♪ いざ 行け~ つわもの~ 日本男子~
国難ともいえる祖国の、政局の混乱を見るにしのびず
ここは、微力の老兵ながらも一旦、前線を離脱して・・・
という堅い信念があるわけじゃないけど、要は、
自分の寿命に限りがあれば、いつまで、かかる居心地よき
暑ったかな?ノンカイに、居座っていてもしかたなし。
ここはまじめに反省して、このところ迷っていた
帰国ルート・・・
帝国日本陸海軍大本営作戦本部が、往時、その決断を迷いぬいた
ごとく、「北方」ととるか「南方」を選ぶか!
わし、上海上陸時は、帰途もやはり中国経由の「北方」ルートが
眼中にあれど、ノンカイで惰眠を貪っておるうち
「そういえば、今回の作戦。かってこの足で蹂躙した国々ばかり、
ここは、乾坤一滴!。自己の足跡を新たな国に残すことが
貴重なパスポートを交付してくれた日本国外務大臣への義理だてではないか」
となれば、タイより南下して・・・
マレーシア・インドネシア・フリッピン。
かなりアジアをふらついてきたおぼえやけど、あらためて見直せば
むかし「ガキ」のころ、あこがれていたそれら「南方」は、ほとんど手付かずの国々。
わずか、かって、カミサンとパック・ツアーででかけた
かっての「昭南島」。なつかしいわなも。わしらのガキのころは
そうよんだ、いまの「シンガポール」がわずか一カ国だけ。
しかし、作戦をたてるにしても、当初、そのルートを想定していなければ
旅本を含めそのあたりの情報や資料、まったくなく、これが、
北方を帰路とする作戦を破棄できなかった要因でなも。
南方は策のたてようがなし・・・これが昨日の昼までの状況。
ところが、なんと、ここで天運は、この老兵の意志をくみ
なんと、若き優秀の「作戦参謀」をわしに派遣!
昨日、わしが、朝、タイ・滞在、3度目になるビザ切れを更新するため
例により、自転車で国境を越え、一旦、ラオスに脱出。
お宿に戻ってくれば、やはり前日、ビエンチャンからこのノンカイいりした
「しゅークン」がおってなも。「やあーやあーお久しぶり」
彼は、今回、大阪から上海にきた中国船のなかで一緒した好青年やけど、
すでに中国・香港:マカオ・ベトナム・ラオス・カンボシア・さらにはタイの各地と
精力的に旅を重ねておってなも。
わしが、ノンカイにノンビリしとるまに、ほんと真面目に。感心なんですわ。
で、このあと、インドに行き、もどってマレーシアや
インドシナなどに、というんやけど・・
それを聞き、「そうか、わしも、そっち考えとるけど、資料があれせんし
帰国ルートができいせんでよわっとるんだわ」
わしがグチをこぼせば、しゅークン。なんと、どうせボクもインドからあとは
そのルートをやるつもりです、今晩、調べてみます。
手持ちの「ガイド本」とインターネットの検索を使いながら、
なんと今朝方3時ごろまでかかり、わしが、気ままにあげた
国と町と希望知地を通る作戦要図を書き上げてくれてなも。
まだ、実際に開戦するとすれば、詰めるところかなりあり
また、実際は全てとりやめバンコクあたりから飛行機ですぐ復員!
