
🔹🔸◆ ♦️ぽんぽん🐈⬛暮らし♦️◆🔸🔹
(その29)
【猫との暮らし・日常雑話など】
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🔻「歩き🚶♀️➡️のお勉強」🔻
そのⅢ )愛宕神社へ行こう
🟫🟤 👟🟤🥾 🟤🟫
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🐈⬛ポン太郎🐈
「おかあさん、おつかれだね。
どこか、行っておいでよ。」
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🙍🗣️
暖かい冬、
短いコースの歩きを考えてみた。
埼玉県でどこか・・と、
静かな場所がいいな・・と、
「愛宕神社」に会いに行くことにした。
⛩️
西武池袋線は知らない所だらけ。
初めての駅「稲荷山公園駅」🚉下車。
いきなりフエンスが続く。
雑草🌱がいっぱい。
なんだろう、と思っていたら、
看板「稲荷山門」があった。
「航空自衛隊入間基地」だったのだ。

西武池袋線は
基地を分断する形で敷地を通過。
(かつては新宿線からも
基地への引き込み線があり、
資材や弾薬類が運搬され、
「爆弾線」と呼ばれていたそうだ)
さて、「入間基地」とは?・・・
埼玉県狭山市・入間市域にまたがる
✈︎航空自衛隊の基地。
(狭山市役所・狭山警察署、
埼玉県立狭山経済高校など、隣接)


🔍よくわからないので、
防衛省・自衛隊の資料を調べてみた。
(航空自衛隊入間基地Webサイトより)
・1938年(昭和13年)5月
陸軍航空士官学校分校🏫が
所沢陸軍飛行場から
入間郡豊岡町に移転。
・12月陸軍航空士官学校として独立。
・1940年(昭和15年)1月
豊岡陸軍飛行場完成。
・1945年敗戦により、9月
アメリカ陸軍航空軍第5空軍が
同地に進駐 航士・飛行場を接収。
・10月 航士閉校
・1946年
接収直後に殉職した
ジョンソン大佐を偲んで
「ジョンソン基地」と命名改称
・1954年(昭和29年):
航空自衛隊発足
・1958年(昭和33年):
中部航空方面隊司令部設置
入間基地発足
・1963年(昭和38年):
飛行場地区の管理運用が
米軍から空自へ移行
・1978年(昭和53年9月):
ジョンソン基地 全面返還
(航空自衛隊入間基地・公園・
公共施設など)
(なお、⛲️
「稲荷山公園」も元は米軍施設の公園で
「ハイドパーク」と呼ばれていたそうだ)
(・ω・)ノ

フエンス沿いに歩くと
飛行機✈️✈︎🛩️が幾つか並んでいた。
📷撮影ポイントなのだろう。
広い敷地だった。
彩の森入間公園⛲️
・1973年(昭和48年)に米軍から
返還された基地跡地を活用。
⇨県南西部地域の県民の憩いの場、
防災拠点(避難地・大型休憩舎や
防災井戸など)として整備。
・1998年(平成10年)に開設。

【防災用施設】
非常用井戸 耐震性貯水槽
避難施設 非常用発電機
避難用照明 飲料水製造装置
緊急ヘリポート かまどベンチ
防災倉庫 ソーラー照明灯
なんとも羨ましい防災の備えの数々。
どっしりとした樹を見つける。

のんびりした空間。

照明💡のデザインが気になる

🌲 🌲🌲 🌲 🌲
🏘️「ジョンソンタウン」へ
国道463号線沿いの一角に
白い街並みがあった。

*なお、「ジョンソン基地」
(旧・富岡陸軍飛行場✈️)の名前の
由来は後で知った。
ここはアメリカ🇺🇸軍のジョンソン
基地があったエリアで、
アメリカ軍人用に整備された街並みを
軍の撤退に伴い米国風の平屋建築を
リフォームして約50の店舗が並ぶ
街全体の景観が統一され、
看板も英語表記。

・・・、以前、ここに
猫カフェがあるとの噂を聞いた。
【🐱ニケミンハウス】
現在は、徒歩10分の場所に
移転したそうだ。
迷いながら富士見公園を通過。
愛宕公園は日本庭園づくり。
奥秩父産の自然石の石組みされた滝
いるま池の💧💦に癒される。
お約束の🦆の撮影。

そして、やっとお目当ての場所へ。

愛宕神社
🌳 🌳 🌳 🌳 🌳
「古木に囲まれた深い緑
ざわめく風、奥行きのある境内」
と紹介されている。
🪵 🪵 🪵 🪵
街道の右奥に鎮座 扇町屋の産土神
創建年代不詳
武蔵野の開発で集落がつくられ、
共に天照大御神を祭祀したと
言われている。


