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ちゃべ父の事 その2

2013年05月10日 | インポート

今日も病院でした。

朝一番(8時半)に昭和医大へ行き

検体を預かって来ました。

今日は車で行ってみる事にしました。

ココは東名青葉インターから近い。

問題は首都高の混み具合。

出かけた時間が出勤時間より

少し遅かったので、想定内の渋滞。

医科歯科大学に行く前に

昨日MEIを撮った病院でフィルムを

受け取り、それも持って病院へ。

首都高から下りると、病院の駐車場は

ぐるーっと回らなければならない。

回って来ると、札を立てたおじさん発見。

これは、隣の順天堂大学病院の駐車場。

ココも一杯のようで、並んでました。

ウチは隣なので、左折。

すると、やはり同じように札を持ってた

おじさん発見。「立体駐車場なら

すぐに入れます」との事。

ちゃべ父の車だったので、小さいから

立体でOK。すぐに駐車できました。

ちょっと大きい車は並んで順番待ち。

かなり早く着いてしまったのだけど

昨日の話しでは「時間あまり気にしなくても

いいですよ。」との事でした。

30分程度待っただけで診察。

今日は私も初めから診察室に入りました。

何故かと言うと、ちゃべ父はどうも

勘違いしていると思ったから。

左腕の血管を使うって言うけれど

要するに、全摘で、腕の筋肉と

血管を使う意味ではないか?と

私は判断。ちゃべ父に言うよりも

担当医の口から聞いた方が

良いと思い、、

まず、昨日のMRIとCTは今の所

異常はなさそうとの事。

今日は舌その物にエコ―検査。

それが終わって、次回の予約の

話しになったので、思い切って

切り出しました。

私「先生、この浸潤性発育と言うのは

 今まさに、発育している癌と

 言う事ですよね?」

担当医「そうです。」

私「昨日の夫の話だと、血管を移植と

 言ってましたが、そうではなく、全摘で

 筋肉も移植と言う事ですか?」

担当医「そう言う事です。」

ちょっとハッキリ聞きすぎたかなぁ・・

ちゃべ父の顔も見ずに担当医と話す。

私「今日のMRIとかでは、細かく散った

 癌は見れませんよね?それはPET

 検査で判るのでしょうか?」

担当医「そうですが、今の状況では

 転移が無くても、全摘になりますね。

 今現在の状況でもかなり広い範囲 

 ですからね。」

ちらっとちゃべ父の顔を見た・・・

やっぱり判ってなかったようで・・

顔色が変わってました。

担当医「これから色々と検査をして、

 小さい癌があったら、全て摘出です。

 あとは、切除以外にも放射線治療です。」

やっぱりね。それより本当は聞きたかった事。

この左腕から移植すると、左腕は使えなく

なるのだろうか?ちゃべ父はこの病気が

治ったら、又仕事をするつもりだ。

できれば、腕は温存して他からの移植を

希望したい。が、今日はそのあたりの

話しは避けておいた。

何故なら、まだどの程度の転移状態か

判らないから・・・。

転移の状況によっては、余命も変わるだろう。

仕事なんて出来ない状態になるのなら

別に左腕が使えなくても構わないのだ。

他の病院では、胸からの筋肉を使って

やってるようなので、転移が無ければ

左腕からの移植は止めてもらおうと

思ってる。ちゃべ父と言う男は

仕事が命なのだ。そう言う時代の男だ。

仕事をする事に喜びを感じるヤツなのだ。

そう言う人が左腕が使えなくなり

QOLを下げたくないのだ。

もちろん、こちらの希望がかなうとは

思わないが、相談はすべき事だろう。

そして、全摘と言う事は

味覚は無くなる。人間にとって

食べる事の喜びが薄れてしまうのだ。

これは、とっても辛い事だ。

話しをする事もかなりのリハビリが必要だ。

しかし、全摘しても、転移が無ければ

5年以内の生存率が高い。

(90%と書いてあった)