てなケースも多分にあるけど、一応、「モシやるとすれば」
のしゅークン労作のルートを、参考までになも。
バンコクに出る。
マレー鉄道の西線を使い南下。これは、老後になって、わしがそれを読み
アジアふらつき旅の要因ともなった沢木耕太郎氏の「深夜特急」の象徴的舞台と
もなる鉄道で、これに乗るだけでもシメシメの思いあり。
マレーシアの有名な保養地、ジョージ・タウンとペナン島に。
世界的デカデカ長々高々層ビルのあるマレーシアの首都クアランプール。
バスで、あの有名な「マラッカ海峡」の港町、マラッカに出て、フェリーで
インドシナのスマトラ島にわたる。
スマトラ島では、ぜひぜひ、多分なにもないくだらない土地であろうが
「バレンバン」に断固として行く。
ここは、かって、日本軍が、落下傘部隊で急襲して世界に名を
馳せた「バレンバン攻撃」の光栄の大地
♪ 見よ 落下傘 空に 降り 見よ 落下傘 空に 降り~
ガキのころ、防空頭巾をかぶりながら、わしも歌っていた軍歌。
いまでもソラでうたえるけど、そのバレンバン。
生涯いけんとおもっとったけど、いまや照準に入れり。
ええ、やや興奮モンでございます。
このスマトラ島のあと、インドネシアの首都のある「ジャワ島」に
わたるんやけど、「これが、そのフェーリーがあるかどうか不明」
の作戦参謀しゅークンの心配。まっ、なんとかなると思うけど。
jジャワ島では、世界三大仏教遺跡のボルロドーブをご拝見。
世界遺産やしなも。
その後、バリ島にわたり、しばしノンビリこんして
そのあと、一番でかいボルネオ(カリマン島)わたり・・・・
できれば、フィリッピンにミンダナ島、セブ島、そんで首都マニラと
お船ですすみたいけど、ここはいまだ調査未了。
飛行機で、一気にマニラ突入!。それもあるかもネ。
で、このあと日本に復員。3月中にはなも。
・・・・・と、まあ、やや落書き的な日程なんやけど、すべて希望値。
できればの話で。べつに、出張や業務命令を持つ身でなければ
それこそ浮き世クルクル風まかせ。行雲流水のわが身。
はたして、いかなる展開をたどるのか?
「あの爺さん。このさきどないするんやろ」
わずかばかりのご心配の方も、わずかばかりおいでいただくと過信いたせば
本日は、コノサキのあてに成らぬ予定を、ご報告させていただいたと、
こんな次第でございます。
では、結果報告はまたのちほど。
ようやく腰をあげようと考えはじめた
居座り 敬助
国難ともいえる祖国の、政局の混乱を見るにしのびず
ここは、微力の老兵ながらも一旦、前線を離脱して・・・
という堅い信念があるわけじゃないけど、要は、
自分の寿命に限りがあれば、いつまで、かかる居心地よき
暑ったかな?ノンカイに、居座っていてもしかたなし。
ここはまじめに反省して、このところ迷っていた
帰国ルート・・・
帝国日本陸海軍大本営作戦本部が、往時、その決断を迷いぬいた
ごとく、「北方」ととるか「南方」を選ぶか!
わし、上海上陸時は、帰途もやはり中国経由の「北方」ルートが
眼中にあれど、ノンカイで惰眠を貪っておるうち
「そういえば、今回の作戦。かってこの足で蹂躙した国々ばかり、
ここは、乾坤一滴!。自己の足跡を新たな国に残すことが
貴重なパスポートを交付してくれた日本国外務大臣への義理だてではないか」
となれば、タイより南下して・・・
マレーシア・インドネシア・フリッピン。
かなりアジアをふらついてきたおぼえやけど、あらためて見直せば
むかし「ガキ」のころ、あこがれていたそれら「南方」は、ほとんど手付かずの国々。
わずか、かって、カミサンとパック・ツアーででかけた
かっての「昭南島」。なつかしいわなも。わしらのガキのころは
そうよんだ、いまの「シンガポール」がわずか一カ国だけ。
しかし、作戦をたてるにしても、当初、そのルートを想定していなければ
旅本を含めそのあたりの情報や資料、まったくなく、これが、
北方を帰路とする作戦を破棄できなかった要因でなも。
南方は策のたてようがなし・・・これが昨日の昼までの状況。
ところが、なんと、ここで天運は、この老兵の意志をくみ
なんと、若き優秀の「作戦参謀」をわしに派遣!
