子は地元民の生活、典型的な成都の民族文化を展示しています。主に1912~1949年の人々の暮らしを展示する民家があるなど、現代の成都の人々に歴史を伝える役割を担っています。
窄巷子は典型的な地元民のゆったりとした生活を垣間見ることができます。洋食やファストフードのレストランやカフェが数多くあります。
井巷子は他の2つの路地とは少し違い、よりモダンでオープンな雰囲気です。パブやナイトクラブ、デザートショップ、リテールショップが並んでいます。
全体的に石で造られており、モダンでシックな印象を漂わせつつも中国の歴史を感じることができます。古さと新しさがうまく融合していることがこのエリアを魅力的なものにしています。
それぞれ3つの路地の異なる特徴を意識して歩きたい
レストランもさまざまな種類があります。食べ歩きはもちろん、お店に入って落ち着いて食事をすることも出来ます。
成都に旅行に来たからには、是非寛窄巷子を訪れて成都の歴史や文化を学んでみませんか。過去、そして現代の成都の人々の暮らしを垣間見ることができる貴重な場所です。お土産探しにもおすすめですよ。
寛窄巷子(かんさくこうし)の基本情報
住所:四川省成都市青羊区金河路口寛窄巷子
アクセス:寛窄巷子駅から徒歩約5分、通恵門駅、人民公園駅から徒歩約10分
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