久々の投稿でございます
古くからの友人でただ今上海繁田自家焙煎倶楽部及びNANACO珈琲を主催している繁田武之さん
上海をはじめ紹興や大連など中国でコーヒー関連そして日本茶事業
上海でがんばっている日本人の異業種交流会を主催したり
もちろん日本ではコーヒーハンターとして活躍
生豆の販売で全国にクライアントを持つ(株)アジューダを主催
国内の自家焙煎店の相談も数多くうけてらっしゃる
東京の昭島には珈琲豆小売店“カフェ・ド・カルモ”を運営
そしてなんといっても日本で彼が名をはせたのはやはりブラジルの“下坂農園”だろう
カルモシモサカのブランドで有名な日系ブラジル人の草分け的存在の下坂農園
実はこの農園と珈琲をはじめて紹介したは繁田さん
ある意味下坂農園と繁田さんは一対でお互いの信頼は相当なもの
単なる農園主とクライアントという関係を超えて共に歩む朋友といった感じですね
そんな繁田さん
出会いはもう随分前
無我夢中でブラジルから持ってきたカルモシモサカを全国行脚で売り歩いていた
今でこそカルモシモサカはナショナルブランドになったといえるかもしれないが
当時(20年以上前になるかな)はまったくの無名の珈琲
自家焙煎店の飛び込み営業
ホームセンターやスーパーに小型焙煎機をもちこんで実践販売
なんとかカルモシモサカを皆さんに知ってもらおうとの啓蒙活動
そんな中、関西にこられていたとき(確か知人の紹介だった曖昧な記憶)会いに行ったのがはじめて
100Kg超級の体に似合わないかわいい笑顔(失礼)で
「こんにちは、はじめまして繁田です」
そのときはこんなに長いお付き合いになるとはおもいもよらなかった
讃喫茶室
自分にとってとても幸せな場所
珈琲倶楽部・会庵大阪・会庵東京
すばらしい機会にめぐまれた
そして今 宝塚に珈琲屋の親父としては最高の地を得て
日々たのしく営まさせてもらっっている(商売をもう少しがんばれという身内の声も聞こえるけれど)
あっという間に2年という日が過ぎた
そんな今年の5月、上海の繁田さんから突然の電話
「上海のカフェの立ち上げが少し遅れていてね(3.11の影響もあって)
遅れている期間浅野さんちょっと厚木に行ってくれる?」と
「は?」と驚きながら詳細を聞くと
神奈川県伊勢原市の“カフェ・ヴァモス”という名の自家焙煎店があって
店主の都合により閉店しもう8ヶ月たっている
10数年営業してきて地域にある程度ねざしているこのお店の再生ということなのだ
「とりあえず一度見に行ってくれないか」といわれていくと
まぁしばらく閉めっぱなしなので朽ち果てた感はいなめないが
10数年たっているにしては掃除すればなんとかなる程度
なんといっても焙煎機が2台
フジローヤルの5Kg釜とトルネードが店頭に鎮座ましましている
ここをするしないというよりなんとなく気持ちひかれて帰宅した
実は3年前東京会庵の退店の時たまたま繁田さんと話す機会があって
宝塚に帰ってこじんまりとした自家焙煎店をしようと思うと伝えたら
「まだ引っ込むのは早いんじゃないの?」と
そして
「上海にこない?」
とありがたいそして魅惑的なお誘いだったのだけれど
そのときはもう地元で珈琲だけ毎日接したいという気持ちだったのでその時は辞退させていただいた
ただその後何度か上海に行かせていただいて
繁田さんといろいろお話をしたり
上海自家焙煎珈琲倶楽部のメンバーに接すると
ぼくより年齢が高いにもかかわらずほんとポジティブに活動している
そんな空気にふれて元来何かしたがりの性分がむくむくと芽生え始めてた(悪い病気です)
「浅野さんカフェを上海でたちあげてやっていこうよ」
という繁田さんの申し出に
「了解しました、やりましょう」
と答えてしまっていた
ありがたいことに今上海自家焙煎珈琲倶楽部のメンバーになっている
かの下坂さんもその一人
そして上海自家焙煎珈琲倶楽部の日本での活動の最初が
伊勢原市の愛甲石田の“カフェ・ヴァモス”の再生ということだった
実はこの店の家主さんが繁田さんと古くからの友人で
ここを自家焙煎点以外で使うのはしのびないので
繁田さんなんとかしてよというのが話の発端で
自身は上海にいる時間のウエイトが現在多いので
僕のところにお鉢が回ってきたということです
カフェが運営できて焙煎が出来て・・