境内には新田義興の首塚などがあり
来訪者が説明を丁寧に読んでいた。
(今回は足利氏・新田氏についての
学習は保留)

「手水には龍🐲はいないのかな。」
と、探すと・・・
なんと、「花🌼手水」があった。
狭山市の株式会社彩花さんによるもの
綺麗!😍


そして、石段へ

石段途中には「蚕影神社」⛩️がある
説) 旧富岡尋常高等小学校奉安殿
別説)旧富岡尋常高等小学校
富岡神社の説もある
養蚕が盛んだったのだろうか?
⚫︎「入間市博物館」には、
蚕品種多摩錦などの展示
棚飼いの道具類、器具器械も展示
・明治後期から戦前に繁栄した
石川組製糸の細かな調査展示も。
(群馬の富岡製糸工場の歴史調査よりも
丁寧な展示だと言う評価もあるようだ。)

「芭蕉の句碑」参道入口鳥居脇にある
ひらひらと
あぐる扇や 雲の峰
元禄七年1694年6月翁51歳詠む
歌碑の前には志茂町屋台の解説板
(愛宕神社の祭礼に曳き回される屋台)
(屋台倉庫もあった。)
・毎月27日 骨董市開催
・4月下旬春季例大祭
宿場町に山車が繰り出す
[🙃感想]
・鳥居と境内の雰囲気がいい
穏やかな気持ちになる
心の洗濯だ
・私のお気に入りは、
境内に続く鳥居⛩️と石階段
石段横に古い石積みなど、
なんとも言えぬボコボコ感がいい。
階段下から神社を見上げたり、
町屋通りから鳥居を眺めたりなど、
何度も振り返りながら
愛宕神社を後にした。
・・・
🔍気づかなかったが、
神社の鳥居の左側にある社号標の
愛宕神社の文字の上の2文字が
セメントで埋められているそうだ。
GHQの神道指令により神社の国家管理
が廃止されると同時に社格も廃止。
GHQの干渉を恐れて石の社名標の
社格が刻まれた部分をセメントで
埋めた神社が多かったそうだ。
「武蔵と相撲の史跡探訪記」より・・・
「坂口屋」
帰り道にて
道路沿いに古民家に遭遇。

安政5年創業の
坂口屋が手掛ける「香」のお店
赤いポスト📮がお似合い
扇町屋宿が始まる街道沿いの
往時の面影が残る大きな古民家だ。
🔍さて、「扇町屋宿」とは
日光脇往還の宿場
現在 入間市扇町屋中央部
江戸時代 宿場の長さは6町ほど
道幅8間余り 戸数90件
🔍「日光脇往還」
八王子から日光までを結ぶ道
総距離 156キロメートル
・江戸時代前は軍用路だったが、
江戸時代になり
「八王子千人同心」が日光勤番
(東照宮の火の番)
を務める際の通行路。
・・3泊4日の行程・・
大山詣りなどの人々の通路ともなり、
街道沿いの発展がうかがわれる。
入間市内:扇町屋と二本木が宿継場
(荷を運ぶ馬の中継所)として整備
扇町屋は🐴往路初日の昼食地
往路3日目の宿泊地
・・街道や宿場町の歴史の勉強📖も
しないで行って🤦しまった。
でも、調べると面白い!
⚫︎村の各所には「道標」がある。
江戸、青梅、八王子
扇町屋、二本木
大山・御嶽:お参りのために目指す
例)扇町屋下町の道標
正面 道祖神
側面 かわこへ入間川 道
まつ山 日こう道
例)豊岡温故公園
(旧富岡小学校跡地)保存の道標
行き先 北日光道
東江戸?????みち
・・・「道標」は江戸時代の人々の
山岳信仰、当時の交通、宿継場の
盛況を伝えるもの。
市の指定史跡になっているものもある
・・・残念ながら、ここでも
予習をしてこなかったので、
道標や志茂町の子育て地蔵を
見ることをしなかった。🫤残念!
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ボオー😗としたまま、
ただ行ってしまったが、
後日、いろいろ勉強できて面白かった。
なお、野良猫🐈⬛さんたちには会えなかった。
どこかでお昼寝していたのかも。
おつかれさまでした。
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【参考】
「Rail and bikes」 (爆弾線)
「埼玉県の神社」
「伝統の日本紀行」
「千人同心街道」
「いるま歴史ガイド」
「西武鉄道ウオーキング」
「街道歩き日本すきま漫遊記」
👋( ̄^ ̄) (^ν^)
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