ただ、私の見た感じでは

部位がかなり深そうで・・・これが

かなり心配。転移あるんじゃないかなぁ・・

それに、これだけ大きく深いのだから

思いっきりグリっと切除だと思う。

私の話しが終わり、今日はうがい薬での

痛み止めと、飲み薬の痛み止めを

出してくれた。

「弱い痛み止めから始めますね。

うがい薬は舌の裏にだけ当てるように

少量使ってください。食事が楽になります」

やっと出してくれた・・・ホッとしました。

今は、何とか食べてもらって

体力の温存したいので・・。

(痛みであまり食欲がない)

今日の診察はこれで終わりでした。

診察室を出て、エレベーターを

待ってる時、私が「やっぱり全摘だね」

と言うと、「うん。でもそれで済むなら

それでいいよ。」って・・

本人、判っているのだろうか??

舌が無くなり、移植すると

物凄い大変なリハビリが待ってる事。

味覚が無くなる事、、本当の所は

多分判ってないのだろな・・・

私と違って、ネットで調べる事もしない。

これって度胸が座って居ると言うのか?

いや、違うんだよな・・

多分怖いのだろう。だから見ない。

今自分の置かれた状況を、見たくない。

ただ、今は「生きる」と言う事だけを

考えているのだろう。

もちろん、私もそうだけれど

今後の検査で何処にも転移してなければ

左腕からの移植は避けてもらうつもりだ。

それは、ちゃべ父が希望を持って

生きて行く為に必要だと思うから。

こう言う考えだと言う事をどの時点で

担当医に話したら良いのだろうか?