昨日、わしが、朝、タイ・滞在、3度目になるビザ切れを更新するため
例により、自転車で国境を越え、一旦、ラオスに脱出。
お宿に戻ってくれば、やはり前日、ビエンチャンからこのノンカイいりした
「しゅークン」がおってなも。「やあーやあーお久しぶり」
彼は、今回、大阪から上海にきた中国船のなかで一緒した好青年やけど、
すでに中国・香港:マカオ・ベトナム・ラオス・カンボシア・さらにはタイの各地と
精力的に旅を重ねておってなも。
わしが、ノンカイにノンビリしとるまに、ほんと真面目に。感心なんですわ。
で、このあと、インドに行き、もどってマレーシアや
インドシナなどに、というんやけど・・
それを聞き、「そうか、わしも、そっち考えとるけど、資料があれせんし
帰国ルートができいせんでよわっとるんだわ」
わしがグチをこぼせば、しゅークン。なんと、どうせボクもインドからあとは
そのルートをやるつもりです、今晩、調べてみます。
手持ちの「ガイド本」とインターネットの検索を使いながら、
なんと今朝方3時ごろまでかかり、わしが、気ままにあげた
国と町と希望知地を通る作戦要図を書き上げてくれてなも。
まだ、実際に開戦するとすれば、詰めるところかなりあり
また、実際は全てとりやめバンコクあたりから飛行機ですぐ復員!
てなケースも多分にあるけど、一応、「モシやるとすれば」
のしゅークン労作のルートを、参考までになも。
バンコクに出る。
マレー鉄道の西線を使い南下。これは、老後になって、わしがそれを読み
アジアふらつき旅の要因ともなった沢木耕太郎氏の「深夜特急」の象徴的舞台と
もなる鉄道で、これに乗るだけでもシメシメの思いあり。
マレーシアの有名な保養地、ジョージ・タウンとペナン島に。
世界的デカデカ長々高々層ビルのあるマレーシアの首都クアランプール。
バスで、あの有名な「マラッカ海峡」の港町、マラッカに出て、フェリーで
インドシナのスマトラ島にわたる。
スマトラ島では、ぜひぜひ、多分なにもないくだらない土地であろうが
「バレンバン」に断固として行く。
ここは、かって、日本軍が、落下傘部隊で急襲して世界に名を
馳せた「バレンバン攻撃」の光栄の大地
♪ 見よ 落下傘 空に 降り 見よ 落下傘 空に 降り~
ガキのころ、防空頭巾をかぶりながら、わしも歌っていた軍歌。
いまでもソラでうたえるけど、そのバレンバン。
生涯いけんとおもっとったけど、いまや照準に入れり。
ええ、やや興奮モンでございます。
このスマトラ島のあと、インドネシアの首都のある「ジャワ島」に
わたるんやけど、「これが、そのフェーリーがあるかどうか不明」
の作戦参謀しゅークンの心配。まっ、なんとかなると思うけど。
jジャワ島では、世界三大仏教遺跡のボルロドーブをご拝見。
世界遺産やしなも。
その後、バリ島にわたり、しばしノンビリこんして
そのあと、一番でかいボルネオ(カリマン島)わたり・・・・
できれば、フィリッピンにミンダナ島、セブ島、そんで首都マニラと
お船ですすみたいけど、ここはいまだ調査未了。
飛行機で、一気にマニラ突入!。それもあるかもネ。
で、このあと日本に復員。3月中にはなも。
・・・・・と、まあ、やや落書き的な日程なんやけど、すべて希望値。
できればの話で。べつに、出張や業務命令を持つ身でなければ
それこそ浮き世クルクル風まかせ。行雲流水のわが身。
はたして、いかなる展開をたどるのか?
「あの爺さん。このさきどないするんやろ」
わずかばかりのご心配の方も、わずかばかりおいでいただくと過信いたせば
本日は、コノサキのあてに成らぬ予定を、ご報告させていただいたと、
こんな次第でございます。
では、結果報告はまたのちほど。
ようやく腰をあげようと考えはじめた
居座り 敬助