ちょうどぼくが間尺にあったのでしょうね
現在ぼくは繁田さんの企画にのって上海ではなくここ伊勢原市の愛甲石田で
旧“カフェ・ヴァモス”を新生“カフェ・リコ”として再生しているところです
讃喫茶室は家内がきりもりしてくれています
もちろんぼくも月に2回くらい帰っているとはいうものの
家内のがんばりのおかげで又このわがままを聞いてもらっています
まぁ彼女もこの世界20年以上のプロですから
安心して見ていられます
毎回もどって讃のカウンターに立つと本当にほっとします
やはり僕の居場所はここだなと思います
讃のお客様には多大な迷惑をおかけしてほんと心苦しい限りです(短縮営業やら定休日の増加やらもろもろ)
もうしばし体の動く間僕のわがままを聞いてもらって
じっくり腰が据わるまで流浪の身続けさせてくださいませ
ようやくカフェ・リコもスタート地点に来たなって感じになり
こうしてブログで報告させていただきました
今度、旭谷出版さんの“カフェ&レストラン”の10月号(9,19発売)と11月号(10,19発売)に
そのあたり詳しく紹介していただきます
よかったら見てみてくださいませ
これからは近況もう少し報告いたします
ほんと暑い夏続きますね
どうぞ皆様ご自愛くださいませ
古くからの友人でただ今上海繁田自家焙煎倶楽部及びNANACO珈琲を主催している繁田武之さん
上海をはじめ紹興や大連など中国でコーヒー関連そして日本茶事業
上海でがんばっている日本人の異業種交流会を主催したり
もちろん日本ではコーヒーハンターとして活躍
生豆の販売で全国にクライアントを持つ(株)アジューダを主催
国内の自家焙煎店の相談も数多くうけてらっしゃる
東京の昭島には珈琲豆小売店“カフェ・ド・カルモ”を運営
そしてなんといっても日本で彼が名をはせたのはやはりブラジルの“下坂農園”だろう
カルモシモサカのブランドで有名な日系ブラジル人の草分け的存在の下坂農園
実はこの農園と珈琲をはじめて紹介したは繁田さん
ある意味下坂農園と繁田さんは一対でお互いの信頼は相当なもの
単なる農園主とクライアントという関係を超えて共に歩む朋友といった感じですね
そんな繁田さん
出会いはもう随分前
無我夢中でブラジルから持ってきたカルモシモサカを全国行脚で売り歩いていた
今でこそカルモシモサカはナショナルブランドになったといえるかもしれないが
当時(20年以上前になるかな)はまったくの無名の珈琲
自家焙煎店の飛び込み営業
ホームセンターやスーパーに小型焙煎機をもちこんで実践販売
なんとかカルモシモサカを皆さんに知ってもらおうとの啓蒙活動
そんな中、関西にこられていたとき(確か知人の紹介だった曖昧な記憶)会いに行ったのがはじめて
100Kg超級の体に似合わないかわいい笑顔(失礼)で
「こんにちは、はじめまして繁田です」
そのときはこんなに長いお付き合いになるとはおもいもよらなかった
讃喫茶室
自分にとってとても幸せな場所
珈琲倶楽部・会庵大阪・会庵東京
すばらしい機会にめぐまれた
そして今 宝塚に珈琲屋の親父としては最高の地を得て
日々たのしく営まさせてもらっっている(商売をもう少しがんばれという身内の声も聞こえるけれど)
あっという間に2年という日が過ぎた
そんな今年の5月、上海の繁田さんから突然の電話
「上海のカフェの立ち上げが少し遅れていてね(3.11の影響もあって)
遅れている期間浅野さんちょっと厚木に行ってくれる?」と
「は?」と驚きながら詳細を聞くと
神奈川県伊勢原市の“カフェ・ヴァモス”という名の自家焙煎店があって
店主の都合により閉店しもう8ヶ月たっている
10数年営業してきて地域にある程度ねざしているこのお店の再生ということなのだ
「とりあえず一度見に行ってくれないか」といわれていくと
まぁしばらく閉めっぱなしなので朽ち果てた感はいなめないが
10数年たっているにしては掃除すればなんとかなる程度
なんといっても焙煎機が2台
フジローヤルの5Kg釜とトルネードが店頭に鎮座ましましている
ここをするしないというよりなんとなく気持ちひかれて帰宅した
実は3年前東京会庵の退店の時たまたま繁田さんと話す機会があって
宝塚に帰ってこじんまりとした自家焙煎店をしようと思うと伝えたら
「まだ引っ込むのは早いんじゃないの?」と