帰りの車の中で考えた。

やはり、PETの結果、内視鏡の結果。

全てのデータが揃って

ステージがどの程度で、

手術する事で、何%の割合で良くなるか。

それを聞いてからでもいいのだろうな。

そんな事を思いながら、運転している

ちゃべ父の横顔を見てた。

神田界隈は明日からお祭りだ。

かなり賑わうのだろうな・・・。

数年に一回のお祭りだったはず。

明日から交通規制もあると

書いてあった。確かお祭りは15日

までだったような?14日、検査だけど

大丈夫かなぁ?そんな事を思ったら

急に涙が出て来たが、泣いてない

素振りをしてごまかした。

辛いのはちゃべ父なんだ・・。

帰りは、お堀に出て、途中から首都高。

久々に桜田門を見て、警視庁を見た。

今のあの警視庁が工事中の時、

私は(財)東京交通安全協会に入った。

安協は本当は警視庁内にあったのだけど、

工事中と言う事で、工事の間は

霞が関の小さいビルを借りてた。

借りてたビルが判らず、ウロウロしたな~

もう何十年も前の話だ。

入社して2年程で、ちゃべ父から誘いがあり

結婚したのだ。あれから35年だ。

久しぶりに国会議事堂も見た。

日比谷公園、、、なーんか懐かしいね。

ボーとして外を見てた。

本当は医者に任せ、

何にも考えるのは止めた方いいのだろう。

でも、今日書いているこの事は

かなり重要な事。ちゃべ父の生きがいを

無くしたくない。多分ちゃべ父の前で

この事を言うと「余計な事言うな」って

言うだろう。多分言うだろう。

だから、担当医と一対一で本当の事を

聞き、そして、私のこの意見を伝えようと

思っている。何と言うのかな、

担当医は多分ハッキリとある程度の

予測は出来てるようだけど、

言わないタイプの先生のようだ。

担当医と昨日今日と

少し話した感じでは、簡単な事では

無いと言う事を感じた。ギリギリまで

多分言わない医者なのだろうな。

話しぶりでそう言う感じがかなりした。

でも、ちゃべ父本人はあまり感じてない。

この辺りの誤差・・・。

まだ検査結果が全て出てないから

何とも言えないのだろうけれど

病巣を見ただけで、

私ですらかなり悪いとは判るのだ。

例え、手術が成功して、

余命の事も気にする必要のない

程度でも、舌を全摘すると言う事は

かなりのQOLを下げる。

ちゃべ父はかなりの頑固者だ。

顔色一つで考えている事は大体判る。

35年も一緒に居れば判るよね。

首都高に入り、東名青葉インターで

下り、ちゃべ父が

「うどん食っていくか?」

「痛くないの?」

「今うがい薬と痛み止め飲むよ」

ちゃんとうどん食べられたようで

「痛くないの?」と聞くと

「痛み止めが効いてるとか

 そう言う事じゃなく、慣れたって感じ」

そうかぁ・・担当医は痛みが取れなかったら

もう少し強い薬を出すと言ってたな・・。

術後はかなりの痛みだろう・・。

ちゃべ父に「煙草吸うのは止めて

置いた方がいいよ。

舌切除は麻酔から覚めて

淡とかからみやすいし

淡が自分で切れないと思うから・・」

これは手術した人のブログに

書いてあった事。

「分かった」と言ってた。

帰宅して、「入院中暇だろうから

ウォークマン持って行く?」と聞くと

「要らない、日経と本あれば良い」

って、本誰が買いに行くのだよ・・。

ちゃべ父の好きな志ん生や談志、

たかはしまりこのCDを入れて

あげようかと思ったのだけど・・

「入院の時、ホワイトボードは

 必要だね。」って言ったら

「なんで?」だって・・

話せないのが判ってない・・・

黙って準備して置こう。

ウォークマン要らないと言うが

やはり買って志ん生やら色々と入れて

置いてあげよう。

私はちゃべ父に何もしてあげられない。

帰宅して、駐車場を探した。

近くに『空きあり』と言うのが

あったので、電話した。

明日か、明後日、一旦

静岡に戻って、必要な物を

持って来ると言ってた。

私は行かない事にする。

私はつい、余計な事をしてしまうので

ちゃべ父の好きなようにしておこう。

ちゃべ父も一人の方が色々と

考えられるだろう。

ただ、多分私はちゃべ父が居ないと

泣き続けるのだろうな・・

居ない方が好きなだけ泣けるから

いいかもな・・

ちゃべ父の前では泣かないように・・。

ちゃべ父は高校生の時に

網膜剥離になり、当時では大変な

手術をしてる。今では網膜剥離の

手術は簡単になっているが、

ちゃべ父の時代は大変だったらしい。

一度目の手術は失敗し、

二度の手術を受けた。

手術が失敗すれば、失明と言う時代。

術後は頭部に砂袋を置き

頭を一切動かす事は出来ない。

それが数週間続いたそうだ。

高校生と言う年齢で、失明したら

自殺しようとまで思ったと言ってた。

今日も、「網膜剥離の手術だって

我慢できたから、大丈夫だよ」って。

いやいや・・そうじゃないんだよな・・

でも、そう言うので

「そうか~」としか言えなかった。

001

できれば、明日静岡に行って欲しいな。

明日は私の診察日。

一緒に来られちゃうと、ちょっとな・・

担当医には今の私の状況を言わないと

ならないし、そして、その気持ちも

話さないとならない。

ちゃべ父が居たら、話せない・・・。

今の私の状況はしっかりと担当医に

伝えておかないと、薬の変更等

色々と問題になるから・・・。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

今日はL君は5時間授業。

L君が帰宅する前に私達が帰宅できた。

L君、私が居たので嬉しそう。

やっぱり居て欲しいよね。

すぐに学校の宿題をして、

今週は給食当番だったので白衣、

上履き、体操着。ちゃんと洗濯場に。

月曜日の準備もして、

すぐに公文に行きました。

マーブルの散歩がてら、公文まで

送って行きました。

マーブルの散歩が終わって

今日は少し遊ぼうね~

身体と神経はかなり疲れてるけど

マーブルだって一人で留守番。

色んなトリックをやって遊びました。

又来週はお留守番多いよ。

L君もマーブルも少しの間

我慢してね。

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