8月6日
広島原爆投下
広島県民として日本国民として決して忘れてはならないこの「原爆の日」
私たち親世代が小学生だった頃
被爆地・ヒロシマの学校では
夏休みである8月6日のこの日は登校日であった。
そして
全校生徒で平和記念式典をテレビ観覧し黙祷を捧げ
原爆に関する映像をみて、哀悼の歌を合唱した。
しかし
今の時代、当たり前だったこの日の登校はない。
いつからか、なぜなのか・・・
私たち親世代が今でも口ずさめる
小学生時代に教えられた原爆・平和に関する歌は
今にして、伝えたかったその意味を深く感じる。
63年経った今“その時”を語れる人も少なくなった。
決して風化させてはならない
親から子へと後世に伝えてゆかなければならない、この日。
それが、たとえ一年に一度だとしても、大切なことだと思える。
核兵器廃絶の願いとともに、世界の平和を感じるようになりたい
*画像は昨年の平和記念公園を訪れた時の「アオギリ」の木
「被爆アオギリの木」
http://www.cc.matsuyama-u.ac.jp/~tamura/hibakuaogiri.htm
広島原爆投下
広島県民として日本国民として決して忘れてはならないこの「原爆の日」
私たち親世代が小学生だった頃
被爆地・ヒロシマの学校では
夏休みである8月6日のこの日は登校日であった。
そして
全校生徒で平和記念式典をテレビ観覧し黙祷を捧げ
原爆に関する映像をみて、哀悼の歌を合唱した。
しかし
今の時代、当たり前だったこの日の登校はない。
いつからか、なぜなのか・・・
私たち親世代が今でも口ずさめる
小学生時代に教えられた原爆・平和に関する歌は
今にして、伝えたかったその意味を深く感じる。
63年経った今“その時”を語れる人も少なくなった。
決して風化させてはならない
親から子へと後世に伝えてゆかなければならない、この日。
それが、たとえ一年に一度だとしても、大切なことだと思える。
核兵器廃絶の願いとともに、世界の平和を感じるようになりたい
*画像は昨年の平和記念公園を訪れた時の「アオギリ」の木
「被爆アオギリの木」
http://www.cc.matsuyama-u.ac.jp/~tamura/hibakuaogiri.htm