きょうはさわやかに・・・
アオバナを。
まだ、発症まで書いただけでしたね。
2日目(8月6日)
きょうは、広島の「平和祈念式典」の日だなと思いながら目覚める。
ガラ携が一台、テレビ機能だけを持ったまま残っているので、
横になってそれで見ることにする。(というか、聞いていた)
熱は、午前中36度台を上下する。36.9度まで。
咳は割と軽いなと思いながら、過ごす。
午後になると、37度台を上下するようになり、37.6度まで。
固形物を飲み込むのがしんどくなり、お茶もどのタイミングで喉を
締めたらいいか迷い出す。 こんなことは初めてだった。
喉の入り口から奥までがとても痛い。
大きな解熱剤を力を込めて飲んで、うとうと。
3日目(8月7日)
夜中の2時過ぎに目が覚める。
咳がひどくなり、痰が出るようになる。(透明で粘り気は少なかった)
それでも、2時間くらい続いていた。(ティッシュが減っていく~~~)
相変わらず喉は痛く、食べることが苦痛。 痩せてきたのがわかる。
食べる時以外は、横になって過ごす。
午後2時ごろ、体温がおちついていたのでお風呂に入る。
さっぱりした。(シートで拭くよりもずっといい!)
でも、夕食後に37.7度になってしまった。
胸が苦しい。心臓のあたりに違和感あり。
21時前に38.4度になり、お風呂を後悔したが解熱剤を飲む。
咳・痰は、間をおいて続いていた。
4日目(8月8日)
朝、声が出ないことに気づく。
下におりて、夫に掠れ声でいうと、慌てる。
「フォローアップセンターに電話しよう」という。
してくれるが、電話機の対応が分からないという。
「1を押せって、いうんやけどつながらへん」って・・・ああ!
しんどいのに、わたしにせよと言うのか?!
やってみたら、「1」じゃなく「*2」にしなければならなかった!
呼び出し音が50回くらい鳴って、「ただいま大変混み合っています・・・」
しんどいねえ
そして・・・
あと一回と思ってかけたとき、ダイヤル音に変わり、女性の声が・・・
でも、なんと不運な・・・ここで声が出ない、イヤ出てるけど聞こえてないみたい。
それを察した夫が、受話器をとりあげ「もしもし」「もしもし」「もしもし」、、、
と、大声で10回くらい叫んでいたけれど、「切りますね」と切られたと言う。
向こうにしたら、忙しいのにいたずら電話か・迷惑なと思ったんだろう!
なんとも腹立たしい結末だった。
しかし、もう解熱剤もないし、咳止めも少ししか残っていないし、
何とかしないと・・・。
やっぱり頼るはK医院だろうと思った。
ここも何回かの電話の後にやっとかかったんだけど、看護師さんの優しい声を
聞いているだけで安心できた。
症状と、薬のないことを説明すると、追加の薬をだしてくれると言う。
取りに行ってくれるのは息子だけれど、抗体検査キットを探しに出ていたので、
夕方に行くことに。 費用は、ここから公費になるということだった。
なんとか目途がついて安心できた。
5日目(8月9日)
きのう薬をもらえて飲んだので、だいぶ落ち着いてきた。
喉の痛みも、軽くなっていた。
最高に痛かったとき、気道に入ってしまうんじゃないか、誤嚥性肺炎になるかも、
息が止まるんじゃ、と思うような恐怖を味わった。
1日、36度台で過ごせた。 鏡を見ると、頬がこそげて目が奥の方にあった。
なるべく食べることをしなくちゃ、とプルーンやアイス(笑)を食べていた。
長崎の「平和祈念式典」も広島の時のようにして、聞いた。
夕食後、大丈夫だろうと入浴したのですが、上がろうとしたときに頭がクラクラ
してきてしゃがみ込み、しばらくじっとしていました。 体力が落ちた。
冷や汗がいっぱい出てきて、落ち着くまでに30分くらいかかったと思う。
コロナ侮るべからず! 普通の風邪ではないです!!!
8月10日(6日目)
朝、36.6度。 目にも身体にも力がない!
胸が少し痛いが、ひどくなってしまう心配はないと思えた。
高校野球で、孫の学校が一勝を挙げたことに元気づけられた。
8月11日(7日目)
朝、36.5度 痰が黄色くなった。でも、一度きり。
抗体にやっつけられたウイルスの死骸なんだろうと思う。
14時38分、保健所から聞き取りの電話がきた。 やっとですか!!!
「14日まで待機してもらって、何もなければ解除です」だって、
わかってましたが・・・。
保健所からは、携帯に「現在の健康状態」を書いて送るように
毎日メールが来ます。 (きょうも、さっき来ました)
最初、ここに登録するまでが凄い苦労でした。
登録は、厚労省からくるメールに従って、6桁の番号を入力しないと
できないのですが、何度してもエラーになり、しんどいなぁと
思いながら、8回目にしてやっと成功しました。(6日の午前中に)
夫の携帯が壊れていて良かったと思いました。
分からないながら、私がすることになったでしょうから・・・。
8月12日(8日目)
朝、36.3度。 平熱にもどる。
きのう、保健所から電話がきたとき、不安に思っていたことや不満など
言ってしまった。 毎日の報告のなかにも、疑問や不安を書いていたけど、
やっと聞いてくれるんですね、と言う気持ちだったから。
「申し訳ありません」と言うばかり。 そんなことを言わなくていいように、
人員を増やしてもらうように、行政に働きかけてくださいと、さっきの
報告に書きました。
下痢や息苦しさがないことが救いでした。
味や匂いがわからなくなることもなかったですし、
でも、軽症ではないと思います。
保健所的には「軽症」でしょうか?
