にいってきました。7日夜に震度6強の余震があり、福島は震度5強位でそこそこ揺れたもの、福島の仕事場はさほどの被害はなかった。8日の13時半頃に仙台に到着、とりあえず名取に行けといわれ向かう、4号沿いなので津波の被害もない。名取について復旧の手伝いをする。ここで以前から知っているN(女性)さんと逢えたので、ホッとした。以前仙台にいる時、入社間もない私に彼女はいろいろ仕事を教えてくれた。
そして、前向きで明るく、屈託のない彼女に私は惹かれてしまった。彼女といる時は、ほんとに楽しかった。話しているたけで、彼女の声を聞いているだけで幸せになれた。
久しぶりに逢って話しをすると3.11の震災以降大変だったとのこと、やっと落ち着いてきたかと思ったら昨晩の余震で津波警報が出て、自宅まで津波がくる可能性があったので避難したとのこと。3.11の際は自宅までこなかったが、次に津波が来たら前の津波で障害物がなくなっているので自宅まできてしまうとのこと。幸い津波はこなかったので良かった。
でもほんと良かった、心配してたのよ・・・またあう逢う日まで元気でいてくれ。
そこの復旧が終わって、仙台市内に戻り、そこで復旧作業をまた手伝っていたのだが、恐ろしい話を聞いた・・なんとそこのスタッフの親戚がバックミラーで津波を見ながら逃げたとのこと・・そしてどこかの交差点で曲がったおかげで助かったらしい、曲がらずまっすぐいってしまった車は津波にのまれたとのことだ。
また、南相馬出身のスタッフもいて実家に安否確認に戻った際に死体を沢山見てきたとのこと・・
結局、8日は仙台に泊まることになり9日も仙台市内の復旧応援となった。
国分町のホテルだったので、少し飲んだのだが金曜日だったこともありわりあいにぎわっていたようだ。仙台は東北の中心なので活気を失わないで欲しいと願う。
9日は最後に幸町までいってそこで解散となったので、塩釜の方を見てから帰ることになった。45号から塩釜港の方を回って産業道路で戻ってきたのだが、実際に見ると想像以上にひどい状況でした。電気もまだ来ていないところがあるようで、道端には津波に飲まれた車やガレキが散乱してました。船も打ち上げられていた。大きな商業施設は殆ど営業できない状態でした。これは復旧にはそうとうの時間がかかりそうだ。時間がなく遅かったのであまりいれなかった。この辺りも昔よく来ていた所なので胸が痛む・・ほんとは七ヶ浜とか名取の被災地にも行きたかったのだが・・しかし今回は余震被害の復旧応援の為にきたので、少しばかりだが役に立ててよかったのだと思う。本当に津波被害に遭われた方は大変だと思うが希望を捨てずに生きてもらいたい。
そして仙台から戻ってきて、本日4.11にまたもや余震、いわきで震度6・・
その後も余震多発・・
いったいどうなっているの?
もう堪忍してよ
ゆっくり休みたい・・