そして
「上海にこない?」
とありがたいそして魅惑的なお誘いだったのだけれど
そのときはもう地元で珈琲だけ毎日接したいという気持ちだったのでその時は辞退させていただいた
ただその後何度か上海に行かせていただいて
繁田さんといろいろお話をしたり
上海自家焙煎珈琲倶楽部のメンバーに接すると
ぼくより年齢が高いにもかかわらずほんとポジティブに活動している
そんな空気にふれて元来何かしたがりの性分がむくむくと芽生え始めてた(悪い病気です)
「浅野さんカフェを上海でたちあげてやっていこうよ」
という繁田さんの申し出に
「了解しました、やりましょう」
と答えてしまっていた
ありがたいことに今上海自家焙煎珈琲倶楽部のメンバーになっている
かの下坂さんもその一人
そして上海自家焙煎珈琲倶楽部の日本での活動の最初が
伊勢原市の愛甲石田の“カフェ・ヴァモス”の再生ということだった
実はこの店の家主さんが繁田さんと古くからの友人で
ここを自家焙煎点以外で使うのはしのびないので
繁田さんなんとかしてよというのが話の発端で
自身は上海にいる時間のウエイトが現在多いので
僕のところにお鉢が回ってきたということです
カフェが運営できて焙煎が出来て・・
ちょうどぼくが間尺にあったのでしょうね
現在ぼくは繁田さんの企画にのって上海ではなくここ伊勢原市の愛甲石田で
旧“カフェ・ヴァモス”を新生“カフェ・リコ”として再生しているところです
讃喫茶室は家内がきりもりしてくれています
もちろんぼくも月に2回くらい帰っているとはいうものの
家内のがんばりのおかげで又このわがままを聞いてもらっています
まぁ彼女もこの世界20年以上のプロですから
安心して見ていられます
毎回もどって讃のカウンターに立つと本当にほっとします
やはり僕の居場所はここだなと思います
讃のお客様には多大な迷惑をおかけしてほんと心苦しい限りです(短縮営業やら定休日の増加やらもろもろ)
もうしばし体の動く間僕のわがままを聞いてもらって
じっくり腰が据わるまで流浪の身続けさせてくださいませ
ようやくカフェ・リコもスタート地点に来たなって感じになり
こうしてブログで報告させていただきました
今度、旭谷出版さんの“カフェ&レストラン”の10月号(9,19発売)と11月号(10,19発売)に
そのあたり詳しく紹介していただきます
よかったら見てみてくださいませ
これからは近況もう少し報告いたします
ほんと暑い夏続きますね
どうぞ皆様ご自愛くださいませ
と思っていましたが、そういうコトでしたか。
事情が少しわかって、何となくほっとしました。
ご本人の弁通り、
「疾、為む可からざるなり。膏の上、肓の下に在り」
にも思えますが(って本人に言わないよネ、フツー)、
‘らしい!’とも感じています(失礼を重ねています)。
そうこなくっちゃ!思いきりやってください。
大阪で23年生涯ここで営むもの
そう漠然としかし確信的に思っていました
根拠自体は何もないのですが
それがいったん流浪の身になりますと
これはこれでなかなかと・・・
もちろん自分自身とはかけ離れている部分もあって
矛盾だらけです
しばしこの状態続きます
帰山人さん見棄てないで
もうしばし見ていてくださいね
こんな僕
旭谷出版のライターのかたを通じ
中川さんよりメッセージいただきました
感動しています
帰山人さんほんとかんしゃしているのですよ
「 いろいろありましたし、おつきあいの有無もあるのですが、
みな仲間と思っております。
浅野さんによろしくお伝えください。
全く消息がわからないよりも、元気な顔を見られるほうが、わたしは よいと思っています。
田口も、自分の元を離れたからには、自分よりも有名になってどしど しと活躍してほしいと、いつもいっています。
田口は、自分が教えた技術には自信を持っておりますので、少々の紆余曲折があっても、腕一本で食っていけるはず、ともいっています。」
かなわないですよねぇ
もうギャフンです
先日山内さん、讃喫茶室おいでいただきました
珈琲文化学会おいでくださいとのありがたい申し出
厚木落ち着きましたら行かして頂きたくおもいます
そのときはよろしくお願いいたします
讃きていただいたのですね
ありがとうございます
今後ともよろしくお願いいたします