電話の最後の方で、「これから施設や病院に入っていただくかも
知れませんが、承諾していただけますか?」と聞かれました?
へっ、今からですか???
「そんな余裕と可能性はあるんですか?」と聞きました。
「たぶんないと思いますけど」だって・・・。 あああ
きょうから息子は仕事に復帰できました。
いろいろとやってもらいました。
長々と、面白くもないことを書きましたが、
何かの参考になればと思います。
でも、かからないことが一番大事です。
みなさん、本当に気をつけてください。
きょうの潮流(9日付け)
被爆77年の長崎原爆の日を特別な思いで迎える被爆者がいます。田崎禎子さん、81歳。被爆者歌う会「ひまわり」
の5代目会長です。うたごえで、核兵器の廃絶と世界平和を訴えてきました。
▼9日の長崎市平和式典でも例年、主宰者で指揮者の寺井一通さんが作詞作曲した『もう二度と』を披露してきました。
田崎さんも「叔母たちが城山で被爆し亡くなったので式典で歌えば供養になる」と、08年団員に加わりました。
▼叔父も父親も兵隊にとられて記憶にありません。「父がフィリピンで戦死したという一枚の知らせ」がきたのは45年
6月。35歳の若さでした。被爆したのは、母が幼い田崎さんら三姉妹を連れて長崎市愛宕に疎開していた祖父母宅にい
った時でした。
▼母は再婚し、養父の手前、戦争も被爆のことも話しませんでした。「父はどんなに家族のことを心配しながら亡くなっ
たことか。原爆も、戦争したせいで落とされた。母や私たちの人生は戦争で狂わされた」と。ウクライナで逃げまどう母
子の映像が重なるとも。
▼コロナ禍の2年間、レッスンで集まることが困難でした。いきがいを奪われた田崎さんは母や妹、夫を思いながら鶴を
折り続けました。寺井さんと相談し“歌う最後の式典”として3年ぶりに4月レッスンを再開しました。
▼式典前日に3000羽の折り鶴を平和公園に捧(ささ)げました。「仲間のつらい別れもあり、その人たちの気持ちの
分も歌に込めたい」。戦争も核兵器もなくして―被爆者の平和のうたごえ、世界中に響けと。
(しんぶん赤旗より)
辛かったでしょう、きつかったでしょう
よくぞ頑張られました。
私の周りの人も感染者がボツボツいます。
人ごとでなく気をつけねばと思いました。
貴重な体験話を聞かせてもらいました。
無理をせず、養生して下さいね。
どうぞお大事になさってください。
大げさに書いた訳ではなく、全くこの通りです。
辛かったです。
しんどかったです!
全く、夫はどこからもらってきたのかと思います。
夫は、食べるものは食べられるし、熱も37度くらいで
止まっていたし、早く治っていましたね。
まだまだ少なくならないので、気をつけていかないと
いけませんね。
yoyoさん、お気をつけくださいね!
龍です🐉
闘病お疲れさまです。
峠は越された感じでしょうか❓️
無事のご回復をお祈りしておりますね✨
峠は越していますよ。
あす、あさってと無事に過ごせれば、外に出ても良いと
言われています。
あさっては、町内の夏祭りなんですが、規模を縮小して、
短時間でやります。
進めてくれる人たちは、決まっているのでお任せです。
辛かったでしょう、大変でしたねぇ。
しっかり予防接種を打っている人は重症化しにくいとの事でしたが、
やはり個人差があるようですね。 よくぞ生還されました。
危うくひげのフォロアーさんが1人減るところでした(笑。
魔女さんでこれですから、ひげなら死んでたかも。
今度の病気で体力は落ちているでしょうね。
しばらくは美味しいものを食べて、家でゴロゴロ…
体力と気力の回復に努めてください。
まずは回復されて良かった、良かった。
こんな所までおいでくださり、ありがとうございます。
「生還」と書いておられて、「ああ・・・生還か」と妙に納得しています。
今となっては、少し大げさだったかもと思いますが、その時はこのまま息がつまるかも、
という思いが強かったです。
ワクチンを打っていてもいなくても、罹る率は同じだとか、いろいろ言われてますが、
やっぱり重症化は防げたんでしょうか?
データをたくさん集めているはずなので、その辺を解明してほしいですね。
コロナの前に”魔女”も敗退です💧
ひげ爺さん、持病をお持ちなので、充分お気をつけくださいね!
奥さん共々、長生きなさってくださいよ!
大変でしたね。
本当にコロナは厄介です。
非常に不安なのは、コロナかなと思っても病院ですぐ見てもらえないことです。
幸いにも「かかりつけ医」に見てもらえたようですから良かったですね。
先ずは体力回復にお努めください。
ありがとうございます。
診てくださったのは、かかりつけ医じゃなかったんです。
かかりつけ医と思っていたところは、発熱外来をしていないみたいです。
今回診てくださったところをかかりつけ医にしたいくらいです。
最後に胸のレントゲンを撮ってもらおうかなと、いま考えているところです。
本当に、どこで拾ってきたのか?ワクチンは重症化を防いでくれたのか?わからないことばかりです。2回もかかった人もいます。とにかくかからないようにすることが大事ですね。
かかりつけ医も皮膚科じゃだめだし。
ゆっくり休んで、またの復活を期待しています。
お見舞いありがとうございます。
隔離もきょうで解除になります。
もう罹りたくないので、今まで以上に注意していきたいです。
かかってみて、医療関係者の方々のご努力に頼りすぎていて、
全体として(国として)の体勢がしっかりしていないと
思いました。
不安の中で、自分自身が医師であり看護師でないといけない、
究極の自助なんだと思いました。
こんな変な国は、ほんとうに困りますね!