前回に引き続き、地球環境分野における欧州崇拝の問題点について述べたい。
ところで話は変わるが、民主党を離党した小沢一郎氏が7月8日のNHK日曜討論に出演し、脱原発を明言したという情報を入手した。小沢氏とともに離党した三宅雪子氏はツイッターで次のようにつぶやいている。
https://twitter.com/miyake_yukiko35/status/221768210540789760
(引用開始)
再送) 小沢代表、日曜討論出演中。原発について。脱原発を明確に宣言。ドイツの例を出しながら10、15年を念頭に将来的にはゼロにするということ。
(引用終わり)
小沢氏としては、やっと明確に脱原発を宣言したのだが、筆者の感想は「菅直人と大して変わらないじゃないか?」。そして特に「またドイツかよ!」というのが本音である。我が国の政治家は、明治維新以来、我が国独自の政策を出さず、地勢も気象も文化も国民性も違う欧米の事例を元に政策を考える癖から抜けだすことができないようだ。
さて、前回は欧州諸国に「環境先進国」などあり得ない、という事実をEcological Footprint という指標を使い解説したが、今回は欧州社会の思想的な観点から地球環境分野への考え方にメスを入れるとともに、欧州等、海外の情報発信が実は非常に偏向的だという事実も指摘したい。
【キリスト教と地球環境】
まず、次の絵を見ていただきたい。
有名なジョットの絵「小鳥への説教」である。イタリアのアッシジにある世界遺産、聖フランチェスコ教会に描かれている壁画であり、聖フランチェスコが小鳥へ説教を始めたところ、小鳥たちがその説教を聞き始めたという伝説を絵にしたものである。この絵はイタリアのエコロジーの原点と呼ばれている。筆者も現地でこの絵を見ており、非常に感銘を受けたのだが、この絵の題の「説教」という言葉は嫌いであり、勝手に「小鳥との対話」と呼んでいる。
地球環境を考える上で重要なのは、
生態系>人間社会(経済を含む)
であるのだが、キリスト教の教義では「自然は人間によって支配される対象」であり、両者は完全に矛盾する。
「説教」という言葉は、所謂上から目線の言葉であり、生態系<人間社会ではないのか?という疑問を常に持ちながら、この絵を見ている。もっとも現地でイタリア人とこのことを議論したのだが、そのイタリア人曰く「バチカンの枢機卿なら別だが、ほとんどのイタリア人はそんなこと深く考えていないよ」と言われた。さすが(いい意味で)いい加減なイタリア人である。
スウェーデンも、キリスト教の教義と学問は切り離して考える傾向にあり、私がスウェーデンのルンド大学のHuman Ecology専攻の教授にインタビューした時も、「キリスト教とは関係なく、自然に対して傲慢であってはいけない」と言われた。
しかしながら欧州の環境政策には、やはりキリスト教の影響は否めない。例えばドイツだが、基本法第20条a項に
「国は未来の世代に対する責任という面においても生活基盤としての自然を保護するものとする」
とある。この条文をもって、我が国の専門家はドイツを「環境先進国」としているのだが、筆者は納得できない。やはりこれは「自然は人間によって支配される対象」というキリスト教の教義に影響された、生態系に対する人間の上から目線ではないのか?人間こそ自然によって保護されるべきではないのか?という疑問を筆者は常に感じている。少なくともキリスト教国家ではない我が国が、このドイツの法理念を真似るべきではないと強く感じる。
【実は偏向的な欧州発の情報発信】
地球環境分野における偏向的な欧州発の情報発信はかなり多い。私は数カ月に渡り欧州を視察したことがあるが、現地に行くと日本で収集した情報とは違うことが結構あった。特に日本人の欧州通や在留邦人に偏向的な情報発信の傾向が強い。あらかじめお断りしておくが、全ての方々とは彼らの名誉のためにも言わない。勿論、真面目に欧州の悪いところも含め、フェアな情報発信をされる方々もいる。
欧州通の日本人、在留邦人が、地球環境分野において偏向的な情報発信に行う原因は次の3点が考えられる。
1.あらかじめ、欧州に対する憧憬と劣等感を持っている。
2.疑うことから始めない。もっとも欧州の人々は常に疑うことから始めるというクリティカルシンキングの癖がついているのだが、日本人は信じることから始めてしまう。
3.これが一番悪質なのだが、欧州を看板に地球環境分野でビジネスをしている者はドイツやスウェーデン、デンマークが「地上の楽園」で、我が国は「遅れている」というストーリでなければ困る。
例を挙げよう。
巷ではドイツは脱原発国家と言われている。専門家でも飯田哲也氏などは「メルケル首相は福島第一原発事故の後、すぐに7基の原発の暫定停止を政治決断した」という旨の発言しているが、しかし、実際にドイツの脱原発政策の歴史を調べてみると次のようになる。
2002年 原子力法改正、脱原発決定。脱原発期限は2021年~23年。当時はシュレーダー政権(社会民主党(SPD)と緑の党他の連立政権)。
2005年 メルケル政権誕生(キリスト教民主同盟(CDU)、キリスト教社会同盟(CSU)、SPDの大連立)。「原子力法には触れない」という3党間合意。
2009年 9月 総選挙でメルケル保保連合(CDU、CSU)勝利。脱原発路線を主導してきたSPDが政権離脱。
2010年 12月 原子力法改正。脱原発期間を2035年に延長。
2011年 3月 福島第一原発事故。その後ドイツは国内原発17基のうちの7基を暫定停止。脱原発期限をわずか数カ月で2021年~23年に戻す。
福島第一原発事故後のドイツの早急な対応は評価できるが、注目するべきは2009年から2011年までの脱原発期限をめぐる迷走ぶりである。一体、2021年なり2035年の脱原発期限にどういう根拠があるのだろうか?根拠などない。単なる政治的な思惑に過ぎないのであり、今後の政局次第でどう変わるか分からないのである。
特に脱原発期限の迷走ぶりを飯田哲也氏が発信したのを私は聞いたことがない。こういう偏向的な情報発信がきっかけになり、ドイツ=環境先進国というイメージだけが先行し、このブログの冒頭に例を挙げた小沢一郎氏の発言につながったとすれば、これは非常に残念なことである。
私は何年も欧州に滞在していたわけではない。しかし全ては調べれば、誰にでも分かることなのである。脱原発を確実に行い、持続可能なシステムを構築していくためにも、主体的に情報を収集し、リテラシーをつけていくことが大切である(自戒も込めて言う)。
特に地震国であり、事故当時国でもある我が国は世界に率先して脱原発を進める(要はこれ以上再稼働をしない。)べきであり、ドイツの原子力政策、もっと言えば環境政策をそのまま精査もしないで真似てはいけないのである。